愛しのアリシア

京衛武百十

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ロボットメイド、アリシアの愉快な日常

1日目 アリシア、立ち直る

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アリシアは、泣いていた。涙を流す機能はないのに、それは紛れもなく泣き顔だった。そして深々と頭を下げて言った。

「ご気分を害してしまって、本当に申し訳ございませんでした。もう二度と千堂様にご迷惑をおかけすることは致しません…」

その姿があまりにも小さく見えて、痛々しく見えて、千堂は胸が苦しくなるのを感じていた。

「いや……そうじゃない、そうじゃないんだ、アリシア……悪いのはお前じゃない…」

拳を握り締め、絞り出すように彼がそう言うと、アリシアはハッと顔を上げた。その瞬間、彼女は自分の体が包み込まれるのを感じていた。千堂が、彼女を抱き締めていたのだ。

「そうだ……お前は悪くない。お前は心を持つようになってまだ一か月ちょっとの、いわば赤ん坊なんだ。赤ん坊が甘えたがるのは当たり前のことだ。それを受け止めきれなかった私が未熟だっただけだ」

アリシアを抱き締めたまま、彼はそう言った。それは、千堂の心の声だった。彼に対して媚びを売るように振る舞う彼女をラブドールのようだと思ってしまったのも事実だが、まだ心を持つようになって、心のようなものを持つようになって少ししか経っていない彼女を、自分が守るべき赤ん坊のような存在だと思っているのもまた事実なのだ。そして、確かに後者の気持ちの方が遥かに大きいものだった。今の千堂の気持ちの大部分を占めているものだった。その気持ちに嘘はないのである。

「千堂様…千堂様ぁ……」

自分を包み込んでくれる大きな体に縋りつくように、アリシアも千堂を抱き締めた。抱き締めて、泣いた。彼が自分を嫌いになったのではないと感じられて、安心して泣いた。涙は流れなかったが、確かに彼女は泣いていた。それは完全に、父親に甘えて泣く人間の少女にしか見えなかったのだった。

時間にして十数分、二人はそうして抱き合っていた。そしてどちらからともなく体を離し、見詰め合った。自分を見詰める優しい瞳を見て、アリシアは目を瞑り、心もち唇を差し出すような仕草を見せた。そんな彼女に彼は、そっと額に唇を触れさせたのであった。

「千堂様…?」

てっきり唇にキスしてもらえるものだと思ったアリシアは、また悲しそうな表情で千堂を見た。自分はまだ許されていないのかと感じたのだ。しかしそうではなかった。彼は怒っていたのではなかった。

「ごめん。お前に節度を教えるのが私の役目だったにも拘らず、あの時はうっかりしていたんだ。私は君を家族として迎えた。だからあくまで家族としての節度を君に教えていきたいと思う」

千堂の言う『あの時』とは、アリシアにせがまれて唇にキスを返してしまった時のことだった。彼女のことを赤ん坊のようなものと言った彼だったが、人間の生活空間で共に時間を過ごす存在として当然わきまえるべきことがあるという程度のことは知っているアリシアは決して本当の赤ん坊ではない。だから赤ん坊にキスするように軽々しくキスを返したのは自分の間違いだったと言っているのであった。

アリシアにも、それは理解出来た。理解出来たが、納得は出来なかった。

「む~」

っと、唇を尖らせて、不満げな顔を彼に向けた。そうするとますます彼女は幼く見える。そんな彼女に千堂は微笑んだ。

「そんな顔をするな。そんなんじゃ立派なレディーとは言えないぞ」

そう言いながら、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。小さな子供にするように撫でた。

「千堂様だって、そんなの紳士がレディーにすることじゃありません!」

くしゃくしゃと撫でられたウイッグを整えながら、アリシアは不平を口にした。それもやっぱり、人間の少女のようにしか見えなかった。

「そうだな。失敬」

千堂も、バツが悪そうに自分の頭を掻く。己の未熟さを改めて実感させられていた。二人は改めてリビングに戻り、彼はコーヒーを所望した。彼女もそれに応えて、コーヒーを淹れ始めた。コーヒーメーカーが作動している間、彼はアリシアに話しかけた。

