死後九百年

武蔵のん

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3章 Day and Day

3話 ヒサメ・メランコリカの憂鬱

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 王立国家ディランにおいて騎士警備団は、基本、男所帯である。
 女性の団員がまったくいないというわけではないのだが、どうにも男女比が激しく偏る。
魔獣や敵対勢力から国を護るために武器を振り、魔法を発揮し、あるいはその後方援護や回復支援をする。崩壊した建物の修繕に駆り出されることも、緊急時であればひとを抱えて移動することもあるだろう。体力や腕力といったものが求められることは多い。それで、自然と男性団員の割合が大きくなるのかもしれない。
 ゆえに、女性団員が二人も入ってくれば当然、話題に上る。



 ***



 音程のずれた鼻歌とともに、リュウヤは階段を駆け下りた。左手に木剣、右腕に紺の上着。あと数分で午後の集団実技訓練が始まる。いっそげ、いそげ、とまったく焦っていない様子で口ずさんだ。

 騎士警備団に入団して三週間が経つ。
 ようやくこの生活に慣れてきた。朝早く起きたら、王都の真ん中にある本拠地へ。座学講義を受け、午後からは体を動かし、汗だくになって薬屋へ帰る。ほぼ「生前」の学校生活みたいなものだ。慣れた、というか、以前の生活を思い出してきた、という方が感覚としては近い。懐かしさ半分、学ぶことの目新しさ半分だ。
 座学では、言葉遣いや礼儀といった初歩的なマナーから始める。毎時間の冒頭に簡単なおさらいをし、それからディラン王国の歴史や現在の情勢、魔法学の原理に基礎理論と、各回異なった内容の授業に移る。最近では、魔法学理論から発展して異種族の特性の概要、さらにはディランと古くから交流のある隣国との関わりについて……と、内容が少しずつ難しくなってきた。ちなみに、午前中の座学講義は二つのパートに分かれている。前半で魔法学、休憩を挟んで後半には歴史や世界情勢、といった形で進められることが多い。
 リュウヤは勉強があまり得意ではないが、それなりに食らいついている。
 時折うつらうつらと舟をこぎつつ、起きたところで真っ先に耳へ飛び込んできた単語を書き留める。多少メモが訳の分からないことになっているのはご愛敬。たまに同期のティム・トレーニーという青年が講義内容を補足してくれるので助かっている。
 今日も、途中から授業の記憶がない。というわけで、実技訓練が終わったら、ノートを見せてもらえないかとティムに打診してみよう。そう考えながら、リュウヤは最後の数段を一気に駆け下りた。

「うおっ」

 階段の横、陰になっているところに一人の団員がうずくまっている。
 すっ転びかけたリュウヤは体勢を戻しながら、背を丸めた人物へ声をかけた。

「えっと……どした? 体調悪い?」

「ひぃ!」

 膝に鼻先を押し当てるように蹲っていた団員は短く叫ぶとともに、ガバッと顔を上げた。ちょうどその額がリュウヤの頭とぶつかる。

「いってぇ!」

「痛ぁい!」

 双方、衝突した部位を手で庇う。

「ご、ごめんな。痛かったろ」

 リュウヤは目の端に涙を浮かべて謝る。鼻の奥がツンと瞬発的に強く突かれたようだ。結構しっかりぶつけたらしい。
 もう一方の人物――少女は、ふるふると首を横に振った。

「いえ……こちらこそ」

 聞き取れるか否か瀬戸際の音量で言い、ぐすん、と洟をすすり上げる。
 その顔を見て、薄暗い陰の中ながら、彼女もリュウヤと同じ新入団員の一人だと気付いた。団員たちは男ばかりのため、彼女のような年若い華奢な少女は目につくのである。
 青みがかった黒髪は短く、耳のすぐ下で毛先がちらちらしている。ぱつん、と綺麗に切り揃えられていて、よく手入れされていることが窺える。潤んだ双眸は深海を映した色で、こぢんまりした顔立ちを可愛らしく彩っている。全体的に身綺麗な、いいとこのお嬢さんといった感じだ。
 ただ、名前までは憶えていない。何て子だっけ。
 ――と、ふとリュウヤは我に返る。希少な女性団員との邂逅ということで、思わず見つめすぎてしまったらしい。誤魔化すように慌てて自身の上着の襟や裾が曲がっているのを直す。
 そのとき、午後の業務開始を知らせる鐘の音が低く響いた。

