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日常

人の親

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トイレ掃除が終わると、蓮華はすぐさま灯安良てぃあら阿礼あれいの娘の紗莉安さりあの様子を見に行く。

灯安良てぃあらの部屋を軽くノックすると、

「はい」

と返事があった。阿礼あれいの声だった。

そっとドアを開けると、ベッドで寝ている灯安良てぃあら紗莉安さりあ、そして二人を見守るようにベッド脇に座る阿礼あれいの姿があった。

「おはようございます」

寝ている二人を起こさないように、阿礼あれいが囁くように挨拶をする。

「おはよう。よく寝てるみたいね」

蓮華も囁くように声を掛ける。

阿礼あれいは、頻繁に授乳しないといけない灯安良てぃあらをサポートするべく、朝早く起きて、夜間を担当している職員と交代しているのである。

その姿は、とても小学生とは思えない、立派な<父親>の姿だった。彼の倍以上の年齢で、人生経験も積んでいるはずの大人ですらむしろここまでのものは少数派なのかもしれない。

彼は、若干十二歳でありながら、紛れもない<人の親>だと言えた。

自身の親を反面教師とし、自身の親から得られなかったものを我が子に与えるために、

『自分は親にそうしてもらえなかった。なのに自分が子供にそこまでやるのなんて不公平だ!』

などとは決して口にせず、思わず、生まれてきた我が子に、

『生まれてきて良かった』

と思ってもらえるように、彼は自分にできることをしようとしていた。

本当に、蓮華でさえ頭が下がる想いだった。

けれど、彼のような者がいるからこそ、人間に絶望しようとは思わない。絶望できなかった。

それを確かめて、満足したように微笑み、蓮華はそっと部屋を出て行った。

力をもらったような気がしていた。

そして、

「おはようございます!」

ちらほらと起きてきた子供達に挨拶されて、

「おはよう」

と笑顔で挨拶を返した。でも、子供達全員がそうやって挨拶してくれるわけじゃない。中には、

「……」

蓮華がいることに気付きながらも無視するように視線さえ向けず黙りこくっている子もいた。まだ園に保護されて数ヶ月の、親による虐待の被害児童だった。実はよその保護施設で保護されていたのだが、素行に問題があり対応に苦慮した施設が、もえぎ園に協力を要請してきた子供だった。

対応についてアドバイスも行ってきたものの、その施設では対応しきれないと判断。もえぎ園の方で預かることになった子である。

もえぎ園に来てからも、ところかまわずおしっこをするという奇行が止まないものの、大声を上げて暴れるということは減ってきている子であった。

その子に対しても、

「返事は!?」

などとは言わない。今は、

『ここの大人達は敵ではない』

ということを気付いてもらう段階なのだから。

その子の様子も確認した上で園長室に入り、今日のスケジュールの確認と、新たに届いている資料の確認を始める。

そこに、

「おはようございます」

千堂京香せんどうきょうかが入ってきたのだった。

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