漆黒のピルグリム

ふらっぐ

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shadow walk

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 学校の放課後。それは、最近の紅香にとって退屈な時間だ。
 部活をやめ、翔悟の事務所でバイトを始めたものの、このところ教会の何者かに付け狙われていて、まったく仕事にならないのだ。先日、ウィノナとかいう得体の知れないと一戦交えてからは、さすがに目立たないようにと翔悟に言われていた。
 仕方なく、今日は事務所に向かうのはやめ、家へ帰ろうと、前崎駅を歩いていた。
「はあ……」
「なんやねん、さっきからため息ばっかつきよって。辛気臭いなぁ」
 学校を出てからため息をつきっぱなしの紅香に、あきらがじっとりとした視線を送る。
「うーん、バイトがうまくいかなくてさ……。なんていうかさ、分けわかんない奴らがいちゃもんつけてきて、大変なんだよね」
「ほー、クレーマーか」
「うん、なんか意味不明なんだけど、私がいるのが気に食わないみたいなんだよねぇ」
「いるだけで気に食わないなんてひどいクレーマーやな」
「うん、なんかね、人間かどうかも怪しいんだよね」
「モンスターなクレーマーか! そらひどいわ」
「そうなんだよ~」
 うだうだとだれた姿勢で一連のセリフを言う紅香に、あきらがいちいち、当たらずとも言葉で返す。その傍らでは、そんな二人を少々あきれた目で静馬が見ている。
「教会の人間に命を狙われてるのにクレーマー扱いって……こんなにのんきに構えてていいのかな……。ていうか、そのゾンビみたいな姿勢で歩くの、どうかしたほうがいいと思うよ、女の子として」
「うるっさい! 誰がゾンビか!」
「うおっ、突然、なにを奇声あげとんねん紅香。誰もいない方向に向かって」
 つい静馬にキレる紅香を、あきらはすでに危ない人を見る目で見ている。静馬が他の人に見えていないのは分かっているのだが、未だに時々、つい反応してしまう。
「あ、いや、な、なんでもないッスー」
 あきらかにどもっている紅香に、すっかりあきらは引いている。
 してやったりな顔の静馬に、紅香は歯噛みする。いつか静馬のおでこにチョップでも仕返してやりたいのだが、いかんせん、相手が霊体なのでいつでも触れられるわけではないので、それが歯がゆい。
 仕方なく、不機嫌な顔でそっぽを向いて、駅の中をずんずんと進んでいく。駅の中はちょうど学生の帰宅時間ということもあり、大勢の人でにぎわっている。この駅はこの辺りの路線のターミナルともなっており、行き交う学生たちの制服も様々だ。
「……お?」
 ずんずん進みだした紅香の方に視線を送っていたあきらが、ふと声をあげた。
「……ん? どうしたん? 変な声出してさ」
 聞き返す紅香に、あきらが人ごみの向こうを指差す。
「……あれ、誰?」
 その指先の向こうに、視線を送る紅香だが、人が多すぎてどの人のことを指しているのかわからない。
「……なに? 誰かいんの?」
「ああ、あれあれ。ほら、あれや」
 もう一度あきらを振り返る紅香に、あきらは『あれ』という言葉を連呼してさらに指差すだけだ。わかりにくいことこの上ない。
「あ……あー、行ってもうた」
「だからー、なに? あれとか指差しとかだけじゃ、わかんないっての」
 若干イラつきながら、あきらにじっとりとした視線を返す。
「いや、今な。うちの学校の制服着た人がおったんやけどな。派手な紅い髪しててん。だからこないだの強盗撃退の人やったらおもろいなーと思うて。もう見えなくなってもうたけど」
「ええー?」
