漆黒のピルグリム

ふらっぐ

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El diablo

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 同日、ヨーロッパ。スペイン北東部の小さな村、サン・フラマ。
「……ここが、例の村……」
 教会の司祭服に身を包んだ、深い紫の長い髪の少女が、ゆっくりとその村を見渡す。その瞳に感情の揺れはなく、表情は氷のように冷たい。司祭服に身を包んではいるが、神に仕える者として見るには、あまりに酷薄に見えた。言うなれば、まるで死の天使のように。
 その少女――――如月水葉は、静かに村の方向へ歩を進めていく。
ヨーロッパの寒村、という言葉がぴったりのこの村。山岳地帯に位置し、人口はたったの数百人。今も建造物は石や木で作られている、時間から置き去りにされたような村だ。
「はあーあ、こりゃー予想以上に辺鄙なトコだなァ。この様子じゃ、食って寝るくらいしか、お楽しみは望めそうにねェな」
 傍らに浮遊する水葉の守護天使――――堕天使アンセムが、大仰にため息をつきながら、肩をすくめる。赤い髪をワックスで立たせ、紺色のジャケットに身を包み、胸の大きくはだけたシャツというその姿は、派手なホストのようにしか見えない。
「……観光に来たわけじゃない。少しは自制して」
 冷たい目で見る水葉に、アンセムが苦い顔で舌を出す。
「へいへい。わあーってますよ。お仕事でしょ、お・し・ご・と」
 如月水葉――――教会のエクソシストである彼女がこの村を訪れたのは、仕事のためだった。彼女の所属する教会に入った依頼。それは、村に夜な夜な現れるようになった悪魔を排除してほしいという依頼だった。
 敵の正体は不明。規模も不明。どこから現れるのかも不明。被害はすでに村人十数人に上っている。まずは水葉単独で潜入し、村を襲う悪魔の正体を解明し、可能であれば殲滅すること。それが不可能であれば、情報を生きて持ち帰ること――――。
 それが、依頼を受け、教会が彼女に課したミッションだった。
「しっかし……なんでまたお嬢にこんな仕事をやらせんのかね、教会のジジイどもは。こんな山奥に日本人のお嬢を送り込むなんて、どうにも目立ってしょうがねえぜ。さっきから、視線が途切れることがありゃしねえ」
 アンセムの言うとおり、すれ違う人間はもちろん、家々の窓やドアからも、ずっと視線を感じる。
「……理由はどうあれ、下された命令が私たちの仕事。私たちは、それをやればいいだけ」
「まあ、そういうたぁ思ったけどな。どうにも胡散くせえな」
 ドアの隙間からのぞく目を横目で見返しながら、アンセムがうめく。
「とにかく、まずは依頼人から事情を聞くこと。それからでなくては、始まらない」
 囁き返しながら、水葉はその依頼人がいるはずの家へ向かっていた。すなわち、村の村長の家である。
 村長の家は、他の家々よりも山に近い、小高い場所にあった。村の長の家とはいっても、多少、他の家よりも大きいだけで、それほどの違いはない。
 水葉は、その入り口を軽くノックする。
「……どうぞ」
 返ってきたのは、落ち着いた初老の男性のものだった。
「……失礼する」
 冷たい声で返答しながら、水葉は家の中へと入る。家の中も表と違わず、木やレンガなどでできた家具がまばらにあるだけの、二昔は前のようなたたずまいだった。
 その光景の中に、スーツ姿の初老の男性がいるのは、少々の違和感がある。口ひげを蓄えた、白髪に長髪の紳士然とした初老の男性が、伝え聞いていた依頼主の特徴と合致する。
「ようこそいらっしゃいました、教会のエクソシスト様。東洋の方とは意外でしたが……。もし村のものが無礼な振る舞いをしていましたら申し訳ありません。何分、このような片田舎なものですから……教会の方というだけでも訪れることなど珍しいもので」
 すまなそうな様子で、男性が言う。
「……いえ。別段、問題はありません。こちらも、歓待を受けるつもりで来たわけではありませんので」
