処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが

ポポリーナ

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妹からの手紙——王都は遠く、しかし無関係ではいられない

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 一通目は「来ないで」という内容になりかけた。レオンハルトの視察情報への警戒が、そのまま筆に乗ってしまった。破棄。

 二通目は「心配しないで」と書いたが、これは嘘だ。心配している。王太子が辺境に来れば、処刑フラグが立つ可能性がある。でもそれをナターリアに伝えるわけにはいかない。破棄。

 三通目。ようやく落ち着いて書けた。

 『ナターリアへ。

 お手紙ありがとう。辺境は忙しいけれど、充実しています。

 父上のことは気にしなくて大丈夫です。あの人は怒っている時より、黙って観察している時の方が怖い——それはお互い知っているでしょう?

 レオンハルト殿下の視察は、来るなら来ていただければ結構ですわ。見せるものはあります。

 あなたのことが心配です。無理をしないで。何かあったら、また手紙をちょうだい。この辺境は遠いけれど、手紙は届きます。

   セラフィーナ 』

 封蝋を押した。ヴァルトシュタインの紋章ではなく、ヘルムガルド領の新しい印——鉄の薔薇。マルクスに頼んで印章を作ってもらったものだ。「花の印なんぞ初めて作った」とぼやいていたが、出来栄えは完璧だった。

 手紙をヨハンに託し、信頼できる行商人に預ける手はずを整えた。正規の郵便ではなく、ナターリアと同じく非公式ルートで。父の目を通さない経路。

「ヨハン、ナターリアからの手紙のルートを調べてもらえますか。公爵家の誰が協力しているのか」

「ヘルガさんに聞いてみます。あの人なら王都の事情にも詳しいはずです」

 ヘルガの情報網は、いったいどこまで広がっているのだろう。辺境の侍女長が王都の貴族の動きを知っているのは、普通ではない。いずれ聞かなければならない。


  ◇


 午後、執務室でギュンターとブレンタールへの商談計画を詰めていた時、ヨハンが慌てた様子で入ってきた。

「セラフィーナ様、ヘルガさんから伝言です。ナターリア様の手紙を運んだ行商人を突き止めたそうです。その行商人は——公爵家の元侍女と繋がりがあるとのこと」

「元侍女?」

「はい。ヘルガさんが言うには、『先代の奥様の元侍女』だそうです」

 先代の奥様。つまり——私の母、エリザベートの侍女。

 ゲームの設定では、エリザベートは病死したことになっていた。それ以上の情報は与えられていない。しかし現実のこの世界では、母の周囲にまだ忠誠を持つ人間がいるということだ。

「……母のことは、後で調べましょう。今は商談が先ですわ」

 感情に引きずられるな。経営者は優先順位をつける。母のことは気になるが、今すぐ動いても情報が足りない。

 ギュンターが腕を組んでこちらを見ていた。

「なんですの?」

「いや。あんたの母親の話が出ると思わなかっただけだ」

「ご存知でしたの?」

「エリザベート・フォン・ヘルツフェルト。没落伯爵家の出身で、薬学の知識があった。辺境の薬草に関する論文を書いていたという噂もある。——商人は人の出自を調べるのが仕事でな」

 母が薬学の知識を持っていた。そしてオルガの亡き夫も王都の薬学院で学んでいた。偶然にしては出来すぎている。

「ギュンター殿、母とオルガさんのご主人に接点はありませんか」

 ギュンターが葉巻の煙を吐いた。目を細める。

「調べてみよう。古い話だが、商人の記録は残る」

 母の伏線を一つ、頭の棚に載せた。いずれ取り出す時が来るだろう。

 話を商談に戻した。ブレンタール港町との取引。ヘルムガルド鋼と薬草を海運ルートに乗せる計画。王都の流通網を迂回し、独自の販路を確立する。前世の物流知識が役に立つ場面だ。海運は陸運の三分の一のコストで大量輸送ができる。問題は、港までの陸路をどう確保するかだ。

