絶対的寛容のシュプレヒコール

財前法一

文字の大きさ
1 / 6

共感疑義

しおりを挟む
 市民倫理訓練センターの昼休みは、時計の針が正午を示した瞬間に始まる。
 それは“自由時間”とされているが、実際には自由の形をした無為である。会話はしてもよいが、会話の内容は記録され、感情の起伏も逐次測定される。笑いすぎれば過剰、黙り込めば陰性、共感しすぎても操作の疑いがある。すべてが“適正域”に収まっていなければならない。

 私はこの時間が嫌いだった。だから、いつもは一人で、隅の席で弁当をつつくことにしていた。

 しかしその日は違った。若い男が向かいに座った。年のころは二十代半ば、眉毛は薄く、人工的な笑顔を貼りつけているようだった。胸元には《感性適合者》のバッジが光っていた。最近流行りの“自己申告型資格”のひとつだ。つまり「私は他者の感性に自動的に共感できます」と名乗り出ることが、そのまま免罪符になる。

 「すみません、ここ、いいですか?」

 質問ではなく、事務的な報告だった。私は頷くしかなかった。

 彼は植物由来の肉を主成分とする弁当を広げ、カチャカチャと音を立てながら箸を動かした。こちらに気遣う様子はない。ただ、ルール上「挨拶と共感の交差」は義務づけられているため、間もなく彼は口を開いた。

 「昨日の講義、聞いてましたよね? ルチアさんの発言、どう思いました?」

 唐突な質問だったが、予想できた展開でもあった。
 昨日の講義では“感性の相互承認”というテーマが扱われ、ルチアという女性がひどく感情的な主張を展開した。

 足音の音圧が高い人の存在は、静音体質の人間にとって暴力です。あらゆる音が、私の存在の輪郭を、私の心の外殻を削ります。あなたたちはそれを知るべきです。

 彼女は泣きながら、言った。そして教官は、それを「深い気づき」と評価した。拍手は強制ではないが、私は周囲の空気に押されて、手を打った。

 「どう思いました?」

 改めて、目の前の男が言った。

 「……まあ、なるほどとは思いました」私は慎重に言葉を選んだ。「ただ……正直なところ、少しだけ理解が難しかったですね」

 男は箸を止め、私を見た。眼差しに熱はなかった。ただ、淡々と義務を果たすという意思だけがあった。

 「その発言、ログに残してもいいですか?」

 言われた瞬間、喉が乾いた。
 ログとは、すべての発話と脳波反応を記録・分析する市民モニタリングシステムのことである。原則として日常の会話はスルーされるが、“共感度の低下が見られる発言”は、通報により精査対象となる。

 「いや!あの、誤解を招いたかもしれませんが……彼女の感じ方自体は尊重してます。ただ、受け取り方には個人差があると思って──」

 「“個人差”という言葉には注意が必要です」男は口調を崩さず言った。「それは、“彼女の感性が特殊である”という含意を持ちます。それは、あなたが彼女を“ノーマルではない”と位置づけているということです。理解できましたか?」

 その時点で、私の脇の下に冷たい汗が流れはじめていた。

 「あなたが彼女に“完全に共感していない”こと自体が、十分に社会的リスクなんです」

 男はそう言い残し、弁当を半分残したまま席を立った。

 私はそのまま、昼休みの残り十五分を、ほとんど箸を動かせないまま過ごすこととなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

処理中です...