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凸凹の組み合わせ
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教室に朝の冷えた空気が残っていた。窓の外では鳥が鳴いている。だが、誰もその声に耳を傾けてはいなかった。
教壇に立つセレナが、木製のくじ箱に手を入れる。箱の中で紙片がかさりと擦れる音だけが、静まりかえった教室に響いた。
「では、合同実地課題の組み合わせを発表します」
セレナの声は平坦だった。いつもと変わらない、感情を削ぎ落とした口調。
次々と名前が読み上げられるたびに、あちこちで小さな歓声や溜息が漏れる。リリアーナは背筋を伸ばしたまま、自分の番を待っていた。首席として、どんな相手が来ようと動じない。そう決めていた。
「リリアーナ・フォン・アルカディアと——」
セレナが一拍おいた。その唇の端が、ほんの一瞬だけ持ち上がった。気のせいだったかもしれない。だが、確かに。
「剛田鉄心」
教室の空気が凍った。
比喩ではない。文字通り、誰も動かなかった。呼吸すら忘れたように。
「は……?」
声が出ていた。自分でも驚くほど素の、間の抜けた声。リリアーナは慌てて口元を手で覆った。
「おう! よろしくな、リリアーナ!」
三列後ろから、場違いなほど明るい声が飛んでくる。振り返らなくても分かる。あの筋肉の塊が、満面の笑みを浮かべているのだと。
周囲の視線が突き刺さる。同情、好奇、そしてかすかな嘲笑。首席と——ノーマジック。これ以上ない凸凹の組み合わせだった。
リリアーナの指先が、机の下で白くなるほど握り締められていた。
◇
教務室の扉を、リリアーナは必要以上に強く叩いた。
「セレナ先生。組み合わせの変更を申し出ます」
セレナは書類から顔を上げた。眼鏡の奥の目には、予想していたとでも言うような色があった。湯気の立つ紅茶を一口含み、ゆっくりとカップを置く。
「理由は?」
「魔法課題です。パートナーが魔法を使えないのでは、課題の趣旨に反しますわ」
「……はぁ。実地課題の目的は、異なる能力を持つ者同士の連携を学ぶことです。あなたの懸念は理解しますが、それは変更の理由にはなりません」
リリアーナの眉が跳ね上がった。
「連携? あの人と? 筋肉で魔法障壁を殴り壊すような人と、どうやって——」
「首席として」
セレナの声が、静かに遮った。
「どんなパートナーとでも成果を出すのが求められます。それとも」
紅茶のカップに視線を落としながら、淡々と続ける。
「ノーマジックが怖いのですか?」
空気が張り詰めた。リリアーナの瞳が揺れる。怖い? この私が? あの筋肉達磨を?
「……怖いわけがありませんわ」
声は平静だった。だが踵を返す足取りが、わずかに硬かった。
リリアーナが扉を閉めた後、セレナは深く息を吐いた。
「……理論的に説明してください、と言いたいのはこちらの方です。なぜあの組み合わせになるのか」
独り言は、誰にも届かなかった。
◇
同じ頃、中庭のベンチ。
鉄心は両手を頭の後ろで組み、空を見上げていた。昼の風が芝生の青い匂いを運んでくる。隣ではカイルが林檎を齧っていた。
「なあ、カイル」
「ん?」
「リリアーナって、すげえ魔法使いなんだろ?」
カイルの歯が林檎の上で止まった。
「すげえどころじゃねえよ。入学以来首席を一度も譲ったことがない。学院始まって以来の天才だ」
「やっぱそうか」
鉄心が珍しく黙った。視線は空を見ているが、何かを考えている。その顔に浮かぶのは、いつもの豪快な笑みではなかった。
「俺、足引っ張らないかな」
カイルは林檎を取り落としそうになった。
「お前が不安がるの初めて見たぞ」
「そうか? いや、俺は別にいいんだけどさ。リリアーナに迷惑かけたくねえなって」
頭をがしがしと掻く。前世で教師をやっていた頃の癖だった。生徒の足を引っ張る教師ほど情けないものはない。