「……そうですか。申し遅れました。私、村長のアルヴァロというものです」
 水葉の冷たい言葉を皮肉と受け取ったのか、心苦しそうな表情で村長が名乗った。
「……如月水葉です」
 ひどく端的に、水葉は名乗る。横ではアンセムが苦い顔で水葉を見ている。どうせ、もう少しやわらかく接しろとか、そういう風に思っているのだろうが、水葉は気にしない。
「お茶でも、淹れましょうか。教会本部からここまで、長旅でしたでしょうし」
「いえ、結構。それより、例の件のお話を」
 場を取り繕うとしたのか、そう申し出た村長アルヴァロに、にべもなく水葉が言い放つ。
「な、なるほど。教会の方は、さすがお仕事熱心ですな。それでは早速、その件についてお話しましょう。と言っても、私どもも現状ではなにが起こっているのか、ほとんどわかっていないのですが……」
 事件のあらましを思い出してか、それとも水葉の反応にとまどっているのか、ふうとひとつ息をついてから、アルヴァロが話し出す。
「事件が起こり始めたのは、二週間前からです。ある朝、突然、村に住む一家の惨殺死体が見つかったのです。もちろん、私どもも始めは悪魔の仕業などとは考えませんでした。ですが、これだけ狭い村です。人間の仕業にしろ、獣の仕業にしろ、わずかな痕跡でもあれば、すぐに犯人はわかると思っておりました」
 そこで一旦、アルヴァロは言葉を切る。
「しかし、どれだけ犯人の痕跡を探ろうとも、たった一つの証拠すら出ませんでした。そしてそれと同様の事件が、数日おきに発生し……すでに犠牲者は数十人に上りました。そして、最後の犠牲者が死の間際に言い残したのです。『あれは悪魔だ』と……」
 アルヴァロの言葉に、水葉は押し黙る。証拠もなにもない。痕跡の一つすらも。確かにそれは様々な点で不自然だ。悪魔が関与しているとして、その痕跡がなにもないのもおかしいが、物的証拠の一つもなしに教会が動くのも変だ。悪魔や悪霊に対する警察機構のようなスタンスを取る教会が、一言の証言だけで動くだろうか?
「……わかることは、それくらいです。私どもも、なにがどうなっているのか……」
 うなだれるアルヴァロに、水葉は瞳を鋭く細める。
「……ともかく、まずは情報が必要です。話を聞く限り、凶行は夜間に行われているようですね。夜を待って、調査を開始します」
 
「……おいおい、こんなもん、どこで拾ってきやがった?」
 その物体を見た途端、須佐翔悟の表情が苦虫を噛み潰したかのように変わった。
「あー、うん、実はさっきちょっといろいろあってね……」
 その様子に、紅香は頭を掻く。翔悟に渡したのは、先ほどの男たちが最後に逃げるために使った、十字架を象った閃光弾だ。
「なにがあったか知らんが、こいつはちょっとやばいぞ。これは……教会の奴らが緊急時に使う、スタン・グレネードだ。強烈な閃光と爆音で相手を気絶させて無効化するものだが……こいつは教会用に、対魔属性が付与されている。お前さん、こいつを食らったのか?」
 渋い顔の翔悟に、紅香はいぶかしげな表情を作る。
「実はさっき、いきなり白いフードを被った奴らに襲われて……そいつら、私のことや邪神のことを知ってたみたいなの。それを使われて逃げられちゃったんだけど……翔さん、それがなんなのかわかるなら、奴らが何者なのかわからない?」
 紅香の言葉に、翔悟が腕を組む。その様子は紅香の質問に対する答えはでているものの、その先のことを考えているようにも見える。
「……紅香、水葉のことは覚えてるか?」
 苦い顔をしながら、翔悟が言う。
「ミッチー? もちろん、覚えてるよ。あんな戦いを一緒に戦った仲間だもん。忘れたりしないよ」
「……こいつはな、その水葉が所属する、教会の連中が緊急時に使うものだ。魔物と相対するときにな」
 翔悟のセリフに、静馬がその瞳を鋭く細める。
「……ということは、あいつらは教会のハンター……ってこと?」