「ブレンタールの港湾長はエーベルトという男だ。堅物だが、利の匂いには鼻が利く。鋼のサンプルを持っていけば、話は早い」

「いつ頃伺えますの?」

「来月の初め。船の入港が多い時期で、商人が集まる。あんたの鋼を見せるには絶好のタイミングだ」

 来月。それまでにマルクスの月産十五本を安定させ、品質を維持しなければならない。同時に、レオンハルトの視察が重なる可能性もある。

「ギュンター殿、一つ伺いたいのですが。王都の商業ギルドが辺境の直接取引に目をつける可能性はどの程度ですの」

 ギュンターの顔が一瞬、険しくなった。

「ある。むしろ、目をつけない方がおかしい。辺境ごときが仲買を飛ばして直接取引を始めれば、ギルドの利権が脅かされる。遅かれ早かれ——」

「妨害が来ると」

「来る。問題はいつか、だ。半年後か、一年後か。あるいは——もっと早いかもしれん」

 ギュンターが葉巻を灰皿に押しつけた。火種が消える音が、静かな部屋に響いた。

「だからこそ、早くブレンタールとの取引を確立する。王都の流通網に依存しない販路を持てば、ギルドの圧力に耐えられる」

「攻めの防御ですわね」

「商売で守りに入った奴は、たいてい負ける。あんたも知ってるだろう」

 知っている。前世の会社も、守りに入ってからジリ貧になった。攻め続ける体力がなくなった時が終わりの始まりだった。

 忙しくなる。また寝不足になりそうだ。ヘルガのホットミルクの味を思い出して、自分を戒めた。


  ◇


 その夜、一人で帳簿に向かいながら考えていた。

 ナターリアのこと。

 ゲームの『聖光のエトワール』で、ナターリアは名前だけの脇役だった。セラフィーナの異母妹として設定テキストに記載されているだけで、立ち絵もイベントもない。プレイヤーの記憶にすら残らないキャラクター。

 でも——この世界のナターリアは生きている。手紙を書く。字が丁寧で、言い回しが控えめで、姉を気遣う優しさがある。そして王太子妃候補という重圧の下で、押し潰されそうになっている。

 私がゲームのシナリオを壊したことで、ナターリアの人生も変わった。婚約破棄がなければ、ナターリアが王太子妃候補に推されることもなかっただろう。

 自分の選択が、他人の人生を変えている。前世では考えもしなかったことだ。前世の私は自分のことで精一杯で、他人の人生に影響を与えるほどの力を持っていなかった。

 けれど今の私は、領主であり、姉だ。私の決断が波紋を広げている。

 責任が重い。でも——重さを感じられること自体が、前世にはなかった贅沢かもしれない。

 窓の外で犬が吠えた。夜回りの領民が灯りを持って歩いている。最近、夜の見回りを自発的にやる領民が増えた。自分たちの土地を守るという意識が芽生え始めている。

 ペンを置いた。ヘルガとの約束を守る。今日は五時間寝る。明日は子供たちの授業がある。トビアスが二桁の足し算に挑戦すると言っていた。

 蝋燭を消す前に、もう一度ナターリアの手紙を読み返した。

 『お姉様、お体にはくれぐれもお気をつけて。』

 異母妹に心配されている。前世には妹なんていなかった。家族もいなかった。死んだ時、葬式に来た親戚は叔母一人だけだった。

 この世界には、手紙をくれる妹がいる。ホットミルクを持ってきてくれる侍女長がいる。耳を赤くして「来てよかった」と言ってくれる従者がいる。

 守りたいものが、増えすぎている。

 でもそれは——たぶん、悪いことではない。


  ◇


 翌朝。

 ヘルガが朝食のテーブルで、何気なく言った。

「お嬢様、旦那様から正式な書簡が届いています」

「父から?」

「ええ。公爵家の紋章入りです」

 テーブルの上に置かれた封書。重い羊皮紙。ヴァルトシュタイン家の紋章が深く刻印されている。ナターリアの手紙とは違う、公式の威圧感。

 封を切った。

 『辺境ヘルムガルド領主代行 セラフィーナ・ヴァルトシュタインへ。

 辺境の開発状況について、王都への報告書を提出せよ。

 なお、報告書の内容次第では、今後の処遇について検討する用意がある。

   宰相 アルベルト・フォン・ヴァルトシュタイン 』

 処遇の検討。曖昧な言い回し。だが父の言葉は常に二重の意味を持つ。

 これは脅しか、それとも——手を差し伸べているのか。

 ヘルガが朝食の皿を並べながら、背中越しに言った。

「旦那様は不器用な方ですからね。心配している時ほど、命令口調になるんですよ」

 ヘルガの言葉が本当なら、父は心配しているのかもしれない。でも前世の上司も「お前のことを思って言っているんだ」と言いながら残業を命じていた。心配と支配の区別は、言葉だけでは分からない。

「報告書は書きますわ。ただし——見せたいものだけを見せます」

「お嬢様にしては慎重ですね」

「父との交渉は、慎重なくらいでちょうどいいんですの」

 黒パンを齧った。今朝のパンにもバターが塗ってある。ヘルガは何も言わない。

 報告書の構成を頭の中で組み立てながら、窓の外を見た。井戸の掘削現場から声が聞こえる。新しい井戸はあと三日で完成する予定だ。

 父に見せるのは数字だけでいい。感情は見せない。前世の決算報告と同じだ。事実を並べ、解釈は読み手に委ねる。

 ただし——ナターリアのことだけは、別の手を打たなければならない。妹を政治の駒にさせるわけにはいかない。たとえそれが、ゲームのシナリオ通りの展開であっても。

 朝の光が窓から射し込み、帳簿の上に四角い影を作っていた。新しい井戸の掘削現場から、鉱夫たちの掛け声が風に乗って聞こえてくる。力強い声だ。この土地は変わりつつある。

 父の書簡を引き出しにしまった。返事は急がない。まずは報告書の数字を完璧にする。数字こそが最強の交渉材料だと、前世の経理部時代に叩き込まれた。

 それは今世でも変わらない。
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