「まあ、なんとかなるだろ!」
一瞬で表情が戻った。曇りのない笑顔。カイルは呆れたように笑った。
「切り替え早すぎだろ……」
「よし、不安な時は筋トレだ! 腕立て千回やってくる!」
「解決法がおかしい」
カイルのツッコミを背に、鉄心は駆け出した。その背中の筋肉が、シャツの下でうねっている。カイルは拾い上げた林檎を齧りながら、首を振った。
◇
夜。女子寮の一室。
リリアーナは机に向かい、明日の課題の準備を進めていた。魔法触媒の予備、回復薬、携帯用魔法陣。首席として、準備に抜かりはない。
ペンを走らせる手が止まった。書棚から一冊の本が滑り落ちた。
『魔力特性と身体能力の相関関係』。
以前、気まぐれに読んでいた学術書だ。落ちた衝撃でページが開いている。目に飛び込んできた一節に、リリアーナの指が止まった。
「極端な筋力保持者の近くでは、魔法制御に予期せぬ変動が生じる可能性がある——」
体力測定の日を思い出す。鉄心が隣にいた時、自分の魔法が微妙に乱れた。あの時は集中力の問題だと思い込んだ。だが。
本のページをめくる指先が、かすかに震えていた。
「……偶然ですわ」
誰に向けたのか分からない呟き。窓の外に目をやると、二つの月が夜空に浮かんでいた。
片方が——以前より明らかに暗い。
脈打つように明滅を繰り返すその光を、リリアーナはしばらく見つめていた。胸の奥がざわつく。理由は分からない。ただ、月の光が弱々しく揺れるたびに、何か大きなものが崩れていくような予感が背筋を這った。
本を閉じ、書棚に戻す。だが、あの一節が頭から離れなかった。
明日、あの男の隣で魔法を使う。
何も起きなければいい。リリアーナは祈るようにランプの灯を消した。
◇
翌朝。集合場所の学院正門前。
朝霧がまだ残る石畳に、リリアーナは五分前から立っていた。銀髪を丁寧に編み込み、学院指定の実地用ローブに身を包んでいる。腰には魔法触媒のポーチ。背筋は定規を当てたように真っ直ぐだった。
完璧。隙のない装い。
集合時刻を一分過ぎた。リリアーナの眉間に皺が刻まれていく。
二分。
三分。
「おう、待たせたな!」
砂利を蹴散らす足音とともに、巨大な影が駆けてきた。ジャージ姿。額には汗が光っている。
「朝の筋トレで少し遅れた! いやあ、今日は調子いいぞ、スクワット二千回超えた!」
リリアーナは深く、長く息を吐いた。
「……あなた、本当に冒険に行く格好ですの?」
「え? 動きやすいだろ?」
「防具は? 魔法触媒は? 携帯食料は?」
鉄心が首を傾げた。その筋肉質な首が、ごきりと鳴る。
「つまり……殴ればいいんだな?」
「話を聞いていますの!?」
周囲の生徒たちが遠巻きに見ている。首席と筋肉の凸凹コンビ。リリアーナは頬が熱くなるのを感じた。
「……行きますわよ。足手まといになったら置いていきますから」
「おう! 任せろ!」
何を任せるのか。リリアーナは問わなかった。問えば、きっと「全部」と即答するだろうから。
二人は森の入口に足を踏み入れた。朝霧が木々の間を漂い、湿った土と苔の匂いがリリアーナの鼻腔をくすぐる。木漏れ日が差し込むたびに、霧が金色に光って消えた。
リリアーナは右手を掲げ、探知魔法を展開した。淡い青の光が波紋のように広がり、森の中に設置された課題ポイントを感知していく。
三つ。四つ。五つ。——六つ。
指先が止まった。
「……おかしいですわ」
「ん? どうした?」
「課題ポイントは五つのはずです。でも反応が六つある」
探知魔法をもう一度展開する。間違いない。六つ目の反応は、他の五つとは明らかに異なっていた。学院の魔法陣とは違う。見たことのない魔力パターン。脈動するような、生き物じみた波長。
リリアーナの背筋に冷たいものが走った。
「あなた」
声が自分でも驚くほど低かった。
「何か——いますわ。この森の中に」
