上 下
114 / 283
斉藤敬三

甘ったれ

しおりを挟む
斉藤敬三さいとうけいぞうは言う。

「喧嘩によって殴る時の加減を覚えたなんて言う奴がいるが、俺に言わせればそんなもんは嘘だ。少なくとも俺は、喧嘩によって殴る時の加減を覚えたなんていう事実はない。俺はいつだって、相手を殺すつもりで殴ってた。単に、幼い子供だったから相手を殴り殺せるほどの力がなかったというだけのことだ。

喧嘩によって殴る時の加減を覚えたとか言う奴は、人を殴ったという悪行に意味を持たせて正当化しようとしてるとしか思えんな。

刑事として法を犯した連中を追うようになってからますますその実感を強くしたよ。法を犯した奴の殆どが、『自分は正しいことをした』と内心では思ってる。『悪いことをした』と思ってるのはむしろ少数だ。

強盗だろうが詐欺だろうが、『相手が悪い』と思ってるんだよ。詐欺師がよく言う『騙される方が悪い』なんざ、まさにそれだ。

レイプ犯も似たようなことを言うな。『隙がある女が悪い』とかいうやつだ。

まったく。どいつもこいつも判で押したみたいに似たようなことを言いやがる。

『自分は悪くない。向こうが悪いんだ』ってな。

そんなに『お前が悪い!』と言われたくないんなら、そんなことするんじゃねえよ。甘ったれるのも程々にしやがれ。

と、俺は、子供の頃の俺に言いたいね。

『俺がこいつを殴るのは、こいつが悪いからだ。こいつが原因を作ったからだ』ってなことをいつだって考えてた。自分から仕掛けたんじゃなくて相手が原因を作ったから仕方なく殴ったんだってなことをいつだって考えてた。

我ながら泣けてくるくらいに甘ったれてたよ。

人を殴るってのはな、どんな理由があろうともただの暴力だ。唯一例外扱いにできるのは、ルールに則った<競技>の場合と、相手が望んでて<ご褒美>になる場合だな。それ以外は軒並みアウトなんだ。

『身を守る為に相手を殴った』ってぇ事例にしたって、その供述が本当かどうかは調べてみないと分からない。本当に殴ることでしか身を守れなかったのか、調べてみたらぜんぜんそうじゃない例はごろごろと出てくる。

ましてや、小学生の子供が殴りかかってきたからって身を守る為に殴る? そういうことを言う奴に訊きたいよ。

『お前は、小学生の子供相手にも必死にならないと勝てないほど貧弱なのか?』ってな。

俺は、子供の頃の俺自身を思い出せばこそ、他人を殴ることを正当化する奴が許せないんだよ。ただの<甘ったれ>にしか見えないのさ」

それが、彼が刑事になった理由でもあった。

しおりを挟む

処理中です...