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ツェザリ・カレンバハの章
変化
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幸せそうに微笑むブリギッテを、深淵から覗き込むようにして一切の感情を見せずに見つめていたのは、ぼろきれをまとい顔のほとんどを隠したツェザリ・カレンバハだった。
すっかり成長したツェザリが、ブリギッテらをしばらく見つめた後、ゆらりと立ち上がって路地裏へと姿を消した。長身痩躯。まったく整えていない髪を長く伸ばして、顔のほとんどが隠れている。
だが、そんな彼の歩く姿には、何とも言えない違和感があった。左手は普通に垂らして歩くのに合わせて前後に揺らしているものの、右手については、折りたたんで懐に隠すようにしていた。まるで固まってしまって動かないかのように。
ぼろきれの間からわずかに覗く生気のない顔白い顔と合わせて、病と右手の障害で働けなくなって路上で寝泊まりしている物乞いのようにも見えただろう。
とは言え、物乞いそのものは別に珍しいものでもなかったことから逆に目立つ存在でもなかった。その目をまともに覗き込むようなことをしなければだが。
彼の目を見れば、誰しもが身構えただろう。不穏なもの、いやそれどころか明らかな危険を感じて警戒せずにいられなかったかもしれない。しかしわざわざ目を合わそうとする者などいないがゆえに、誰も彼の恐ろしさに気付かなかった。
だが、彼は目を付けてしまった。大きな腹を抱え大儀そうに動きながらも明るく眩しい笑顔に囲まれて自身も輝くような笑顔を周囲に向けるブリギッテを。彼女の輝くような笑顔は、彼をさらに暗く闇に沈み込ませるように光を放っていた。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるかのように。
だからこそツェザリの目に留まってしまったのだろう。彼にとって彼女は眩しすぎたのだ。
そしてその日の夜、彼は動いた。以前の町では少々騒ぎになってしまって警戒が強くなり動きが取りにくくなっていたのだが、そこから遠く離れたこの町ではまだそこまでではなかった。それどころかまるで警戒していなかったと言ってもいいだろう。だから何の苦労もなかった。
懐に忍ばせた右腕を出し、ブリギッテの家の前に建つ。
ツェザリの右手にあったそれは、やはりあの、
<もはや剣のような大きさのナイフ>
だった。刃の部分だけでも彼の肘から指先までの長さよりも長く、分厚く、月明かりの下でも禍々しい光を放っていた。
しかも、よく見るとそれは以前よりも異様な形になっていた。何しろ、袖口からは彼の<手>は見えておらず、ただ刃だけが覗いていたのだ。
まるで、
『彼の肘辺りから直接生えている』
かのように。以前は指の途中からナイフに変わっていたそれが、さらに変化していたのである。
その刃先をドアの隙間に差し込んで捩じると、まるで飴細工のように鍵が壊れた。手慣れたやり口であることが伝わってくる。
その物音に、ブリギッテも気付いた。大きな腹が負担になって深く眠れなかったからだ。しかし彼女の夫はまるで気付く様子もなかった。
そしてツェザリは影のようにするりとブリギッテに忍び寄り左手だけで殆どボロ布と変わらないハンカチを丸めたものを器用に口へと詰め込み、それと同時に一瞬の躊躇もなく、いつ生まれてもおかしくなさそうな彼女の腹に刃先を滑り込ませていたのだった。
すっかり成長したツェザリが、ブリギッテらをしばらく見つめた後、ゆらりと立ち上がって路地裏へと姿を消した。長身痩躯。まったく整えていない髪を長く伸ばして、顔のほとんどが隠れている。
だが、そんな彼の歩く姿には、何とも言えない違和感があった。左手は普通に垂らして歩くのに合わせて前後に揺らしているものの、右手については、折りたたんで懐に隠すようにしていた。まるで固まってしまって動かないかのように。
ぼろきれの間からわずかに覗く生気のない顔白い顔と合わせて、病と右手の障害で働けなくなって路上で寝泊まりしている物乞いのようにも見えただろう。
とは言え、物乞いそのものは別に珍しいものでもなかったことから逆に目立つ存在でもなかった。その目をまともに覗き込むようなことをしなければだが。
彼の目を見れば、誰しもが身構えただろう。不穏なもの、いやそれどころか明らかな危険を感じて警戒せずにいられなかったかもしれない。しかしわざわざ目を合わそうとする者などいないがゆえに、誰も彼の恐ろしさに気付かなかった。
だが、彼は目を付けてしまった。大きな腹を抱え大儀そうに動きながらも明るく眩しい笑顔に囲まれて自身も輝くような笑顔を周囲に向けるブリギッテを。彼女の輝くような笑顔は、彼をさらに暗く闇に沈み込ませるように光を放っていた。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるかのように。
だからこそツェザリの目に留まってしまったのだろう。彼にとって彼女は眩しすぎたのだ。
そしてその日の夜、彼は動いた。以前の町では少々騒ぎになってしまって警戒が強くなり動きが取りにくくなっていたのだが、そこから遠く離れたこの町ではまだそこまでではなかった。それどころかまるで警戒していなかったと言ってもいいだろう。だから何の苦労もなかった。
懐に忍ばせた右腕を出し、ブリギッテの家の前に建つ。
ツェザリの右手にあったそれは、やはりあの、
<もはや剣のような大きさのナイフ>
だった。刃の部分だけでも彼の肘から指先までの長さよりも長く、分厚く、月明かりの下でも禍々しい光を放っていた。
しかも、よく見るとそれは以前よりも異様な形になっていた。何しろ、袖口からは彼の<手>は見えておらず、ただ刃だけが覗いていたのだ。
まるで、
『彼の肘辺りから直接生えている』
かのように。以前は指の途中からナイフに変わっていたそれが、さらに変化していたのである。
その刃先をドアの隙間に差し込んで捩じると、まるで飴細工のように鍵が壊れた。手慣れたやり口であることが伝わってくる。
その物音に、ブリギッテも気付いた。大きな腹が負担になって深く眠れなかったからだ。しかし彼女の夫はまるで気付く様子もなかった。
そしてツェザリは影のようにするりとブリギッテに忍び寄り左手だけで殆どボロ布と変わらないハンカチを丸めたものを器用に口へと詰め込み、それと同時に一瞬の躊躇もなく、いつ生まれてもおかしくなさそうな彼女の腹に刃先を滑り込ませていたのだった。
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