「あ」

 リュウヤは、ぽっかりと口を開けて間抜けな声を漏らした。
 遅刻である。
 傍で、帰りたい、と小さく呟くのが聞こえた。



 ***



 幸いなことに……とでも言おうか、遅刻は咎められなかった。
 本拠地から程近い場所にある第一修練場に走り寄ると、こちらに背を向けて乱雑に並んでいる制服たちが見えた。リュウヤは慌ててその後ろにつく。先の少女団員も同様に、びくびくと肩を震わせながら足取りを緩めた。

「どしたん、遅かったじゃん」

 こそっと横の団員がささやいた。薄紫の短い髪に羽毛の生えた腕を持つ青年である。彼とは先週、実技訓練で同じグループを組んだ。あれ以来、ちょこちょこ話しかけられる。

「あー、ちょっと迷っちゃって」

「ふぅん。珍し、リュウヤが遅刻するとか」

「はは……」

 リュウヤは苦笑する。

「そいで、いま何してんの?」

「一対一で手合わせしてる。一本先取で基本は木剣、どうしても難しい場合は基礎魔法だけ使っていいらしい。相手に怪我はさせちゃだめ、加減を調整しながら使え、だと」

 ほれ、と団員が前方を指差した。
 紺色の制服たちの中心がぽっかりと空いている。団員たちの足が踏みしめる地面には白線が引かれており、六つの区画に分けられていた。それぞれ二人ずつ、木剣を構えて対峙する青年たちが見えた。

「次、三コートでティム・トレーニーとデイヴィス・リーガー。五面に、ニマ・メイメイ、フルータ・ミュゼラット。六面に、リュウヤ、ヒサメ・メランコリカ。各自入って始めなさい」

 黒い手帳を持った中年男性の教官がメガホン片手に声を張り上げた。
 名前を呼ばれたリュウヤは紺色の波をかき分け、修練場の中心へ出る。向かっていちばん右の方に「一」を示す数字が白線で引かれていたので、反対側の端っこのコートに入る。

「りゅーやぁー」

「気張れ~」

「相手が女子だからって力抜くなよぉ!」

 ちょうど近くにいた団員たちから野次が飛んだ。ぱっとそちらを見れば、長い前髪と右腕をぶんぶん振るゾユをはじめに、顔見知りの団員たちがいた。楽しそうで何よりである。うるせえ、とリュウヤは軽く返した。

「あっ、あ、あ、あの……!」

 コートの向かい側から、消え入りそうなほど掠れた声が聞こえた。
 リュウヤが顔を正面に戻すと、対戦相手の団員が立っていた。

「あ、すんません。百十六期入団員、リュウヤです。手合わせ、よろしくお願いします」

 修練場で団員同士の手合わせ――対人戦闘訓練を行う際は、礼から始めて礼に終えることを指導されている。誰に声を掛けてもよいが、自らの名と手合わせ希望の旨を伝え、承認されなければその相手と戦闘訓練をすることはできない。
 リュウヤもその規則に倣い、ぺこっと頭を下げる。

「ひゃ、ひゃくじゅうろきゅだんいん、ヒサメ・メランコリカです。う、うけ、たまわりました、よろ、よろしくお願いします……」

 雪解け水のような声がたどたどしく承認の言葉を紡ぐ。相手の顔を見ると、本拠地の階段横にいた少女だった。おどおどと身を縮めるように木剣を握りしめている。すんごい緊張してるけど大丈夫かこの子。
 改めてお互いに一礼し、二人はそれぞれ木剣を構えた。

(剣はまっすぐ。目線もまっすぐ。腰を少し落として、足はしっかり踏ん張る)

 昨日以前に教官が言っていたことを、頭の中で一つずつ復唱する。
 キッと少女――ヒサメを見据え、リュウヤは足を踏み出した。

「ひゃ」

 猪のごとく突進してくるリュウヤに、ヒサメは短く悲鳴を上げた。振り下ろされた彼の木剣を自らのそれで受け止める。堅い木と木のこすれる音がした。ぎぎぎ、とリュウヤは一旦相手から距離を取り、また果敢に木剣を突き出す。ヒサメは今にも泣き出しそうな表情で防戦する一方だったが、リュウヤの振る剣撃すべてをいなしている。

「おーいリュウヤあ、負けんなよー」

 間延びした声で叫ぶのはゾユだ。どこから持ってきたのか、小型のメガホンをご丁寧に口元へ当てていた。あいつ楽しんでやがる。

「おい、女子の方さ、すごくね?」

「だよな。俺も思った」

「リュウヤの攻撃、全部防いでるもんな」

 手合わせ訓練を見守る団員たちが、ひそひそ喋り合う。
 その言葉が耳に入ったか否か、ヒサメがさらに身を縮めた。深青の両目に涙が溜まっていく。

(そろそろ攻撃当てたいな)

 リュウヤは長く息を吐き、呼吸を整えた。じり、と右足を引く。瞬時、彼の身体はバネのように前へ駆け出した。
 鋭く、素早く。
 すべて防がれてしまうなら、その前に相手の懐へ潜りこむ。
 ヒサメの手から木剣を落とすか、彼女の背中や腕に軽く……ほんの軽く触れる程度、木剣を当てて動きを封じれば。

(おっしゃ、いける!)

