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四章
十一、らしくない
しおりを挟む楊甜が頼ったのは顧承であった。諸葛恪の仕事量が増えたことによって、幸いにも顧承はしばらく丹陽県に駐屯することになっていたのだ。
諸葛恪に怪異の手が伸びているかもしれない。うかうかしてはいられない。
急いで顧承の宿舎を訪れると、いつものようににこやかで明るい顧承が出迎えてくれたのであった。
「久しぶりだね、甜ちゃん。忙しくてなかなか会いに行けなかったけど、甜ちゃんから会いに来てくれるなんて嬉しいよ!」
「あ、あの、遊びに来たわけじゃなくて…」
「え、違うの?」
そもそも遊ぶのが目的で顧承を訪ねたことなど一度もない。
「…ふむふむ、何かしらの怪異が元遜(諸葛恪のあざな)殿の命を狙っているやもしれない、と」
「信じてくれますか?」
「まぁ、信じるも何も、甜ちゃんがそっち側の人だしねぇ。信じるしかないというか」
「今出ているご主人様を追いかけて、その怪異の影響からどうにかお守りしたいんですけど、ついてくるなと言われてしまいまして」
「だから僕も同行することで何とか説得してほしい、と。いやぁ、羨ましいね。僕だって甜ちゃんに追いかけられたいよ」
「あ、あはは…」
愛想笑いをするしかない。
しかし顧承は残念そうに首を振り、大きなため息をひとつ。
「せっかくのお誘いだけど、生憎、こっちもこっちで仕事が山のようにあってね。先の戦いの影響は少なくなく、これは指揮官だった俺の責任なんだ。だから手を抜けない」
明るい笑顔に、影が落ちたような気がした。
敵より被害は随分と少なかったが、敗走に追い込まれた以上、それは敗戦だ。戦は、負けてはならない。
顧承はその指揮官であった。少なかったからとはいえ、失ってしまった命に対する責任を問われる立場である。
「でも、丁度よかったね。今、甜ちゃんと同じく文奥(陳表のあざな)殿が元遜殿を追おうとしているらしい。そっちについていくと良いよ」
「えっと、その、文奥さんというのは」
「面識なかったっけ?簡単に言えば元遜殿の親友の一人で、この丹陽郡の筆頭武官だ。顔は怖いけど良い人だよ。元遜殿の従者って言えばちゃんと話を聞いてくれると思うよ」
「分かりました。ありがとうございますっ!」
こうして今度は陳表の幕舎を駆け足で訪れると、顧承の言っていた通り出立しようとしている一団が準備を始めていた。
急いでこの一団についていきたいとの旨を兵士の一人に告げると、その兵士は快く陳表の幕舎へと案内してくれたのである。
兵士のこの快さから、陳表がどのような人物なのかというのが、凄くよく分かったような気がした。
「貴殿が楊甜殿ですか。噂は聞いています」
「え、噂?」
幕舎で兵装に身を包んでいる強面の大柄の武人は、気持ちのいい笑顔で楊甜にそう話しかける。
「あの気難しい元遜が、とある従者を最近よく側に置いていると。しかしこうして見ると確かに、噂に違わぬ顔立ちですね」
「えっと、あの、僕は男ですけど」
「知ってます。大丈夫、むしろそっちの方が好きだって人も多いし」
この時代、男色は別に珍しい話ではない。
噂がよくない広まり方をしていると、思わず楊甜は眉を顰めた。
「それで要件は元遜を追いかけたいって話でしたね。無論、大丈夫です。馬には乗れますか?」
「い、いえ、まだ慣れなくて」
「だったら荷馬車に乗せましょう。そういえば私からも従者殿に聞きたいことがあります」
「はい、なんでしょう」
「元遜の様子が少しおかしい。先日は酷い戦でしたし、今の元遜の仕事量は尋常じゃないし、疲れていると考えればそうですが」
「確かにこの戦が始まってから、いえ、その少し前から随分とお疲れの様子です」
「ふむ、まぁ、それはそうなんですが。じゃあどうして、今、思い切ったことを」
「?」
「いえ、何でもないです。急ぎましょう」
こうして数日駆け、陳表の一団は涇県へとたどり着いた。その道中で楊甜は、今、諸葛恪が何をしようとしているかを陳表から聞いた。
諸葛恪は前線で軍令を犯した将兵らを厳しく処断しようとしていると。
陳表が言うにはこんな仕事は役人に任せるべきことであり、大将が直々に行うことでは無い、行ってはならないとのことであった。
大将が動けば、それだけ事態は大きくなってしまう。重大な軍令違反ならまだしも、今回の例は司法の建議が必要な件であると。
