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二章
七、山越族
しおりを挟む「剣を抜け!!」
諸葛恪の一喝。楊甜以外の全員はその声に合わせて剣を抜き、牛車を守るように円陣を組む。
今にも襲い掛かってきそうだった周囲の人間はその一瞬で、思考の空白が出来てしまっていた。
応戦の構えを示すことで「略奪ではなく戦闘になる」と分からせる。誰だって傷つきたくないし、死ぬのは怖いからだ。
張り詰めた緊張の糸。次の一手が命取りになる。その予感が皆の呼吸を浅くさせる。
「我らは商隊である!この地に商いをしに来た!」
「商人だと…?」
諸葛恪の目の前で槍を突き出す壮年の男は眉間にグッと皺を寄せた。
無精髭は泥に汚れており、浅い傷が顔や体のあちこちに見える。
「ここにある物品は僅かな食料や衣料だ。殺し合いの末に奪うにはつまらんものばかり。だが生かして返してくれれば更に多くの品を持って来よう」
「どこの馬鹿な商人が、金を持たない奴らに物を売るんだよ。てめぇら、どうせ呉人だろうが!!」
一つの怒声が辺りに伝播し、その怨嗟は渦を巻いて過熱する。日は再び雨雲に隠れ、怒声が山林に響いていた。
彼らは呉の支配に抵抗する民であった。
無理やり税を奪い、父や夫や息子を奪い、余所者のくせに我が物顔で土地を仕切ってくる。彼らにとって呉はそういう国だった。
だから逃げて、逃げて、山中で抵抗を続けた。その怨嗟はあまりに深く、殺意として諸葛恪らを押し潰そうとしてくる。
もはや戦闘は避けられない、説得に失敗したのだ。顧承は腰を落として剣を握りなおす。
すると相も変わらず冷や汗一つ浮かべていない表情のまま、諸葛格は楊甜をぐいと引き寄せ、頭の傘を剥ぎ、そしてその首を外して見せたのである。
「ご、ご主人様!?!?」
「コイツは落頭民で、俺の妾だ!つまり怪異も討伐すべきとお触れを出す呉は我が敵である!故に我らは味方だ、見誤るな!!」
「首が、喋ってやがる。ど、どういうことだ」
「これでもまだ疑うか!!」
先程の怨嗟の怒号が嘘のように静まり返り、戸惑いのどよめきだけが聞こえていた。
諸葛恪らに向けられていた矛の先は既に下を向いていて、殺意による緊張もいつの間にか消えている。
この状況にどうしようも出来ず、楊甜は視点をきょろきょろと左右に動かす。
すると傍らで下を向き、あまり表情の見えない顧承が居たが、ここで声をかけることは出来なかった。
「…まだ信用できん。武器を寄越せ」
「いいだろう」
「やけに聞き分けが良いな」
「こちらは戦いに来たのではなく、商いをしに来たのだ。これで信用してもらえるのなら安いものさ。だが信用を裏切ればどうなるか、分かるな?」
「分かってるさ」
諸葛恪は剣を地面に放る。それを見て一行もまた同様に剣を手放した。
壮年のその男は楊甜の首になるべく近寄らず、視点を逸らさず、恐る恐る諸葛恪らの剣を回収していく。
「お前の要求通り、生かして帰してやる。その牛と荷物を置いて去れ」
「話にならん」
「なんだと?」
「こちらは商いをしに来たと言ってるだろう。対価が無ければ品は渡せん。もっと話の出来るやつは居ないのか」
「あ、あの、ご主人、えっと、旦那様。首を戻していただけると…」
諸葛恪は男と睨み合いながら、差し出された楊甜の両手に首を渡す。
周囲の目線がやたら痛い。楊甜は首を自分で元に戻すと、逃げるように傘を被った。
そしてふと、再び顧承に目を向ける。
相変わらず下を向いたままで、目線が合うことはなかった。
「商人ってのは本当に金に汚ねぇ糞野郎だな。あのな、この洪水に流された集落には俺の家があった。周りに居る奴らも似たような境遇の集まりだ。もう誰も何も持っちゃいねぇよ」
「何も持ってない?その武器は何だ、鉄で作られた質のいい槍に見えるぞ。全てを失った貧民の装備にしちゃ、豪勢すぎるな」
「鉄は誰であろうと譲らねぇし、売らねぇ。これは俺達の命だ。二度は言わないからな」
「違う、欲しいのは鉄じゃない。こっちはお前らに"恩"を売りに来たんだ。呉とお前らの次なる戦、この"劉福"の目はお前らが勝つと目利きした。勝ち馬に乗るなら早い方がいい」
ぎょっと目を剥き、男は周囲の人間を集め始めた。本当にこの人は凄いと、改めて楊甜は諸葛恪に畏敬の念を抱く。
武器も持っていない中で一切臆することなく交渉を進め、先ほど殺意を向けていたような相手を丸め込んでいったのだ。
普通ではない。天才だ。
誰もが諸葛恪に対してそう評価するのも、当然だろうと感じた。
「ついて来い。長老に会わせる。だが来るのはお前とその怪異だけだ」
「もう一人連れていきたい。我が甥であり、商いの算用を任せている者だ。詳しい話は甥が居ないとままならん」
「良いだろう」
「行くぞ、楊甜、李金。その他の者は山を下り、ふもと近くの集落で待て」
こうして諸葛恪、楊甜、顧承は武装した男達に包囲されつつ山中深くへと足を進める。
諸葛恪に仕える一行は来た道を引き返し、牛車は荷物を確認された後に別の武装した男達が引いていく。
木々の鬱蒼とした道なき道であり、先導する男は恐らくわざと蛇行を繰り返していた。
そうすれば道標もない中で方向感覚も曖昧になり、部外者に拠点の場所を記憶されるような心配も無くなるためである。
流石の諸葛恪と言えどその道筋を暗記するのは難しく、ただただ先導されるがままに木々を抜けていくしかなかった。
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