鉄心の目が細くなった。笑みは消えていなかったが、その体が一回り大きくなったように見えた。腕の筋肉が、静かに膨れ上がる。
「よし」
短く、一言だけ。
朝霧の向こうで、何かが動いた。
教壇に立つセレナが、木製のくじ箱に手を入れる。箱の中で紙片がかさりと擦れる音だけが、静まりかえった教室に響いた。
「では、合同実地課題の組み合わせを発表します」
セレナの声は平坦だった。いつもと変わらない、感情を削ぎ落とした口調。
次々と名前が読み上げられるたびに、あちこちで小さな歓声や溜息が漏れる。リリアーナは背筋を伸ばしたまま、自分の番を待っていた。首席として、どんな相手が来ようと動じない。そう決めていた。
「リリアーナ・フォン・アルカディアと——」
セレナが一拍おいた。その唇の端が、ほんの一瞬だけ持ち上がった。気のせいだったかもしれない。だが、確かに。
「剛田鉄心」
教室の空気が凍った。
比喩ではない。文字通り、誰も動かなかった。呼吸すら忘れたように。
「は……?」
声が出ていた。自分でも驚くほど素の、間の抜けた声。リリアーナは慌てて口元を手で覆った。
「おう! よろしくな、リリアーナ!」
三列後ろから、場違いなほど明るい声が飛んでくる。振り返らなくても分かる。あの筋肉の塊が、満面の笑みを浮かべているのだと。
周囲の視線が突き刺さる。同情、好奇、そしてかすかな嘲笑。首席と——ノーマジック。これ以上ない凸凹の組み合わせだった。
リリアーナの指先が、机の下で白くなるほど握り締められていた。
◇
教務室の扉を、リリアーナは必要以上に強く叩いた。
「セレナ先生。組み合わせの変更を申し出ます」
セレナは書類から顔を上げた。眼鏡の奥の目には、予想していたとでも言うような色があった。湯気の立つ紅茶を一口含み、ゆっくりとカップを置く。
「理由は?」
「魔法課題です。パートナーが魔法を使えないのでは、課題の趣旨に反しますわ」
「……はぁ。実地課題の目的は、異なる能力を持つ者同士の連携を学ぶことです。あなたの懸念は理解しますが、それは変更の理由にはなりません」
リリアーナの眉が跳ね上がった。
「連携? あの人と? 筋肉で魔法障壁を殴り壊すような人と、どうやって——」
「首席として」
セレナの声が、静かに遮った。
「どんなパートナーとでも成果を出すのが求められます。それとも」
紅茶のカップに視線を落としながら、淡々と続ける。
「ノーマジックが怖いのですか?」
空気が張り詰めた。リリアーナの瞳が揺れる。怖い? この私が? あの筋肉達磨を?
「……怖いわけがありませんわ」
声は平静だった。だが踵を返す足取りが、わずかに硬かった。
リリアーナが扉を閉めた後、セレナは深く息を吐いた。
「……理論的に説明してください、と言いたいのはこちらの方です。なぜあの組み合わせになるのか」
独り言は、誰にも届かなかった。
◇
同じ頃、中庭のベンチ。
鉄心は両手を頭の後ろで組み、空を見上げていた。昼の風が芝生の青い匂いを運んでくる。隣ではカイルが林檎を齧っていた。
「なあ、カイル」
「ん?」
「リリアーナって、すげえ魔法使いなんだろ?」
カイルの歯が林檎の上で止まった。
「すげえどころじゃねえよ。入学以来首席を一度も譲ったことがない。学院始まって以来の天才だ」
「やっぱそうか」
鉄心が珍しく黙った。視線は空を見ているが、何かを考えている。その顔に浮かぶのは、いつもの豪快な笑みではなかった。
「俺、足引っ張らないかな」
カイルは林檎を取り落としそうになった。
「お前が不安がるの初めて見たぞ」
「そうか? いや、俺は別にいいんだけどさ。リリアーナに迷惑かけたくねえなって」
頭をがしがしと掻く。前世で教師をやっていた頃の癖だった。生徒の足を引っ張る教師ほど情けないものはない。
「まあ、なんとかなるだろ!」
一瞬で表情が戻った。曇りのない笑顔。カイルは呆れたように笑った。
「切り替え早すぎだろ……」
「よし、不安な時は筋トレだ! 腕立て千回やってくる!」
