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獅子倉龍二
報い
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『自分のやったことが返ってきただけだ……』
獅子倉は自分が<厳しい取り調べ>を受けることをそう考えて受け入れたが、実を言うとそれはおかしい筈である。
『罪を犯した者は何をされても仕方ない』
と言う風潮はあるのかもしれないが、それで言うなら獅子倉は今回は何もやましいことがないのだ。
『過去にやったことの報いだ!』
と言うのならそれこそ獅子倉がやった以上のことをやった者達がいたのだから、それが同じようにされないのはおかしい。
『罪を犯した者は何をされても仕方ない』や『報い』という理屈は、所詮、不当な行いを正当化する為の詭弁でしかなく、結局は<犯罪者の論理>でしかないと言えるだろう。
ましてや無実の罪で拘束されている者にそれを行っていいと考えるなら、自分がもし、無実の罪で逮捕され取り調べを受けた時、同じ目に遭ってもそれを『仕方ない』と言えるのか?。
<想像力>というものを持つ人間であればその程度のことは考えられて当然なのかもしれない。
だがこの時、獅子倉に対してそのようなことを行った担当者は、その<想像力>が欠如していたのだろう。
「この警察官の面汚しが!!」
そのような事実は存在しないにも拘らず、他の刑事が行った不正を獅子倉がやったことと決めつけて罵った当時の担当者は、それが冤罪であったことが立証された現在でもなお、一言も謝罪はしていない。
『必要なことだからやったまでだ』
と今なお思っているのだと言う。
ちなみに余談だが、その担当者が定年を迎えて退職した後、息子が同じように無実の罪で逮捕され取り調べを受けた時には、警察に猛烈に抗議したそうである。
自分や家族の身にそれが降りかかってきた時にようやく気付くということなのだろう。
もっとも、そのようなことがあってさえ、自身が獅子倉に対して(実はこの担当者は日常的に同様の行為を繰り返しており、獅子倉以外にも無実の罪で逮捕された被疑者も被害に遭っている)行った行為は、
『必要なことだった』
『正義の為には許されるべき些細な犠牲に過ぎない』
と信じ切っているそうだ。
ではなぜ、自分の息子が同じ目に遭った時には許せなかったのか?。
それと同じ気分を獅子倉やその家族が味わったのだということになぜ思いが至らないのだろうか。
これこそがまさに<想像力の欠如>というものなのだろう。
『そんな些細なことをいちいち気にしてられるか!』
と言うのであれば、どうして自分の息子の時には『些細なこと』と割り切らなかったのか?。
そのようなことをしている者がどうして信頼されるだろう。
この当時はそういう身勝手さがまかり通っていたのである。
獅子倉は自分が<厳しい取り調べ>を受けることをそう考えて受け入れたが、実を言うとそれはおかしい筈である。
『罪を犯した者は何をされても仕方ない』
と言う風潮はあるのかもしれないが、それで言うなら獅子倉は今回は何もやましいことがないのだ。
『過去にやったことの報いだ!』
と言うのならそれこそ獅子倉がやった以上のことをやった者達がいたのだから、それが同じようにされないのはおかしい。
『罪を犯した者は何をされても仕方ない』や『報い』という理屈は、所詮、不当な行いを正当化する為の詭弁でしかなく、結局は<犯罪者の論理>でしかないと言えるだろう。
ましてや無実の罪で拘束されている者にそれを行っていいと考えるなら、自分がもし、無実の罪で逮捕され取り調べを受けた時、同じ目に遭ってもそれを『仕方ない』と言えるのか?。
<想像力>というものを持つ人間であればその程度のことは考えられて当然なのかもしれない。
だがこの時、獅子倉に対してそのようなことを行った担当者は、その<想像力>が欠如していたのだろう。
「この警察官の面汚しが!!」
そのような事実は存在しないにも拘らず、他の刑事が行った不正を獅子倉がやったことと決めつけて罵った当時の担当者は、それが冤罪であったことが立証された現在でもなお、一言も謝罪はしていない。
『必要なことだからやったまでだ』
と今なお思っているのだと言う。
ちなみに余談だが、その担当者が定年を迎えて退職した後、息子が同じように無実の罪で逮捕され取り調べを受けた時には、警察に猛烈に抗議したそうである。
自分や家族の身にそれが降りかかってきた時にようやく気付くということなのだろう。
もっとも、そのようなことがあってさえ、自身が獅子倉に対して(実はこの担当者は日常的に同様の行為を繰り返しており、獅子倉以外にも無実の罪で逮捕された被疑者も被害に遭っている)行った行為は、
『必要なことだった』
『正義の為には許されるべき些細な犠牲に過ぎない』
と信じ切っているそうだ。
ではなぜ、自分の息子が同じ目に遭った時には許せなかったのか?。
それと同じ気分を獅子倉やその家族が味わったのだということになぜ思いが至らないのだろうか。
これこそがまさに<想像力の欠如>というものなのだろう。
『そんな些細なことをいちいち気にしてられるか!』
と言うのであれば、どうして自分の息子の時には『些細なこと』と割り切らなかったのか?。
そのようなことをしている者がどうして信頼されるだろう。
この当時はそういう身勝手さがまかり通っていたのである。
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