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第一章
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アウロラは、基本、一日を噴水のある小さな池畔を囲う大理石に身を預けて、何をするわけでもなく、怠惰に過ごしている。
部屋の中でも、外でも大した違いはないが、水場というのは利便性があるし、すぐに洗うことができるから都合が良い。
そして、何を差し置いても、この閑散とした空気が、精神を良好に保つことに役立っている。
この身体になって一ヶ月。
あらゆる自死の方法を試したが、死という概念を与えられず、ただ痛みや苦しみを肉体に感じるだけの行為は早々に断念し、諦観の境地に至る今日この頃。
身体の持ち主の記憶は、名前以外は一切と言っても差し支えないほどに残っていない状態なので、彼が、この世界で、具体的に何を成していたのかは分からないが、少なくとも、激痛で苛まれた身体の現状は、残念ながら維持されており、この後宮内で働く数少ないメイド達使用人も、相も変わらず、無関心を貫き、完全な放置状態のままである。
皇族の扱いとしては、最悪なものだろう。
部屋も碌に掃除をされず、食事も与えられていない。
まぁ、例え物を口にしたとしても、結局は吐瀉して無駄になるだろうから、どうでもいいのだが。
ならば、このまま餓死してしまいたいと願うのだが、因果がそれを赦さない。
あれから水以外の物を口にしていないのに、肉付きも減っていないこの身体が良い証拠だ。
恐怖や驚愕を通り越して、最早呆れしか残っていない。
「……ぅ、え」
大理石で造られた池の縁に身をよじ登らせ、揺蕩う綺麗な水面に、不快感を吐き出す。
痛苦な身体には耐性の付く気配も感じないが、喉から血液が逆流するこの感覚にも慣れたものだ。
「ぁ、っう……」
諦めは、時として肝心である。
世界の意志が、役目を課すというのなら、どう足掻いたとしても、無益にしかならない。
反旗を翻す気力はない。
だからと言って、物語の通りに行動する気も起きない。
---どうでもいい……。
水面に映る、鬱屈とした黒に染まる瞳が、自身を射抜く。
誰とも関わり合いになりたくもないし、面倒事に自ら首を突っ込む必要性を感じない。
恐らく、何もしなくとも、世界の修正力が勝手に働くだろう。
変化なき、無意味な日常を過ごす。
そして、この世界から退場する切符を手に入れる。
それが、虚無感と絶望感を身に宿したアウロラの導き出した、一縷の希望も含まれていない唯一の解答だった。
◇◇◇
世は無常である。
そして、変化とは常に唐突だ。
「殿下、朝食のお時間です」
目を覚ますと、妙齢のメイドが部屋にいた。
顔を見なくても分かる、滲み出る見下した態度。
凡そ、使用人の取る立ち振る舞いではない。
「早くお着替え下さい」
だが、それを指摘する気は毛頭無かった。
時間の無駄だからである。
「……どうしてだ?」
アウロラは、メイドに問うた。
疑問が湧くのは、当然であろう。
今まで、不干渉を貫いてきた人間が、突如として、目の前に現れて、剰え、着替えを急かすなど、奇妙以外の何物でもないからだ。
「……皇女殿下のお慈悲です。感謝なさって下さい」
返ってきたのは、はぁ、と吐かれた溜息と嘲りの混じった言葉。
だが、どうしてだろうか。
苛立つ感情が、微塵も湧いてくる気がしない。
---あぁ、どうでもいいからか。
この帝国に、皇女殿下という肩書きを持つ者は、二人いるが、十中八九、エステラのことで、間違いはないだろう。
エステラは、小説の中で、アウロラに、どのような嫌がらせをされても、決して恨むことはなく、反対に、常に彼のことを気に掛けていた人物だ。
それに、アウロラの死を悼んだ、唯一の存在であるとも、描写されていたからだ。
---……最悪だな。
アウロラは、頭を痛めた。
メイドの言葉を理解したからだ。
皇帝の寵愛を受けるエステラと違って、名ばかりの皇子であるアウロラは、皇族の食事会などに呼ばれたことなどなかった。
恐らく、そこに疑問を持ったエステラが、皇帝に働きかけてくれたのだろう。
確か、小説内でもそんな描写があったような気がする。
本物のアウロラなら、家族との初めての食事に心を躍らせ、足早に支度を始めただろう。
だが、今のアウロラにとって、それは、有難迷惑というものだった。
---仕方ない、か……。
小説の中で、皇帝は、アウロラがどんなに努力しようとも、眼中に入れることはせずに、ただ粗略に扱った。
それは、アウロラの、現在進行形で最低最悪な環境を鑑みれば、この世界でも同じだと言えるだろう。
だが、今回、アウロラの席を用意されたのは、エステラの力が大きい。
彼女が悲しめばどうなるか、ある程度の予測が付く。
罰が死であるならば重畳だが、心優しいエステラは、必ず庇ってくるはずだ。
そして、彼女にだけは甘い、暴君の皇帝も、命だけは見逃してくれるだろう。
いつ襲われるかも分からない身体の激痛が悩ましいことだが、此方には選択肢などない。
---はぁ……。