「ああ。間違いない。……だが、問題なのはそこじゃない。奴らにしてみれば、邪神の宿る紅香を排除するのは、仕事の内だろう。しかし、水葉が教会に、紅香が邪神を封じた身体であることは隠して報告してくれたはずだ。なぜ、それが虚偽の報告だと奴らにばれたのかが問題だ」
 たしかに、あの状況で水葉が『邪神は封印された』と報告してくれたのなら、特に不自然な点はないはずだ。紅香の身体にではあるが、それ自体は真実なのだから。
「……まさか、水葉が裏切った?」
「ええっ、そんなことないよ! あれだけの戦いを一緒に生き抜いたんだよ? ミッチーがそんなことしないって!」
 静馬の言葉に、紅香が噛み付く。
「……たしかにな。それはおそらくないとは思うが……それより、これからどうするかを考えたほうがいいような気がするな。教会の連中は、一度狩るべき対象とみたら、手加減などしない。徹底的に、狩りつくすまで付きまとうだろうからな」
「それはミッチーで体験済みだよ。あの感じで昼も夜も狙われてるんじゃさすがに身がもたないって」
 腕を組む紅香に、翔悟が渋い顔を作る。
「学校もしばらく行かないほうがいいな。恐らく、すでにマークされてるだろう。あとは……そうだな。水葉と連絡を取ってみるか」
 翔悟が携帯を取り出し、通話ボタンを押す。が、数回のコール音の後、舌打ちをしながら電話を切った。
「だめだ。つながらねえ。まさか、あっちでもなんか起こってんじゃねえだろうな」
 翔悟の言葉に、紅香が不安げな顔を作る。
「ねえ、翔さん。それ以前に、私、その『教会』ってのがよくわからないんだけど。まさか、そこらにある普通の教会が、みんな敵ってわけじゃないでしょ?」
「……そういや、そうか。紅香は教会関係は水葉しか知らないんだもんな。この際だから、説明しとくか」
 紅香のセリフに、翔悟が難しい顔であごを撫でる。
「『教会』はな、宗教や宗派一切関係なく、ただ人類に仇なす魔なるものを狩る、戦闘集団だ。あらゆる宗教、あらゆる魔祓いをとりこんだ、な。水葉が所属し、俺や雪乃もかつては所属していた」
 苦い顔で、翔悟が続ける。たしか……紅香の知るところでは、『教会』でのミッションの最中に、人間としての雪乃が亡くなった、と聞いている。
「とはいえ、教会でも、宗教の違いによる派閥はある。俺たちのいた陰陽道と、キリスト教系の派閥じゃ、やっぱ勝手が違うしな。その中でもこいつは、特に武闘派の連中が使うものだ。『狙った相手は必ず殺す』……くらいの勢いのな」
「……まるで、アサシンだね。邪魔者はすべて消すってわけだ」
 腕を組みながら、静馬が言う。
「ああ。まさにそんな連中さ。どこから情報を得たのかはしらねえが、こいつらが出てきたとなると、奴ら、よっぽど紅香を殺したいらしいな」
「わけわかんない! なんで私が命狙われなきゃいけないわけ!? 邪神を封印したんだから、むしろほめてもらいたいくらいなんだけど!」
 じだんだと床を踏みしめながら、紅香が言う。
「……いや、むしろそれが、奴らに行動を起こさせたのかも知れん。いわば、一人の人間が邪神を管理しているようなものだからな。それも年端もいかない娘が。むこうからしてみりゃ、危険な状態ってことだろうさ」
 翔悟が、考えるように口元に手をやる。
「だが問題は、これからどうするかってことだ。奴らはしつこいからな。逃げたら逃げたで、どこまでも追ってくるだろう」
「そんなの、簡単だよ」
 翔悟の言葉に、紅香がぐっと握りこぶしを作る。静馬と翔悟が、嫌な予感に表情を曇らせた。
「誰がどれだけ来ようと、みんなまとめて返り討ちにすればいいっ!」
「……やっぱり、そうなるのね」
 やる気マンマンの紅香の後ろで、静馬が静かにため息をついた。
 
 前崎市中心部、商業地区の側の小さな教会。
 そこに、紅香たちを襲った三人組は戻っていた。三人のうちの一人――――リーダー格らしい、剣を携えた男が、灯りの消えた、教会の入り口をノックする。
「――――悪を滅ぼせば?」
 入り口のドアの向こうから、線の細い男性の声が返ってきた。
「……神は来る」
 厳かな声で、男がドアに向かって言葉を返す。
 その言葉を吟味するようなわずかな間をおいて、入り口のドアが開いた。