「解決法がおかしい」
カイルのツッコミを背に、鉄心は駆け出した。その背中の筋肉が、シャツの下でうねっている。カイルは拾い上げた林檎を齧りながら、首を振った。
◇
夜。女子寮の一室。
リリアーナは机に向かい、明日の課題の準備を進めていた。魔法触媒の予備、回復薬、携帯用魔法陣。首席として、準備に抜かりはない。
ペンを走らせる手が止まった。書棚から一冊の本が滑り落ちた。
『魔力特性と身体能力の相関関係』。
以前、気まぐれに読んでいた学術書だ。落ちた衝撃でページが開いている。目に飛び込んできた一節に、リリアーナの指が止まった。
「極端な筋力保持者の近くでは、魔法制御に予期せぬ変動が生じる可能性がある——」
体力測定の日を思い出す。鉄心が隣にいた時、自分の魔法が微妙に乱れた。あの時は集中力の問題だと思い込んだ。だが。
本のページをめくる指先が、かすかに震えていた。
「……偶然ですわ」
誰に向けたのか分からない呟き。窓の外に目をやると、二つの月が夜空に浮かんでいた。
片方が——以前より明らかに暗い。
脈打つように明滅を繰り返すその光を、リリアーナはしばらく見つめていた。胸の奥がざわつく。理由は分からない。ただ、月の光が弱々しく揺れるたびに、何か大きなものが崩れていくような予感が背筋を這った。
本を閉じ、書棚に戻す。だが、あの一節が頭から離れなかった。
明日、あの男の隣で魔法を使う。
何も起きなければいい。リリアーナは祈るようにランプの灯を消した。
◇
翌朝。集合場所の学院正門前。
朝霧がまだ残る石畳に、リリアーナは五分前から立っていた。銀髪を丁寧に編み込み、学院指定の実地用ローブに身を包んでいる。腰には魔法触媒のポーチ。背筋は定規を当てたように真っ直ぐだった。
完璧。隙のない装い。
集合時刻を一分過ぎた。リリアーナの眉間に皺が刻まれていく。
二分。
三分。
「おう、待たせたな!」
砂利を蹴散らす足音とともに、巨大な影が駆けてきた。ジャージ姿。額には汗が光っている。
「朝の筋トレで少し遅れた! いやあ、今日は調子いいぞ、スクワット二千回超えた!」
リリアーナは深く、長く息を吐いた。
「……あなた、本当に冒険に行く格好ですの?」
「え? 動きやすいだろ?」
「防具は? 魔法触媒は? 携帯食料は?」
鉄心が首を傾げた。その筋肉質な首が、ごきりと鳴る。
「つまり……殴ればいいんだな?」
「話を聞いていますの!?」
周囲の生徒たちが遠巻きに見ている。首席と筋肉の凸凹コンビ。リリアーナは頬が熱くなるのを感じた。
「……行きますわよ。足手まといになったら置いていきますから」
「おう! 任せろ!」
何を任せるのか。リリアーナは問わなかった。問えば、きっと「全部」と即答するだろうから。
二人は森の入口に足を踏み入れた。朝霧が木々の間を漂い、湿った土と苔の匂いがリリアーナの鼻腔をくすぐる。木漏れ日が差し込むたびに、霧が金色に光って消えた。
リリアーナは右手を掲げ、探知魔法を展開した。淡い青の光が波紋のように広がり、森の中に設置された課題ポイントを感知していく。
三つ。四つ。五つ。——六つ。
指先が止まった。
「……おかしいですわ」
「ん? どうした?」
「課題ポイントは五つのはずです。でも反応が六つある」
探知魔法をもう一度展開する。間違いない。六つ目の反応は、他の五つとは明らかに異なっていた。学院の魔法陣とは違う。見たことのない魔力パターン。脈動するような、生き物じみた波長。
リリアーナの背筋に冷たいものが走った。
「あなた」
声が自分でも驚くほど低かった。
「何か——いますわ。この森の中に」
鉄心の目が細くなった。笑みは消えていなかったが、その体が一回り大きくなったように見えた。腕の筋肉が、静かに膨れ上がる。
「よし」
短く、一言だけ。
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