ずしり、と身体が重くなるのを感じた。
内心で深い溜息を吐きながら、アウロラは、その重苦しい腰を、ベッドから上げたのだった。
部屋の中でも、外でも大した違いはないが、水場というのは利便性があるし、すぐに洗うことができるから都合が良い。
そして、何を差し置いても、この閑散とした空気が、精神を良好に保つことに役立っている。
この身体になって一ヶ月。
あらゆる自死の方法を試したが、死という概念を与えられず、ただ痛みや苦しみを肉体に感じるだけの行為は早々に断念し、諦観の境地に至る今日この頃。
身体の持ち主の記憶は、名前以外は一切と言っても差し支えないほどに残っていない状態なので、彼が、この世界で、具体的に何を成していたのかは分からないが、少なくとも、激痛で苛まれた身体の現状は、残念ながら維持されており、この後宮内で働く数少ないメイド達使用人も、相も変わらず、無関心を貫き、完全な放置状態のままである。
皇族の扱いとしては、最悪なものだろう。
部屋も碌に掃除をされず、食事も与えられていない。
まぁ、例え物を口にしたとしても、結局は吐瀉して無駄になるだろうから、どうでもいいのだが。
ならば、このまま餓死してしまいたいと願うのだが、因果がそれを赦さない。
あれから水以外の物を口にしていないのに、肉付きも減っていないこの身体が良い証拠だ。
恐怖や驚愕を通り越して、最早呆れしか残っていない。
「……ぅ、え」
大理石で造られた池の縁に身をよじ登らせ、揺蕩う綺麗な水面に、不快感を吐き出す。
痛苦な身体には耐性の付く気配も感じないが、喉から血液が逆流するこの感覚にも慣れたものだ。
「ぁ、っう……」
諦めは、時として肝心である。
世界の意志が、役目を課すというのなら、どう足掻いたとしても、無益にしかならない。
反旗を翻す気力はない。
だからと言って、物語の通りに行動する気も起きない。
---どうでもいい……。
水面に映る、鬱屈とした黒に染まる瞳が、自身を射抜く。
誰とも関わり合いになりたくもないし、面倒事に自ら首を突っ込む必要性を感じない。
恐らく、何もしなくとも、世界の修正力が勝手に働くだろう。
変化なき、無意味な日常を過ごす。
そして、この世界から退場する切符を手に入れる。
それが、虚無感と絶望感を身に宿したアウロラの導き出した、一縷の希望も含まれていない唯一の解答だった。
◇◇◇
世は無常である。
そして、変化とは常に唐突だ。
「殿下、朝食のお時間です」
目を覚ますと、妙齢のメイドが部屋にいた。
顔を見なくても分かる、滲み出る見下した態度。
凡そ、使用人の取る立ち振る舞いではない。
「早くお着替え下さい」
だが、それを指摘する気は毛頭無かった。
時間の無駄だからである。
「……どうしてだ?」
アウロラは、メイドに問うた。
疑問が湧くのは、当然であろう。
今まで、不干渉を貫いてきた人間が、突如として、目の前に現れて、剰え、着替えを急かすなど、奇妙以外の何物でもないからだ。
「……皇女殿下のお慈悲です。感謝なさって下さい」
返ってきたのは、はぁ、と吐かれた溜息と嘲りの混じった言葉。
だが、どうしてだろうか。
苛立つ感情が、微塵も湧いてくる気がしない。
---あぁ、どうでもいいからか。
この帝国に、皇女殿下という肩書きを持つ者は、二人いるが、十中八九、エステラのことで、間違いはないだろう。
エステラは、小説の中で、アウロラに、どのような嫌がらせをされても、決して恨むことはなく、反対に、常に彼のことを気に掛けていた人物だ。
それに、アウロラの死を悼んだ、唯一の存在であるとも、描写されていたからだ。
---……最悪だな。
アウロラは、頭を痛めた。
メイドの言葉を理解したからだ。
皇帝の寵愛を受けるエステラと違って、名ばかりの皇子であるアウロラは、皇族の食事会などに呼ばれたことなどなかった。
恐らく、そこに疑問を持ったエステラが、皇帝に働きかけてくれたのだろう。
確か、小説内でもそんな描写があったような気がする。
本物のアウロラなら、家族との初めての食事に心を躍らせ、足早に支度を始めただろう。
だが、今のアウロラにとって、それは、有難迷惑というものだった。
---仕方ない、か……。
小説の中で、皇帝は、アウロラがどんなに努力しようとも、眼中に入れることはせずに、ただ粗略に扱った。
それは、アウロラの、現在進行形で最低最悪な環境を鑑みれば、この世界でも同じだと言えるだろう。
だが、今回、アウロラの席を用意されたのは、エステラの力が大きい。
彼女が悲しめばどうなるか、ある程度の予測が付く。
罰が死であるならば重畳だが、心優しいエステラは、必ず庇ってくるはずだ。
そして、彼女にだけは甘い、暴君の皇帝も、命だけは見逃してくれるだろう。
いつ襲われるかも分からない身体の激痛が悩ましいことだが、此方には選択肢などない。
---はぁ……。
ずしり、と身体が重くなるのを感じた。
内心で深い溜息を吐きながら、アウロラは、その重苦しい腰を、ベッドから上げたのだった。
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