 リュウヤが木剣を握る力を強めたときだった。

「ヒサメちゃーん! かわいいー!」

 ゾユのあっけらかんとした大声が響いた。
 周囲の団員たちが呆気にとられる。
 リュウヤも同様に勢いを削がれ、その拍子に地面につまづいてすっ転んだ。

「おわ」

 ぐらつく視界の中、俯いたヒサメの肩が、がくんと大きく揺れたのが見えた。
 ――と、白いシャツの襟首を急に強く引っ張られた。そのまま、視界と自分の身体とが大きく一回転する。ハンマー投げのハンマーのようにぐるり、ぐるりとリュウヤの身は回され、遠心力が大きく加わったところで自分を引っ張っていたものが離れた。

「え、」

 投げ出された青年の身体は宙に綺麗な弧を描いて、観戦していた団員たちのど真ん中目掛けて落下てする。

「えええええええええ!?」

 リュウヤの後頭部が、メガホンを手に慌てるゾユのおでこにクリーンヒット。
 崩れ落ちて目を回す二人に、周囲はあわあわと声をかけたり、抱え起こしたりする。

「チッ、騒いでんじゃねえよ馬鹿雄どもが」

 リュウヤを投げた張本人――ヒサメが、両手を叩いて埃を落とす。

「散々喚きたてやがって。うっせえんだよ」

 吊り上がった目。
 苛立たしげに舌打ち一つ。
 仁王立ちのまま、華奢な細腕を生意気そうに組む。
 その表情は、先ほどまでの怯えた涙顔とまるで異なるものだった。



 ***



「うっうっ……ほんとにごめんなさぁい…………ううっ……」

 ヒサメが膝をつき、医務室の床に形の良い頭をめりこませる。

「いや、ほんとにもう大丈夫だから。おでこ上げてヒサメさん、赤くなってる」

「だってゾユさんまだ臥せってるじゃないですかぁ」

「ゾユは元気馬鹿だから、あと二十分くらい寝たら満足するよ。大丈夫だよ」

 リュウヤは苦笑して、ベッドに横たわるゾユを指で示した。うっすら消毒液の匂う清潔なシーツの上、彼は「うちゅうたんじょういらいのしょうげき……」とか何とか呟いている。長い前髪で覆われているため、目を回したままなのかも判別できないが。すぴすぴと寝息も立てているので、もうしばらくしたら起きるだろう。
 ちなみに、この医務室には「主」と呼ばれる者がいるらしい。リュウヤはまだ会ったことがない。常にこの部屋にいるそうだが、今は偶然どこかの大佐に呼ばれたか何かで席を外していた。
 ヒサメに投げ回された後、二人は周囲の団員によって医務室へ運ばれたと聞いた。
 終業の鐘の音でリュウヤは目を覚ました。
 直後、身体に走る鈍痛。加えて連日の筋肉痛の残り。思わず、「ぐえ」と潰れた蛙のような情けない声を漏らしてしまった。
 彼が呻いていると、突然ベッドの傍らにいた人物が動いた。青がかった黒髪の少女、ヒサメだった。その肩越しに、隣のベッドでゾユが寝ているのが見えた。
 ヒサメは唇をひん曲げた顔で、リュウヤに向き直る。
 そして、がばっと勢いよく床に手と膝をつき、深々と頭を下げた。
 いわゆる、「土下座」というやつである。

(何がどうなってこの状況⁉)

 ――そうして現在に至る。

「えっと、その、本当に大丈夫……なんですか? お怪我とか……」

 ようやく土下座を止めてくれたヒサメが、たどたどしく訊ねた。

「うん。あんまり強くは打ってないっぽいし、一晩寝れば回復するかな」

 リュウヤは肩をぐるぐる回してみせる。寝起きこそ身体が怠かったものの、ちょっとずつ頭が冴えてくるのに伴って鈍い痛みは引いていった。
 肉の薄い脚を折り畳んで座りこむヒサメが、ほっと小さく息を吐いた。

「よかったですぅ……。わたしの投げ方が悪くて、しばらく休みを取らなくてはならない使用人もいたくらいですから」

「はは……」

(笑えねえ!)

