黒猫の俺は魔女に大嫌いな人間に姿を変えられちまったので元に戻るためにロックバンドコンテストで優勝目指すことにした

柊るい

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第2章

雨あがりの夜空に

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目の前には暗闇が広がっていた。

右を見ると、木目の壁がある。木の繊維が剥がれかけていた。

それを剥がしていると目の前の暗闇が割け、光が差し込んできた。

その向こうから声が聞こえてくる。

「おーい、黒田もう出てこいよー刺し身買ってきたぞー」裕太の声だった。

「からかって悪かったって。もう笑わないから」和樹の声も聞こえる。

「ゲロはもう片付けたぞ」俊樹の声もする。

俺は三人の声を無視して膝を抱えた。

再び木の繊維を剥がしていく。押し入れの壁は、ボロボロになっているが、そんなことどうでもいい。


あの後、恥ずかしさのあまり、歌詞を書いた紙を食べようとし、喉に紙を詰まらせ、慌てて吐き出し、全てが嫌になり、押し入れに入り込んだ。

狭くて暗い空間は心を落ち着かせてくれる。

しばらくの間、両膝を抱えてこの空間に身を委ねていた。

外では、俺を押し入れから出そうと、三人が躍起になっている様子が伺えた。

それでも、自分のさくらへの想いを知られたことに対する恥ずかしさは、薄らぐことはなかった。

どうしてあんな詩を書いてしまったのだろう。

両手で顔を覆い、足をバタバタさせる。

けれど仕方なかったのだ。

飯を食っているときも眠ろうとしているときも、いつもさくらのことを考えてしまう。

上手い冗談でさくらを笑わせることができた日には、ひたすらそのときのやり取りを頭の中で繰り返した。

しかし、男性客と話すさくらを見た日には、その男とさくらがどんな関係なのか、気になって仕方ない。

そんな日には、飯もろくに喉を通らず、米が一合しか食べられなかった。

「そんなにため息ばっかりついて、恋煩い?」とサラに言われて初めて、自分がため息ばかりついていることに気付く。

サラには、俺がさくらに恋していることは早々にバレていたが、不思議とそこまで恥ずかしくなかった。

それは、女性の前で秘密というものを抱えるのは不可能だという経験を多数してきたからかもしれない。

しかし、なぜ三人にバレてしまうのが、これほど恥ずかしいのだろうか。

とくに裕太には知られたくなかった。


猫のときは、こんなことなかった。

というか、猫のときは他のオスは全員ライバルでしかなかったので、ただ相手を倒し、目当てのメスと交尾することしか考えていなかった。

それが今はどうだ。

さくらと交尾したい。すごくしたい。頭は交尾のことでいっぱいだ。

猫ならば、周辺のオスたちを力任せになぎ倒し(当然底には裕太も含まれている。メスの身内かどうかなどどうでもいい)さくらが発情するまで待てばいい。

それなのに、人間と来たら、メスはいつ発情しているか見た目にはまったくわからない。

オスは、いつかのライブハウスでのサラを見る男たちのように比較的わかりやすいが、メスに関しては本当にわからない。

サラと映画を見ていたときも、さんざん「このメスは発情しているか否か」を判断したが、ほとんど当たることはなかった。

しかも人間と猫のメスでは、オスを選ぶときの判断基準がまったく違うらしい。

猫のメスは身体が大きく、喧嘩が強い猫、つまり俺みたいなオスを好む。

しかし人間の、とくにこの日本という国のメスたちはそういうオスは好まないらしい。

「じゃあ一体どういうオスがいいんだ!?」

「そりゃあ、やっぱり優しい男じゃない。それにメスじゃなくて女性、オスじゃなくて男性」

半狂乱になって髪の毛がグシャグシャになっている俺に、サラが当然のように言う。

その優しさとやらも、詳しく聞いてみるとひどく曖昧なもので、俺にはさっぱりわからない。


しかも人間はいつでも発情している、ということはいつでも生殖器は準備万端ということになる。にも関わらず、人間は性欲をもろに出してはいけないという。

それは、この生殖器も含まれているということだ。

つまり人間はいつでも発情しながら、それを外側に出すことなく、澄まし顔で過ごさなければいけないのだ。

はじめは信じられないと思っていたが、修行を続けているうちに、徐々に生殖器のコントロールはできるようになっていった。

さくらの前でも、交尾のことで頭がいっぱいになりながらも、何でもないかのように会話をすることができるようになっていた。


しかしそうすればするほど、頭の中でいろんな思いが溢れ出し、破裂しそうになった。

感情と理性、それがせめぎあい、頭の中ではいつでも合戦が繰り広げられた。

そこに、さらにライバルの男とか、俺のことを好きなのかとか、さくらが過去に付き合っていた男がどんなだったのかとか、気になることがありすぎて、それがすべて混ざり合ってはぐちゃぐちゃになり、最後には頭が破裂しそうになっていた。

