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幸せになんて

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何度も言うけれど、人生は決して平穏なだけじゃない。この世は自分の思い通りにならないことの方がずっと多い。

<何も都合の悪いことが起こらない幸せな日々>

なんていうものは有り得ない。

何しろ人生というのは、生きるというのは、最後には<死>という結末で終わることが確定しているのだから。

だとすれば、<生>は不幸な結末を迎えることが決まっているのではないのか?

けれど、アオは今、確かに幸せだ。

無責任で不愉快な噂を流されていても、一年の半分はミハエルと一緒にいられなくても、間違いなく幸せだった。

けれど、自分の選択に責任を持てない者は、アオのような境遇に陥れば、

『自分は不幸だ!』

と思うのではないのか?

自分にとって都合の悪いことが起こっただけで『不幸だ!』と考えるのだから。

だとすれば、幸せになんてなりようがない。

『結婚すれば不幸になる』

と決めて掛かるのは、結婚することで生じる不都合すべてを<不幸>だと決め付けているからではないのか?

結婚したことによって起こる不都合を『不幸だ』と考えるのであれば、結婚しないことによって起こる不都合だって、いや、結婚云々関係なしに起こる不都合すべてが<不幸>であるはずだ。

だとすれば生きてる限り幸せにはなれない。

何一つ不都合が起こらない人生を送れる人間なんて、まずいないのだから。そして人生の最後は<死>によって終わるのだから。

それに、

『他人と一緒に暮らすなんて無理』

と言ってる人間は、老後をどのように生きるつもりなのか?

『他人と一緒に暮らすなんて無理』だと言うのなら、高齢者施設に入るなど、それこそ無理ではないのか?

自分以外の人間と折り合いを付けられない人間が、他人に介護など任せられるのか?

なぜ、

『結婚さえしなければ自分に都合の悪いことは起こらない』

前提なのか?

結婚すれば必ず嫌な目に遭って、結婚しなければ嫌な目に遭うことはないとする根拠はなんなのか?

『結婚しなければ嫌な目には遭わない』

などという<ご都合主義>が起こりえるという根拠は?

『他人と一緒に暮らせば必ず不都合が起こって不幸になる』

というのが根拠だとするなら、たとえ結婚しなくても、長期間の介護を受けたり、高齢者施設で他人と一緒に暮らせば必ず不都合が起こって不幸になるのではないのか?

『結婚したら、離婚する時、財産を奪われる』

とか言うのもいるが、共働きも当たり前となっている今の世の中で、自分の方が相手より必ず収入が多いと思い上がれる根拠は? 相手の方が収入が多くて、離婚の際の財産分与で自分が得をする可能性がゼロであるとする根拠は?

自分より高収入の人間が自分を選ぶはずがないとでも? 

それはつまり、

『自分には収入かねしか価値がない』

と言っているのと同じでは?

元より、

『結婚なんかしたら不幸になる』

というのは、結局、すべて、

『自分が一方的に被害者になる』

ということが前提の話ではないのか?

なぜ自分だけが被害者になるという前提で話ができるのか?

実に非合理的であるとは言えないか?



結婚によって生じる不都合を<不幸>にするかどうかは、最終的には自分次第のはずなのに……

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