「あの日、君に再会出来たことを本当に感謝したよ。私は神は信じないが、そういうものがいるとすれば這いつくばって礼を言いたいと思ったくらいさ」

それは本心だった。彼は本気でそう思っていた。それが分かるから、アリシアも彼のことを愛したのだ。

「千堂様……あの時は、私も本当に嬉しかったです。もう二度と千堂様に会えないことは覚悟していた筈なのに、近くまで来てらっしゃることに気付いて我慢が出来なくなってしまいました」

それもまた、本心だった。彼を守る為に戦い、そして破壊されても本望だと彼女も本気で思っていた。それが分かるから、千堂も彼女のことを大切に思えるのだ。彼は言った。

「あの姿を私に見られるのは恥ずかしかっただろうに、よく私の前に出てきてくれた。おかげで私は今、お前と一緒にいられるんだからな」

それは、彼が戦いの軌跡をたどった最後の地で、彼女が自分から会いに来てくれたことについてだった。するとアリシアが照れ臭そうに応えた。

「えへへ、でも、確かにあのボロボロの状態は恥ずかしかったですけど、こうやって新品みたいに綺麗になってしまうと、それはそれでちょっと寂しいですね」

激しい戦闘により傷付いた当時の自分の姿を思い出しているようだった。

「なに…?」

千堂が、『ちょっと寂しい』と言ったことに反応する。それを待っていたかのように彼女は言った。

「今から思ったら、特に、顔の半分を隠してるのと、腕が違ってたのと、脚が海賊みたいになってたのはカッコよかったかも知れないです」

そう、あの戦闘で彼女は顔の半分と、左腕と、右足の膝から下を失い、それを千堂に見られたくなくて彼の前から姿を消したりもしたのだった。だがそれも、今となってはいい思い出ということだろうか。そんな彼女に千堂が苦笑いする。

「おいおい、本気か?」

思わずそう聞いた彼に、アリシアはにっこりと笑って応えた。

「もちろん冗談ですよ」

とは言いつつ、本当に冗談なのかどうかは分からない言い方であったが。それでも千堂は敢えて言葉通りに捉えることにした。

「そうか、冗談か。だが本当に落ち着いたみたいで良かった……今回のことで、自分がいかに人間的に未熟か思い知った気がするよ。これからもいろいろあるだろうが、よろしく頼む」

そう言って頭を下げた千堂に、アリシアは彼を真っ直ぐに見詰めながら語り始めた。

「千堂様、人は間違いを犯す生き物です。失敗をする生き物です。大切なのはそれを自省し同じ過ちを犯さないようにすることだと思います。私は、千堂様はそれが出来る方だと思います。だから私は、千堂様のことが好きなのです」

彼女の言葉をしっかりと聞き、彼女を見、それから千堂は、大きく声をあげて笑った。可笑しくてたまらないという感じで笑った。それというのも、自分がやったことを棚に上げて人間に諭すようなことをドヤ顔で言う彼女の姿が何故かすごく可笑しくて、笑いが込み上げてきてしまったのである。

そんな彼の様子を見て、逆にアリシアは戸惑った。自分の言ったことの何が面白かったのか理解出来ず、ひょっとして何か異常なことを言ってしまったのに自分ではそれが判別できなくなっているのかと焦ってしまっていた。

「わ……私、何かおかしなことを言いましたか?」

そう問い掛ける彼女に、千堂は笑い過ぎで涙まで浮かべながら応えた。

「いや、大丈夫だ。お前の言ってることは正しい。だが、今のお前がそれを言うのがな…」

何とかそこまで言ったが、それ以降はまた笑えてしまって言葉にならなかった。

「千堂様、私の何が可笑しかったんですか? 教えてください、千堂様、千堂様ぁ~」

リビングで、千堂が噛み殺しきれずに漏らす笑い声と、そんな彼に困惑するアリシアが発する声を、屋敷の中を夜間巡回中だったアリシア2305-HHSが、『こんな時間まで何を騒いでいるのでしょう?』とでも言いたげな冷めた顔で聞いているのであった。

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