JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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最終章

犬、じゃない…!?

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ハイヤーの運転手の男は、乗客の安全を第一に考えた。それが何より大事だった。これまで、たとえ事故に巻き込まれそうになっても乗客には怪我をさせなかったのが男の密かな自慢だった。

それなのに、彼が見たのは、またも異様な光景だった。

『…犬…?』

最初は犬だと思った。大きなやや汚い印象のある白っぽい犬が何匹も道路を走り回っていたように見えたのだ。慌ててブレーキを踏んで止まる。だが犬にしては何かがおかしい。形が歪で、やけに禍々しい。

『犬、じゃない…!?』

そう、それは犬のようにも見えたが犬ではなかった。しかも歩道にいた人間に襲い掛かり引きずり倒し、頭を噛み砕いて零れ出した中身、つまり、人間の脳を食っていた。

「……っぷ…!」

再び凄惨な光景を目の当たりにしてしまい、胃の中のものが込み上げてきた。何とか堪えようとしたが堪えきれず、

「げっえぇ…っ!!」

握っていたハンドルにぶちまけてしまう。吐瀉物で車内も自分の制服も大変なことになってしまったが、それどころではなかった。口を押さえつつも再び外を見た男の目に、こちらに向かってくる犬に似た怪物の姿が見えた。

「!!」

男は反射的にアクセルを踏み込みハイヤーを急発進させ、そいつ目掛けて突っ込んだ。激しく車体とぶつかったその怪物をボンネットへ跳ね上げると、ぐしゃっという感じの音と共に怪物は人形のようにフロントウインドウにもぶつかった後、横の方へと滑り落ちた。

『死んだ…? 殺せた…?』

車体から伝わってきた振動に、男は確かな手応えを感じていた。得体の知れない怪物ではあるが、強さは犬とそう変わらないと感じた。なら、このまま車で轢き殺すことはできる。

吐瀉物が残った口を手で拭い、汚れたハンドルを握り直し、再びアクセルを踏み込み、怪物の群れの中へと突っ込ませた。車体がボコボコに凹みウインドウが割れる音が車内に響き、悲鳴とも断末魔ともつかない声が車体を包んだが、男はアクセルを緩めることなくそこを突っ切った。

怪物の群れを振り切り、ようやく一息つけそうだと思った男が客の様子を見ようとバックミラーに視線を向けたが、そこに客の姿は確認できなかった。

「お客様!?」

思わず振り返った男が見たものは、割れたリアウインドウと、顎から上が失われた中年女性と少女の体がシートに横たわる光景であった。おそらく、リアウインドウを突き破って侵入した怪物に頭を噛み砕かれたのだろう。男は夢中でハイヤーを走らせていたから気が付かなかったのだ。

「そ…んな…」

あまり人には言えない性癖を持ってはいたが、男は真面目なプロのドライバーだった。これまで事故を起こしたことはなく、客に怪我を負わせたこともなかったのが秘かな自慢だった。それなのに、まさかこんな形で犠牲者を出してしまうなど、想像さえしていなかったのだった。

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