悪魔を狩る者 ~ツェザリ・カレンバハの生涯~

京衛武百十

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ツェザリ・カレンバハの章

母性神話

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翌朝、いつものように宿の前で仕事に行く用意をしていると、

「ギャナン~♡」

鼻にかかった、聞きようによってはあまりにも不快な声がツェザリとボリスの耳に届いてきた。すると、それまではほとんど言葉を発することがなかったツェザリが、

「俺は…ツェザリだ……」

一言、ポツリと呟くように言った。それは明らかに拒絶が込められた言葉だった。なのにアラベルは、

「ああ、そうなんだ~♡ じゃあさ、ギャ…じゃなくてツェザリぃ、困ってるお母さんを助けておくれよ。今の亭主がホントにロクデナシでさぁ、あたしも連れてってくれないかい……?」

まったく、どの口がそれを言うのか?ということを平然と口にできるのが、このアラベルという人間だった。我が子を<ガキギャナン>と呼び、家畜以下の扱いをし、鬱憤を晴らすために暴力をふるい、恐ろしい出来事に遭遇したら守ることもなく捨てて逃げた癖に、まだ母親面をするつもりなのだ。しかも、今の生活に不満があるからそこから逃げ出したいという理由で。

もはや彼女自身が、何か得体のしれない<怪物>だとしてもなにもおかしくないだろう。

ツェザリは困惑し、ボリスを見る。するとボリスは、

「ああ、マダム。人違いじゃありませんか? そいつはツェザリ。俺の息子です」

丁寧に紳士的にそう語り掛けた。するとアラベルは、

「はあ!? あんた、何言ってんの? この子はギャナン、私の息子だよ。母親が我が子を間違えるわけないだろうが!!」

先ほどまでの猫撫で声はどこにやら。腹の座った恫喝と共に、恐れることなくボリスを睨み付ける。男でも前にするだけで腰が引ける強面のボリスを相手にだ。肝が据わっていると言うか怖いもの知らずと言うか……しかもアラベルは、

「なんだったら、役人に言ってもいいんだよ? 『息子が人攫いに連れ去られました!』ってさ。こいつは間違いなく私の息子で、あんたはその私の息子を勝手に連れ歩いてたんだ。しかも家畜みたいにこき使って。私が泣いて助けを求めたら、役人はどうするかねえ……?」

本当にこの<怪物>は、どこまでもそういう方向には頭が回るらしい。

確かに、母親であるアラベルの許しなくツェザリ=ギャナンを連れ歩いていたのはまぎれもない事実だ。それを表沙汰にされると不利なのはボリスの方である。

この時代、まだまだ<母性神話>のようなものは強く、為政者にとって都合の悪い事例でもなければ、母親が涙ながらに窮状を訴えればそちらが優先される時代なのであった。


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