 あの事件のことを思い出させられたことと、そんな人が本当にいるのかという思いから、思いっきりいぶかしみながら、紅香は先ほどの方向へと視線を戻す。
 その刹那、紅香は息を飲んだ。
「……え?」
 人ごみで、よく見えないはずの、その先。なぜか、その人物のみがはっきりと見えた。……それは、そこにいるはずのない人物。そして、あるはずのない……絶対にありえない、こと。
「うそ……でしょ?」
 それは、紅香と同じ制服を着た、紅い髪の……紅香自身だった。
 呆然と人ごみの向こうの自分自身を見つめる紅香に、自分と同じ顔をしたそれは、かすかに微笑んでいた。
「あきら……その人って、あれ……?」
「ん? あれってどの人やねん。見えへんで」
 あきらはたしかにそれがいる方向を見ているが、まるで見えていないように視線を泳がせている。あきらには、見えていないのだろうか。
 再び紅香がそれに視線を戻すと、自分の顔をしたそれは、微笑みながらゆっくりと背を向け、歩き出した。
「……紅香!」
「……うん!」
 静馬の声に、紅香は走り出す。
「あ、ちょっ! 紅香、どしたんねん!」
 背中に追いすがるあきらの声にも反応できず、紅香は人ごみの中を掻き分けていく。
だが、おかしい。こちらは息が上がるほどの勢いで駆けているのに、歩いている相手との距離がまるで縮まらない。なおかつ、人ごみの中で目立つ髪とはいえ、その姿を見失わないのも奇妙だ。
「静馬、あれってもしかして……」
「ああ、前に見つかった、紅香のドッペルって……あれなんじゃないか!?」
 考えてみれば、今回の一連の事件の引き金となったのは、自分とそっくりな人間が目撃されたことだった。もしかしたら……この事件の原因は、こいつなのかもしれない。
「ねえ、教会に狙われてるのも、もしかしてあいつのせいじゃない!?」
「……どうだろう。ありえなくはないけど、そうとも限らないよ。ただ……なにかしら、手がかりを知ってはいそうな気がするね」
 考え込むような静馬の仕草に、紅香もうなずいて見せる。
「どっちにしろ、追っかけてとっちめるしかないね!」
 拳を作りながら、紅香が歯を食いしばる。
 しかし、やはりどれだけ走っても、その差は縮まる様子も開く様子もない。さらに、どうやら向こうは徐々に、人通りの少ない裏通りへと進んでいるようだ。誘い込まれているようにも思えるが、例えそうだとしても、こちらとしても無視することもできない。
 やがて、昼でも人通りのほとんどない裏通りへと入った。それでも、ゆっくりと歩いているように見えるドッペルとの距離は縮まらない。曲がり角を曲がるたびに、その背は見えるのだが、追いつく前に、その背はもう次の角へとたどり着いている。
「くっそ、なんか馬鹿にされてる気がする……っ」
 さすがに紅香の息が上がり始めた頃、その姿が裏路地の行き止まりで止まった。そこは粗大ごみが捨てられる場所なのか、大きな姿見や、ソファが捨てられている。その姿見を見つめるような形で、ドッペルと思われるそれは、こちらに背を向けて立っていた。
「……追いついたっ!」
 もう逃げられないように、退路を塞ぐような形で紅香が道路に仁王立ちになる。ぐっと握りしめた拳がその力を解放し、髪が紅く染まる。
 ドッペルは、その紅香に反応もせず、ただ、こちらに背中を向けて佇んでいる。
「あんた、何者なのっ!? 私に化けたりして、なんのつもり!? 答えによっちゃ、ただじゃおかないんだから!」
 息巻く紅香にも、それは何の反応も示さない。
「ちょっと、聞いてるわけっ!?」
「……………」
 思わず怒りの声をあげる紅香に、ドッペルがゆっくり振り返る。その顔には、紅香本人がこれまでに見せたこともないような、穏やかな笑みが浮かんでいる。