ならばどうして。その意図は明らかだ。
政治である。全体の軍規を引き締めるべく、分かりやすくパフォーマンスとしての生贄が必要なのだ。
しかしそんなことのために味方を斬れば、必ずその因果は巡ってくる。そう、陳表は考えていたし、楊甜も諸葛恪にそんなことはしてほしくないと思った。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださーいっ!!」
涇県の城に着いてすぐ、何やら騒々しい雑踏を見つけて楊甜はそこに駆け寄った。
そこには諸葛恪の命令で兵士達に力づくで拘束されている人々が居て、そして深く冷たい目をした諸葛恪がその中央に立っている。
その眼差しに貫かれ、足が止まってしまう。すると陳表が楊甜の前に進み出て、諸葛恪に詰め寄った。
「何をしているんだ、元遜。こんなことをして何になる」
「乱れた軍規を正す」
「それはお前の仕事じゃない。だったら武官である僕に命令してくれ。お前の仕事をこれ以上増やしたくはない」
「これは陛下より任を受けた私の責務だ。それにお前では武官同士で情が入り、判断も甘くなるだろ」
大柄な陳表は更に諸葛恪にグイと詰め寄り、その胸ぐらを掴んで顔を寄せる。
親友の関係だ。しかし諸葛恪は陳表を信用できないと吐き捨てた。怒らないわけがない。
「お前の身を案じてるんだ、それも分からないのか。呂正は庶流(正室との子供ではない血統)とはいえ"呂岱"将軍(呉の重鎮の将軍)の孫だぞ」
「だからこそだ。ヤツを斬ればもはや誰も俺に逆らわないだろう」
「その勝手な判断が殿下のお立場を悪くさせるとは思わないのか」
「故に俺は大功をあげなければならない。誰も殿下に逆らえないようにするために。だからこそこんなことでつまづくわけにはいかないのだ」
「馬鹿野郎が」
目を赤くし、諸葛恪の小柄な体を突き放す。
諸葛恪は何事も無かったかのような表情で乱れた衣服を正した。
「如何に撫越将軍といえど、節鉞(皇帝より下賜される軍権を象徴する鉞)も持っていない身分で勝手な行動は許されない。彼らの身柄は軍部を担うこの陳表が預かり、そして殿下に判断を仰ぐ。まさか殿下の意向に逆らうとは言うまいな」
声を震わせる陳表を見て、諸葛恪はフンと鼻で笑いその場から去っていく。
楊甜は不安そうな面持ちで、その後を追いかけたのであった。
「待ってください!ご主人様!」
追いかけても追いかけてもいつまでも遠くに感じる背中であった。特に今日は更に遠い気がする。
ようやく諸葛恪のすぐ後ろにつくことが出来たが、諸葛恪は楊甜の方を振り返ろうとはしなかった。
「す、すいません、勝手について来てしまって」
「来るなと言ったはずだが」
「えっと、その、杜宇さんと話していて、怪異の動きが活発という話を聞いて…」
「聞いて、何だ?」
ようやく振り返った諸葛恪の顔はやっぱり無機質で。感情が読めず、背筋に冷たいものが走るような感覚がした。
怪異が活発だから何だというのだ。そうだ。この目は、失望の目である。
思い返せば今まで諸葛恪を自分が助けたことなどあっただろうか。助けられてばかりではなかったか。
「僕はただ、ご主人様のお役に立ちたくて」
「具体的に何をしてくれるんだ?お前が、俺に、何が出来る」
「そんなっ、僕だってご主人様の側で色んな仕事をやってきました!」
「その程度の代わりなどいくらでもいる。前にも言ったな。夢を語るだけなら稚児でも出来る。それに見合うだけの力が無ければ野垂れ死ぬしかないと」
「…どうしたんですか?やっぱり変ですよ。ご主人様はその夢を笑ったり軽んじたりする人じゃなかった」
さっきの陳表との口論でもそうだ。諸葛恪は心の底から陳表を軽んじ、彼の本気の説得を聞いて最後に鼻で笑ったのである。
従者として側に居た楊甜が、この光景を「諸葛恪らしくない」と思ったのは自然なことだった。
「お前に、何が分かる」
「僕が一番よく分かっているつもりです。だからこんな僕を、ご主人様は側に置いてくれたんですから」
「…」
「僕は力になりたいんです!何か悩んでいることがあるのでしたら、仰ってください!」
「あぁ、分かった。ようやく分かった」
しかし依然として諸葛恪の表情は冷たいままで。
「楊甜、お前はもう用済みだ。出て行け、二度と俺の前に現れるな」
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