獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第四部

他者の引き立て役になるために

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よくフィクションとかで、

「グヘヘ、俺達が何もかも奪ってやるぜ!」

みたいに盗賊なんかが舌なめずりしてるシーンがあったりしますよね? でも、よく考えてみてください。それって、

『自分達は今から悪いことしますよ。そうして主人公とかの活躍を演出するための舞台装置になりますよ』

って言ってるようなものじゃないですか。どうしてわざわざ自分から他者の引き立て役になるために舞台装置を演じるんですか? その人達の親は、どこかの誰かの引き立て役にするために子供を作ったんですか? 

どうなんです?

違いますよね? 結果としてそうなったんだとしても、別にそんなつもりで子供を作ったんじゃないですよね? じゃあ、どうしてそんなことになってしまったんです? 自分がもし、盗賊になってしまうとしたら、どんな理由でそうなると思います?

私は自分の子供をそんな風に<どこかの誰かの引き立て役>にしたいとは思いませんよ。少なくとも盗賊とかにしたいとは思いません。

だとしたら、どうすれば自分の子供が盗賊になってしまったりしないと思いますか? 言っときますけど、

『そんなのはハズレの子供を引くかどうかだ!』

なんてのはただの責任放棄で『子供の所為』にしてるだけですよ? まあ、そんな風に責任放棄して『誰かの所為』にするような親の子供なら、確かに『誰かの所為』にして悪事だって働きそうですけどね。

でも、震電を育てている伍長を見てたら、少なくとも彼の子供は盗賊なんかにはならないし、もしなるとしても、それこそ生きるか死ぬかの状況で<生存競争>として奪う側になりそうだなとは感じますけど。

伍長自身が言ってますよ。

「自分と自分の家族や仲間を生かすためなら俺だって盗賊くらいする。けどな、その必要もねえ、そこまでしなくても生きられるような社会なら、んなことやらねえよ。そんなことしてりゃいつか追い詰められることになる。

この世にゃ馬鹿しかいねえわけじゃねえんだ。こっちを上回ってくる奴は必ずいる。そうなりゃ守りたい家族も仲間も道連れに破滅するだけだろうが。んでもって、どこかの誰かの<功績>になるんだ。そいつの功績になるために俺は生きてるわけじゃねえ」

と。そうですよね。それが当たり前だと私は思います。『誰かの功績になるために自分は生きてるわけじゃない』って私だって思いますよ。

じゃあ、自分の子供も誰かの功績になるためになんて生きてほしくないじゃないですか。

違いますか?

むしろそう思わない人が親になる方がどうかしてるんじゃないですか?

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