 転がり込むようにして、男たちが中へとなだれ込んだ。リーダーの男以外は、半ば意識も朦朧としているようで、足元もおぼつかない。
「……おやおや」
 その様子を見て、男たちを迎え入れた青年が小さくため息をついた。
「どうやら、その様子では残念な結果だったようですね。ベリアス司教」
 男たちを迎え入れた青年――――柔和な顔つきの、背の高い青年が言った。その装いは白い司祭服で、穏やかな笑みを浮かべた顔には丸眼鏡と、知性的、かつ温和な雰囲気を纏った青年だった。
「申し訳ございません、ザムエル司祭」
 さきほどベリアスと呼ばれた、リーダー格の男がひざまづく。
「奴はこちらの想像よりも力をつけております。我ら三人でかかっても、奴を倒すことは叶いませんでした」
 ザムエルと呼ばれた青年は、あごに手をやり、少しの間、考える動作を見せる。
「……なるほど。ただ単に邪神を封印した人間、というわけではなさそうですね。これは一筋縄ではいかなそうだ」
 答えながら、ザムエルは男たちを教会の中へと招き入れる。
「とにかく、今日はもう遅い。奥の客間に、部屋を用意させてあります。ゆっくりおやすみなさい」
「ありがとうございます。主のお恵みに感謝を……」
 にっこりと穏やかな笑みを浮かべ、ザムエルは男たちを見送る。
 ――――そして。男たちの姿が部屋の中へと消えた刹那。
「おやすみなさい……。永遠にな」
 ザムエルの柔和な顔つきが、突如として醜悪に歪んだ。
「ウィノナ!」
 それから、背後の闇に向かって鋭い声を飛ばす。
「……此処に」
 静かな声が、暗闇から響く。その刹那、教会の司祭服に身をつつんだ少女が現れた。その黒い司祭服は、普通ならば白と青の線で装飾が施されているのだが、その少女の纏うそれは、血のような赤と、闇のような黒で縁取られていた。少女の濡れたカラスの羽のような漆黒の髪とあいまって、その全貌は、まるで喪服に身を包んだ未亡人のようだった。
「……御用?」
 ひどく端的に言葉を発した少女の姿が、闇の中からあらわになる。陰鬱な、色のない表情は、まるで人形のそれのようだ。
「やはり、あの三人には邪神退治は荷が重かったようです。そこで……次は貴女にお願いしたいのですが」
 ザムエルが再び柔和な表情に戻りながら、言う。しかしその、有無を言わさぬ声色は、どこかまだ先ほどの醜悪さを引きずっている。
「……御意」
 色のない表情に変化もなく、ウィノナと呼ばれた少女がうなずく。
「いつ、どのようにやるかはあなたにおまかせします。あなたに任せておけば、間違いはないでしょうから」
 眼鏡の位置を直しながら、ザムエルが囁くように言う。
「……了承」
 相変わらず一言だけで返しながら、ウィノナがかすかに目を細める。
「まあ……なるべく、壊されないように。後々、面倒なので。それと、あなたなら大丈夫かと思いますが、彼女には、くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ」
「……準備。開始」
 ひとつうなずいて見せると、ウィノナはゆっくりと踵を返す。
「ああ、それともうひとつ」
 その背に、ザムエルが思い出したように手を打った。その途端、その表情が一変する。にやりといやらしく吊り上げられた口角からは牙のような歯がのぞき、その目は底のない深い沼のように、光がなく、底が知れない。
「準備を始める前に、さっき来たクソの役にも立たないごみを、捨てておいてもらえますかァ? まったく役立たずのくせに無駄に生き延びやがって、処理するほうの身にもなってほしいものですよ、ほんとに。ああ、なるべく、部屋を汚さないでくださいよォ? また手間がかかっちまいますんで」
 忌々しそうに、先ほどの三人の向かった部屋を見ながら、ザムエルが言う。
「……了解」
 ザムエルのその変貌にも、表情一つ変えず、ウィノナはゆっくりと、奥の部屋へと歩き出した。
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