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獅子倉勇雄

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獅子倉は非常に冷淡な人間ではあるが、だからといって機械でできたロボットという訳でもない。あくまで生身の人間だ。だから<精神>と呼ばれるものも持ち合わせているし、弁護士としての仕事を果たす上でモチベーションというものが影響する場合があることも事実ではある。

特に今回の被疑者のような者を弁護する場合、それを維持するのは難しい。だから普段はひたすら機械的に淡々とこなすのだが、それでもモチベーションを維持できる理由があれば精神的な負担が少なく済むのも、正直な話だった。

そこで次に、被疑者の勤務先の企業へと赴き、今回の件を理由に彼を解雇しないように釘を刺した。

「もし、当該社員が不当に解雇されるようなことがあれば、こちらとしても相応の対処を行うこととなります」

人事の責任者にそう告げて、会社を後にする。これで会社としても安易に解雇には踏み切れないだろう。

これは、厳密に言えば刑事事件の弁護人としての仕事の範疇を超えてはいるが、もし被疑者が仕事を失えば、家族の、特に息子の今後の暮らしに支障が出るのは避けられない。また、被疑者と妻が離婚するとなれば、慰謝料や生活費や養育費の確保もままならなくなる。できればそれは回避したい。

そう。あくまで『被疑者の為』ではなく、『健喜けんきの為』なのだ。

こういう考え方は弁護士としては必ずしも望ましいものではないと思われる。弁護士というのはとにかく依頼人の利益を最優先にすべきというのが理念であるのだから。

とは言え、弁護士も人間である以上、自らの精神を完全に無視することは現実的ではない。弁護士になってしばらくの間は公権力に対する憎悪をモチベーションとしてきたが、これもやはり時間の経過と共に薄れてしまった。憎悪が消えた訳ではないのだが、かつてほど煮え滾るような激しいものでなくなってしまったのも事実ではある。

故に、それを別なところに求めるようになったということだ。

そして今回は、被疑者の息子である健喜けんきの利益を守ることに決めたということだった。

が、当の被疑者の方は警察の追及に対しても己の主張を曲げず、あくまで徹底的に争う姿勢を貫くようだ。

獅子倉はそんな被疑者の主張に沿って対処し、何度目かの保釈請求でようやく被疑者の保釈を認めさせた。これにより、被疑者が保釈の条件に反しない限り在宅によって今後の手続きは進むことになる。

しかし、被疑者の家庭についてはもはや修復不可能なまでに壊れていただろう。警察に逮捕されてもなお、被疑者の家族への態度は改まることなく、いや、むしろより先鋭化し、自らを支え敬うことを妻と息子に要求した。

「一家の主が権力によって不当に虐げられているのだから、家族が一体になってそれに立ち向かうのは当然だ! 俺を支えろ!」

といった趣旨のことを、妻と息子の前で口にしたのであった。

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