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突然現れたししに、クブリを袋叩きにしていた男達は、うろたえていた。逃げようとしながらも体が動かないようだ。下手に逃げようとすれば、そいつがまず狙われるのが分かっていたからだろう。

互いに他の奴の様子を窺い、恐怖に駆られて誰かが一目散に逃げ出せば、猪がそいつを追っていくだろうから、その間に逃げるつもりなのだ。

しかし、皆、同じことを考えているらしく、背を向けて逃げ出す者はいなかった。

が、そうなれば今度は、その場にいる者ら全員が教われることになるだろうな。

僕は別にそいつらを助ける義理もなかったから成り行きを見守るつもりだった。

でも、その時、

「逃げろ…っ!」

袋叩きにされて傷だらけのクブリが体を起こして弓を拾い矢をつがえ、猪を射た。

クブリが放った矢は猪の肩口に当たり、ビクッと跳ね上がって、数歩下がった。

するとクブリは逃げるどころか猪に向かって足を引きずりながら迫る。

これには猪も怒り、明らかにクブリに狙いを定めるのが見えた。

猪の意識が自分達から逸れたのを察したらしく、男達はじりじりと下がっていく。

逆にクブリは男達から遠ざかるように猪へと足を進めた。

ふん、自分を囮にするつもりか……

お人好しなことだ。

男達の一人が緊張に耐え切れず、背中を見せて走り出す。

すると猪もその男に意識を向けた。と、クブリがまた矢を放った。

「どこを見てる…! こっちだ……!!」

息も絶え絶えなクセにクブリは精一杯の声で猪を煽った。

「ふごっ!!」

狙い通り、猪は再びクブリに狙いを定め、地を蹴る。

猛然と迫る猪に続けて矢を放つ。その間に、男達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

その気配を背に感じつつ、クブリはなおも矢をつがえようとする。

が、猪は怯むことなく牙でクブリの体を捉えた。

腹が切り裂かれ、臓腑を撒き散らしつつ、年老いた体が地を転がる。

一目で助からないことが分かる一撃だった。

そんなクブリに、猪がとどめを刺そうと迫る。

が、猪はとどめを刺すことはできなかった。僕が猪の頭を叩き潰したからだ。

もう手遅れなのは分かっていたものの、それまでは覚悟を決めたそれだったはずのクブリの目に無念が見えてしまったからな。

何か言い残したいことがあったんだろう。だからそれを聞き届けてやろうと思っただけだ。

「……余計な…しや…がって……」

「……」

この期に及んでまだそんな憎まれ口を叩くクブリを僕はただ見下ろした。

「…けど……礼は言うよ…ありがとうな……」

もうほとんど声も出ていないそれも、僕には聞き取れる。

そしてクブリは、自分の中に残った<想い>を、吐き出し始めたのだった。

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