魔法至上主義の世界で『筋力』だけカンストした男が拳一つで全てを覆す

ポポリーナ

文字の大きさ
25 / 65

魔法では守れない

しおりを挟む
 魔法照明が、瞬いた。

 一度ではない。二度、三度——教室を照らす光球が痙攣するように明滅を繰り返す。天井に刻まれた魔法陣の紋様が、蒼白い光を放っては消えた。

「え、なに……?」

 リリアーナが手元のノートから顔を上げた。周囲の生徒たちも戸惑いの視線を交わしている。

 鉄心は窓の外を見ていた。

 空が、おかしい。先ほどまで薄く輝いていた結界の光幕が、破れた布のように波打っている。あの光が消えたのは、ほんの数日前だ。一瞬だけ。だが今度は——消えるどころか、歪み続けている。

「全教員、至急大講堂へ!」

 セレナが教室の扉を開けた瞬間、伝心魔法による緊急通達が響きわたった。普段は感情を見せない彼女の声が、僅かに上ずっている。

「生徒は教室待機。鍵をかけて、絶対に出ないでください」

「セレナ先生、何が——」

「……結界維持装置のマナが、急激に低下しています」

 教室が凍りついた。結界とは、学院を守る最後の砦だ。それが揺らぐなど、三百年の歴史で一度もなかったはずだ。

 セレナの視線が、一瞬だけ鉄心を捉えた。何かを言いかけ——やめた。足早に廊下へ消えていく。

 鉄心は席を立ち、窓に歩み寄った。

 結界の揺らぎが、さらに大きくなっていく。まるで水面に落ちた石の波紋のように、光の膜が同心円状に歪んでは戻り、歪んでは戻る。だが次第に、戻りが浅くなっている。

 ——嫌な予感がする。

 体育教師の直感が、背筋を撫でた。体育祭の前日、突然の雷雨で校庭が水没した時と同じ感覚だ。天気予報も専門家も外したのに、膝の古傷だけが正確に危険を告げていた。あの時と——同じだ。

「鉄心、座っていなさい」

 リリアーナの声に振り返る。碧い瞳が不安を隠しきれていない。

「おう。でもよ——」

 鉄心は窓の外を指さした。

「あの結界、もたねえぞ」

「……根拠は?」

「根拠っつーか、なんつーか——体が言ってる」

「あなたの体は予言装置ですの?」

 いつもの調子でツッコミを入れるリリアーナだが、指先がスカートの布を握りしめている。彼女にもわかっているのだ。数日前の一瞬の消失は、前触れに過ぎなかったと。


  ◇


 大講堂では、ヴァルターを中心に五名の上位魔導士が結界維持装置を囲んでいた。

 装置の中心——巨大な魔水晶の輝きが、目に見えて衰えている。かつては部屋全体を照らすほどだった光が、今は蝋燭ほどの頼りなさだった。

「マナ残量、通常時の三割を切りました」

「注入量を上げろ。全員の魔力を総動員する」

 ヴァルターの声は鋼のように硬い。白髪が魔力の余波で逆立ち、老いた瞳の奥に焦りが滲む。

 その時、地面が揺れた。

 遠く——しかし確実に、森の方角から重い振動が伝わってくる。足裏から骨を伝い、内臓を揺さぶるような低周波。数日前に森から響いた、あの咆哮と同じだ。

「森から反応! 複数——四、いや五体以上!」

 索敵魔法を展開していた教師が悲鳴に近い声を上げた。

「迎撃班、出撃!」

 先遣の教師三名が飛び出す。上空から火炎魔法を叩き込み、氷結魔法で足止めする——定石通りの迎撃だった。

 轟音が響いた。だが、その後に続くべき魔獣の断末魔はない。

 代わりに聞こえたのは——

「魔法が……効かない!?」

 悲鳴だった。

 鉄心は教室の窓から、その光景を見ていた。

 教師たちの放つ炎が、森の縁に見える黒い影に着弾する。爆炎が上がり、衝撃波が木々をなぎ倒す。だがその煙の中から、影は平然と歩み出てきた。甲殻に覆われた巨体に、焦げ跡一つない。

 隣でリリアーナが息を呑んだ。両手で口元を覆い、碧い瞳が見開かれている。言葉が出てこないのだ。

「あの甲殻……魔力を弾いてる?」

「辺境で聞いた話だ」

 鉄心の脳裏に、セレナの言葉が蘇る。魔法が効きにくい場所。魔力枯渇域。そこで育った魔獣は——

「魔法に、耐性がある」


  ◇


 窓の外で、結界に亀裂が走った。

 光の膜が裂け、そこから最大の一体が姿を現す。体長十メートルを優に超える甲殻魔獣。漆黒の外殻が鈍く光り、六本の脚が大地を踏み抉るたびに地鳴りが走る。腐った卵に似た瘴気が、割れた窓から流れ込んできた。