 ぞっと背筋が粟立つ。
 リュウヤは口角を引きつらせたが、そうだ、と不意に膝を打った。

「あ、そんで、訊いていいかな? さっきの。『あれ』もヒサメさんなんだよね?」

「ひぅ」

 ヒサメが罠に捕まった雛鳥のような声を上げる。

「や……やっぱり気になります、よね。そうですよね……」

 そう。訊きたいのは、リュウヤが気を失う寸前に見た少女のことである。
 ヒサメと同じ髪型、眸、顔立ち、背格好をしていながら、浮かべる表情が随分と大きく違っていた。いま目の前にいる彼女はおどおどと気弱で、腰の低い言動をとる。対してあのときの「ヒサメ」は苛立ちを顕わにし、傲岸たる物言いだったのを記憶している。
 深海のような色合いの両目を伏せ、ヒサメは短く溜め息をついた。

「……わたし、魔獣の呪い持ちなんです」

「呪い?」

「その……幼い頃、弟と森で遊んでたら、魔獣に襲われたんです。弟を守ろうとしたけど駄目で。たまたま魔獣に石を投げたら当たって、そこから流れた血にたまたま触れちゃって。家に帰れたのはよかったけど、三日くらい下がらない高熱が出て、起きたらこんな感じになっちゃってて。それで、えっと、緊張とかストレスが溜まると、さっきみたいにわたしじゃない人格が現れるんです」

 魔獣。
 体内を巡る魔力の強さが高じて、禍々しい瘴気を宿すようになった獣。
 その瘴気は毒に等しい。血の一滴が土に零れれば土壌はたちまち汚染され、農作物を育てることも叶わなくなる。人体が浴びれば、強い負の魔力として効力を発揮する。魔獣の瘴気に触れた人間は、生涯解くことのできない「呪い」を背負うか、もしくは命を失う。
 騎士警備団に魔獣駆除の依頼が多いのは、普段から戦闘用に訓練していない者たちが対峙するにはあまりに危険すぎるからだ。魔獣の血に触れないよう注意を払っていれば、気付かぬうちに爪で肉を抉られる。押し潰される。全身を喰い尽くされる。
 人々の平穏な暮らしに害を及ぼす存在。
 畏怖と嫌悪を込めて、それらは「魔獣」と名付けられた。
 というようなことを、確か先週あたりに座学講義で教わった。睡魔から必死に抗っていたために、ぼんやり記憶ではあるが。

「……こっ」

 洟と嗚咽とを含んだ少女の声は、喉に綿を詰まらせたような響きを以て発される。

「こんなの、気味悪いですよね。ストレスが最高潮に達したら人格が変わるとか、安心して付き合ってられないですよね。わたしの知らないうちに嫌なこと言っちゃってるし、謝っても繰り返しちゃうし、……友達なんかできないって自分でも分かってるんです」

 ヒサメが床を見つめたまま言った。大きな目に涙をいっぱい溜めている。
 薄い布団を押しのけ、リュウヤはベッドから足を下ろした。ヒサメの正面に向き合う位置にとてとてやってきて、床上に座る。

「気味悪くない」

 え、と小さく零し、涙に潤んだ双眸がこちらを見た。
 リュウヤは彼女をまっすぐ見据えて、言葉を重ねる。

「おれはまだ、どういうことなのかよく分かんないから、恰好いいとか軽率に言えない。でも、気味悪くないよ。だってヒサメさん、ちゃんと説明してくれたじゃん。おれが解るように、ちゃんと」

 華奢な肩が、声が、震えている。ずっと。
 自分の制御できない「自分」のことを打ち明けるのは、勇気が要っただろう。それが魔獣の呪いに由来することも、周囲から孤立していくことも。
 怖くて、不安で、どうしようもなくて。
 でも、彼女は話してくれた。
 曖昧に誤魔化すことなく。
 だからリュウヤも、目を背けることなく接したい。

「ヒサメさんが嫌じゃなかったら、もう一人のヒサメさんとの上手い付き合い方、探そ。ゆっくりでいいよ。おれも、たぶんゾユも、一緒にいるからさ」

 彼はそう言い切る。
 途端にヒサメの涙腺が崩壊したらしく、どばどばと制服の裾に染みがつくほど溢れさせた。赤くなった鼻先を指先で覆う。おろおろ腰を浮かせるリュウヤに、ヒサメは紅潮した頬を和らげて何度も頷いた。



 数日後。

「あ? テメエ何つったよ愚男が」

「わーっ待って待ってヒサメ! どうどうどう」

 自由訓練の時間中、しつこく絡んでくる団員たちにブチ切れたヒサメを宥めるリュウヤの姿があったことは、また別の話である。
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