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きっかけ

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ヒャクとその家族が暮らした面影はすっかり失われていたものの、それでもヒャクはこうして生きている。その事実があれば、形は後からついてくる。

『生きている』という事実が形となって残るんだ。

人間が参らなくなって傷んでいた祠も、僕とヒャクで少しずつ手直しを加えていった。

もちろん、ヒャクは素人だから決してそんなに巧くはできない。新品同様とはいかない。でも、今にも朽ちそうだったそれが持ち直したのは、

<ヒャクがここにいた証>

そのものだろう。

だけど、そんなある日、

「竜神! いるか!? 俺の名はミブリ! お前に引導を渡しに来た!!」

朝からそんな声が洞の中に響いた。何者かが祠の前で喚いているんだ。

「竜神様……あれは……?」

ヒャクが少し怯えた様子で尋ねてくる。だから、

「気にするな。昔からあの手の輩は時々現れるんだ。捨て置けばいい」

そう言って祠を直すための材を作る。

「……」

僕が『気にするな』と言ってもさすがにそうそう埒外にできないのも人間というものだ。心配げに声のする方に顔を向けながら材を磨く。

僕にとってはいつものことだからいいけど、ヒャクを怯えさせるのは業腹ではある。

でも、変に構えば余計に面倒なことになるのも分かってる。応えなければ諦めてだいたいはいなくなる。

ただ……

『ミブリ……か……』

何気に聞き覚えのある名が気になったのも事実だ。

すると、

「竜神! 出て来い!! お前が起こした日照りの所為で俺の家族は死んだ!! 俺はその仇を討つために来た!!」

などとも喚き散らす。

でも、その言葉が刺さったのは、僕じゃなく、ヒャクだった。

「何を……っ!」

声を上げながら祠のある方を睨みつける。

いつぞやの干ばつを起こしたのが僕だと言われて、それが気に障ったようだ。

「惑わされるな、ヒャク。いつものことだ。気にするだけ無駄だ」

「でも、あの日照りは竜神様のしたことじゃ……!」

ヒャクが僕のために憤ってくれているのは分かった。いわれのないとがで僕が責められているのが許せないんだろう。

でも、

「ヒャク、人間が災禍を僕の仕業だと考えるのはいつものことだ。だからお前が<生贄>としてここに寄越された。違うか?」

僕は落ち着いてヒャクに告げる。

「それは……! ……確かに、そうですけど……」

『そうですけど』と言いながらも納得できていない彼女に、さらに言う。

「人間達があの干ばつを僕の所為だとしてお前を生贄としてここに寄越したからこそ、今のお前がある。<きっかけ>などそういうものだ。自分にとって好ましくないことが、結果として<良縁>をもたらすこともある。えてしてそんなものだとお前にも分かるだろう?」

「……はい……」

僕の言葉に、彼女は、唇を噛み締めながらも頷いたのだった。

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