「——全火力、集中!」

 上位教師が最大詠唱の魔法を叩き込んだ。雷撃、炎柱、氷槍——あらゆる属性が甲殻に激突し、閃光が中庭を白く染める。

 光が消えた後。甲殻魔獣は——微動だにしていなかった。

「……嘘、だろ」

 教師の声が震えていた。

 中庭の端で、人影が動いた。マルクスだった。

 腰が抜けて動けなくなった下級生二人の前に、マルクスが立ちはだかっている。杖を構える手が震えていた。唇は色を失っている。だが——退かない。

「ど、どけ……! 貴族が、平民の前で退くわけには——」

 あの裁定戦の後、鉄心の背中を何度も見た。倒されても倒されても、立ち上がる男の姿を。その記憶が、震える膝を叱りつけていた。

 甲殻魔獣の前脚が振り下ろされた。マルクスの障壁魔法は紙のように砕け、細い体が宙を舞う。壁に叩きつけられ、崩れ落ちた。

「マルクス!」

 カイルが駆け寄り、負傷した下級生を両腕に抱えて走る。

「学院長! 迎撃を——」

「結界を離れれば完全崩壊する!」

 ヴァルターの声が、初めて苦悶に歪んだ。最強の魔導士が、動けない。結界を支え続けなければ、残りの変異種がなだれ込む。だが、目の前の一体すら魔法では傷つけられない。

 ——認めたくはない。だが、これは……魔法では守れない状況だ。

 その事実が、白髪の大魔導士の胸を貫いた。

「学院長は結界を! 生徒の避難は私が!」

 セレナが叫ぶ。

 リリアーナは窓枠を蹴って中庭に降り立っていた。全魔力を注ぎ込んだ最大詠唱。空気が帯電し、銀髪が逆立つ。

「穿て——『天裁の雷槍』!」

 紫電が天から降り注ぎ、甲殻魔獣を直撃した。轟音。閃光。地面が抉れ、衝撃波が残った窓を粉砕する。

 光が晴れる。

 ——ひびすら、入っていない。

 リリアーナの膝が折れた。全魔力を使い果たし、視界が暗転していく。甲殻魔獣が、ゆっくりとリリアーナに向き直った。

 六つの赤い複眼が、無感情に獲物を映す。前脚が持ち上がる。

 ——その時。

 重い足音が、中庭に響いた。

 鉄心が、歩いてきた。

 窓枠を掴み、石壁ごと握り砕いて飛び降りる。地面を踏みしめ、腰から外した拳甲を両手に嵌めた。星鉄鋼の漆黒が、鈍い光を返す。

 ゆっくりと、拳を握る。

「みんな、下がってろ」

 いつもの「おう!」でも「なんとかなるだろ!」でもなかった。

 低く、静かで、有無を言わさない声。

 体育教師が——生徒を守る時の声だった。

 前世の記憶が重なる。台風の夜、校舎の窓が割れた体育館。震える生徒たちの前に立った時、自分は何を考えていた? 何も考えていない。体が勝手に動いた。それだけだ。

 あの時と同じだ。

 守るべきものが、目の前にある。

 鉄心が、一歩を踏み出した。

 踏み込んだ瞬間、足元の地面が沈み込み、衝撃が同心円状に広がって周囲の瓦礫を弾き飛ばした。全身の筋繊維が膨張し、制服の袖が弾け飛ぶ。

 そして——拳甲の星鉄鋼が、蒼い光を放ち始めた。

 微かに。しかし確かに。脈動するように明滅するその輝きは、魔法のそれとは異質な、もっと根源的な力の発露だった。

「あの光……」

 リリアーナが地面に手をついたまま見上げる。瞳が大きく見開かれていた。

「残留マナが……反応して……?」

 結界修復に全神経を注いでいたヴァルターの指が、止まった。

 ——馬鹿な。あれは魔力ではない。ならば、あの輝きは——何だ?

