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第三幕

自分自身の意見を変えるということは、本当に難しいことです。よっぽどのことがない限りは人は自分の意見を変えたりしません。ですから

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アオは、僕と出逢う前から、言ってたそうだよ。自身の作品が、多くの人から貶され蔑まれ腐されていたことに対して、そして、それを心配してくれるファンに対して、

『世の中にはいろんな意見があって当然なので、私は気にしません。なので皆さんも、自分と違う意見を持ってる人だからといって無闇にぶつからないように心掛けてください。

自分自身の意見を変えるということは、本当に難しいことです。よっぽどのことがない限りは人は自分の意見を変えたりしません。ですから、他の方の意見を変えようとなさることに時間を費やすよりも、御自身が楽しいと思うことに時間を使ってください。

私の作品がそのために役立つのであれば、それは光栄の極みです』

とね。

彼女は、自身を揶揄する人間達への対応に時間や手間を費やすのではなく、自分自身がこの世界で生きている事実を楽しむことにこそ時間と手間を費やすべきだと言ってきたんだ。

アオの言うとおり、<攻撃者>は、他人に何を言われても自身の考えを曲げることはまずない。なにしろ、

『自分こそが正しい』

と思っているからね。自身の感性こそが正しく、

『それにそぐわないものは<悪>である』

とさえ思っていることも多い。

『自分は正しいんだから、考えを改めるのは相手の方だ』

そんな風に考えているんだ。

『正しい』のなら、『考えを改める』必要もないよね? だから譲歩しない。引き下がらない。

彼らにとって<アオの作品>は無価値どころか<害悪>でさえあるんだよ。

『悪を断罪するのは正しい行いだ』

と信じる彼らにとっては、自分達が非難されるいわれはないんだ。

『この世は自分のためにあるわけじゃない』

のにね。だけど彼らにとっては、

『この世は自分のためにある』

ということなんだろう。

だけど、彼らにとって価値があるものも、実はその他の大勢から見れば<無価値なもの>でしかないんだけどね。

アニメや漫画等も、世界的に見ればまだまだ少数が楽しんでいるものでしかない。サッカーなどのメジャースポーツに比べれば、市場も認知度も小さく低い。その中で『自分の好みに合わないから』というだけの理由で攻撃し、創作者を萎縮させようとしてる。

自身の不遇への不満や憤りを攻撃性に変えることでパフォーマンスを高められる可能性のある<スポーツ>と、<創作>とは、まったくベクトルが異なるものだよ。<自身への攻撃に対する憤り>が、必ずしも作品の質の向上に繋がるとは限らない。そういうタイプの人間が<創作者>になるとは限らない。

これは、<芸能>でも同じだと思う。

『<不遇への憤り>や<攻撃性>がプラスに働く』

とは限らないんだ。

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