せめてもの救いは、それを音楽に昇華できたことだろう。

こんな風になってから初めて、いかに音楽にラブソングというものが多いかに気づいた。

かつてのロックスターたちも、みんなこんなぐちゃぐちゃな気持ちになっていたのかな、そう思うと自分だけじゃなかったのかと少し安堵もした。

ぐちゃぐちゃな気持ちをなんとか言葉にして、曲にしたのがチェリーブロッサムだったのだ。

文字通り俺の気持ちをこれでもかとぶつけたので、曲の出来に関しては満足している。

しかし、裕太たちに見せる勇気はなかった。それにしばらくして、冷静に見てみると、チェリーブロッサムというタイトルなど、さくらのことだとバレバレではないか。

これは、もう少し時間を置いてから歌詞を書き直そう。

そう思っていたのに。

再び後悔の念に襲われ、壁に頭をごんごんとぶつける。

外から「おい、また頭ぶつけてるぞ」と声がした。

興奮したときには呼吸をするのが良い、というサラの教えを思い出し、息を吸って吐いてを繰り返した。

しばらくすると落ち着いてきた。

先ほどよりも動揺は収まってきたので、そろそろ外に出て良いかもしれない。

刺し身も食べたい。

ふすまの向こうを覗くと、三人の姿が見えた。

外に出ようと腰を上げた瞬間、裕太の声が聞こえた。

「大丈夫だって黒田、姉ちゃんのこと好きだってみんな知ってるから」身体が固まって動かなくなる。

「そうなの?」和樹の声がする。

「うん。毎日うちの店来て、コーヒー飲めないくせにコーヒー一杯で何時間も居座るし、姉ちゃんの手伝い勝手にしようとして怒られるし、常連さんたちは姉ちゃんの彼氏だと勘違いしているし」

ミンナシッテル。

再び体温が、かっと上がるのを感じた。開きかけたふすまを閉じる。

外からは「おい! また引っ込んじゃったじゃないか!」と裕太を責める和樹と俊樹の声が聞こえた。

それから何事かを話していたが、内容までは聞こえない。

ふすまが小さく開いた。そこからスマホがにゅっと差し出される。

画面を見ると、さくらの連絡先が表示されていた。

「姉ちゃんの連絡先教えるから、デート誘ってみれば」

ふすまの向こうから、ぶっきらぼうな声が聞こえる。

どうやら、裕太なりに俺を応援しようとしてくれているらしい。スマホを受け取った。

押し入れから這い出ると、なぜか全員でさくらへのデートの誘い文句を考えることになった。

裕太がさくらの好きなものを列挙し、和樹が豊富な恋愛経験を活かした「確実に女を落とす」ためのデートプランを上げ、俊樹がどこからか持ってきたホワイトボードにそれを書き込んでいった。

不思議と恥ずかしさは消えていた。

もうどうにでもなれという気分と「ターゲット:白石さくら」「目標:告白を成功させる」と書かれた文字が、軍事作戦のように見えるからという理由が大きい。

それから、練りに練った文面をさくらに送って、(第一工程:まずは裕太から連絡先を聞いたということ、軽い世間話からの最近の様子、スケジュールについて伺う)タイミングを見てデートに誘った。

(第二工程:ターゲットの好きなもの、気になっている店に誘う「上野に、ハンバーグがとびきり美味しいお店があるんだけど、一緒にどう?」)

とはいえ、計画通りには進まない。途中、さくらからの返信が来なくなり、全員絶望に打ちひしがれた。(「ごめん、接客してて返信遅れちゃった(汗マークの絵文字)」と連絡が来たときは、胸を撫で下ろした)

それでも何とかデートに誘うことに成功したときには、サッカーで贔屓のチームがゴールをしたかのような盛り上がりになった。(「行きたい! ハンバーグ大好き!(ハートマークの絵文字三つ)」)

見事、目標を達成した俺たちはそのままの勢いで、再び曲作りへと戻った。

俺が録音した他の曲を聞いてもらい、全員で演奏し、ところどころ微調整をし曲を完成させた。

この日は結局、『オレはネコ』『My Beat』『君の耳は小さい』の三曲が完成した。
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