 甲殻魔獣が咆哮した。空気が震え、瓦礫が跳ねる。

 鉄心は、笑った。

 拳を——構えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

転生幼女の国家級チート図書館~本を読むだけで技術が進化する世界で、私だけ未来知識持ちでした~

ハリネズミの肉球
ファンタジー
目が覚めたら、私は5歳の幼女だった。 しかもそこは―― 「本を読むだけで技術が進化する」不思議な異世界。 この世界では、図書館はただの建物じゃない。 本を理解すればするほど、魔道具も、農業も、建築も“現実にアップデート”される。 だけど。 私が転生した先は、王都から見捨てられた辺境の廃図書館。 蔵書は散逸、予算ゼロ、利用者ゼロ。 ……でもね。 私は思い出してしまった。 前世で研究者だった私の、“未来の知識”を。 蒸気機関、衛生管理、合金技術、都市設計、教育制度。 この世界の誰も知らない未来の答えを、私は知っている。 だったら―― この廃図書館、国家級に育ててみせる。 本を読むだけで技術が進化する世界で、 私だけが“次の時代”を知っている。 やがて王国は気づく。 文明を一段階進めたのは――5歳の幼女だったと。 これは、最弱の立場から始まる、知識による国家再設計の物語。 ※本作品は、人工知能の生成する文章の力をお借りしつつも、最終的な仕上げにあたっては著者自身の手により丁寧な加筆・修正を施した作品です。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

ゴミ捨て場領主のクラフト無双 ~最弱魔法【分解と合成】で領地を黄金郷に変えたら、俺を見下していた大貴族令嬢たちが掌を返してすり寄ってきた件~

namisan
ファンタジー
東西南北の大貴族から「毒の川」「凶暴な魔獣」「莫大な借金」を押し付けられ、王国の『ゴミ捨て場』と化したローゼンベルク領。 父と兄を謀殺され、その絶望の領地を押し付けられた無能貴族のアークは、領地の分割を企む高慢な令嬢たち(王女、公爵令嬢、姫将軍など)に嘲笑われていた。 だが、彼には現代の知識と、隠された最強チート能力があった! 触れたものを瞬時に素材に戻し、全く別のモノに作り変える神の御業――【分解と合成】。 「毒の川」を分解して『超高価な宝石と純水』へ! 「魔獣の死骸」と「瓦礫」を合成して『絶対に壊れない防壁』へ! 借金取りには新素材を高値で売りつけ、逆に敵の経済を支配していく。 圧倒的なクラフト能力で、瞬く間にゴミ捨て場を「無敵の黄金郷」へと作り変えていくアーク。 己の敗北を悟り、震え上がる悪徳貴族と高慢な令嬢たち。 さらに、アークの圧倒的な知略と底知れぬ実力は、気高い令嬢たちの本能に深く刻み込まれていく。 「どうか、私をあなたの手駒としてお使いください……っ!」 プライドを完全にへし折られた最高位の美少女たちは、いつしかアークの与える『恩恵』なしでは生きられないほど、彼に絶対の忠誠と依存を誓うようになっていく――。 最弱のゴミ捨て場から始まる、爽快クラフト内政&ざまぁファンタジー、堂々開幕!

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

無限在庫チートで異世界を買い占める〜窓際おじさんが廃棄予定のカップ麺で廃村エルフと腹ペコ魔王を救済したら最強商会ができました〜

黒崎隼人
ファンタジー
物流倉庫で不良在庫の管理に追われるだけの42歳、窓際サラリーマンのタケシ。 ある日突然、彼は見知らぬ森の中へと転移してしまう。 彼に与えられたのは、地球で廃棄される運命にあったあらゆる物資を無尽蔵に引き出せる規格外のスキル「無限在庫処分」だった。 賞味期限間近のカップ麺、パッケージ変更で捨てられるレトルトカレー、そして型落ちの電動工具。 地球ではゴミとされるこれらの品々が、異世界では最強のチートアイテムと化す! 森で倒れていたエルフの少女リリアをカップ麺で救ったタケシは、領主の搾取によって滅亡寸前だった彼女の村を拠点とし、現代の物資と物流ノウハウを駆使して商会を立ち上げる。 美味しいご飯と圧倒的な利便性で異世界の人々の胃袋と生活を掴み、村は急速に発展。 さらには、深刻な食糧難で破綻寸前だった美少女魔王ルビア率いる魔王軍と「業務提携」を結び、最強の武力を物流の護衛として手に入れる! 剣も魔法も使わない。武器は段ボールと現代の知識だけ。 窓際おじさんが圧倒的な物量で悪徳領主の経済基盤をすり潰し、異世界の常識を塗り替えていく、痛快・異世界経営スローライフ、開幕!

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

処理中です...