 その表情に、怒りや恐ろしさよりも、奇妙なことに、紅香はなぜか――――懐かしさを感じていた。それがなぜかなど、まるでわからないまま。
 だが、その表情とは裏腹に、ドッペルは静かに微笑んだまま、その拳を構えた。
 奇妙な郷愁に捕らわれていた紅香も、それにつられるようにして、構える。
「……紅香!」
 相手を警戒し、一歩前に踏み出そうとする静馬を、紅香が右手で制した。
「……紅香、なにを」
「静馬……あいつとは、一対一でやらせて」
 その言葉に、静馬が目を見開く。が、すぐに真剣な目で紅香を見返す。
「……なぜ?」
「わからない……。わからないけど、あいつとは、一人で戦わなきゃいけない気がする」
 その不確かな言葉に、静馬の表情が曇る。しかし、それはすぐにため息へと変わった。
「ふう。君がそう言う顔をするときは、どうせ言っても聞かないからね。ただし……危なくなったら、すぐに割ってはいる。それでいいね?」
 返す言葉の代わりに、紅香は一つ、うなずいて見せた。
 静馬が一歩引いたのを確認し、紅香は大きく一歩踏み込む。瞬時に背に邪神の翼を出現させての滑るような動きで、ドッペルの懐に飛び込む。その勢いを乗せ、腰を落として相手の胴を射抜くかのような正拳を叩き込む。
 が、ドッペルはその一撃を正面から、同じ右の拳で受け止めた。
「なっ……!?」
 全体重をかけた、かつて邪神ですらひるんだ、その拳の一撃を正面から受け止められ、微動だにしない。思わず相手の顔を見る紅香の目が、驚愕に開かれた。
 自分と同じ顔をしたそれは、未だ、優しく微笑んでいた。そこに、裏に隠されたものや、嘲りは一点も見受けられない。
 こいつ、何者で……それ以上に、何を考えているのか。
 紅香が思わずつばを飲み込んだ瞬間、ドッペルが無言で拳を押し戻した。
「くっ!」
 その勢いに押し込まれ、紅香は後ろに体勢を崩す。
 無防備になった横腹に、ドッペルの回し蹴りが走る。なんとか腕と足でそれを止めた紅香だったが、その身体をすさまじい炎が襲う。
「うあっ!?」
 熱さと勢いに押され、仰け反りながら紅香の身体が後ろへと差し戻される。完全に動作が不能になったその腹に、強烈なボディブローが食い込んだ。
「ぐっ……くはっ……」
 ぐったりと前かがみになる紅香が……しかし、荒い息で顔をあげる。
「……はぁ……はぁ……つ、かまえた……っ!」
 その笑みに、ドッペルから表情が消えた。
 腹に食い込んだドッペルの右腕を、両手で紅香はつかんでいた。その相手が反応する前に、紅香は動く。
「うりゃあああああっ!」
 相手の右腕を思いっきり引き寄せながら、近づくその自分と同じ顔に向かって、頭を突き出す。頭のてっぺんが、なにか硬いものに激しく衝突したのがわかった。くらくらする頭を振りながら、紅香は後ずさり、相手を見据える。
 どうやら、強引な頭突きは見事に相手のあごにヒットしたらしく、ふらふらとしたあしどりで口元を押さえている。
「今度こそ……くらえええっ!」
 再び大きく一歩踏み出した紅香の拳が、今度は止められることなく、ドッペルの身体に打ち込まれ……そして、吹き飛ばした。
 だが、次の瞬間、目の前で起こった出来事に、紅香は目を疑った。一直線に壁に向かって吹き飛んだ相手の身体が、叩きつけられるそのわずか手前で……空中に、静止した。
 そしてそれは、自分と同じ顔を、ゆっくりと上げる。そこには、再び微笑みがあった。
「……あなたは……いったい、なんなの? なぜ……私の姿を……?」
 問いかける紅香に、はじめてそれが口を開いた。
「私は……あなた。あなたが忘れてしまった、遠い日の私」
「……え?」
 その言葉に困惑する紅香に、ドッペルはまたも微笑みかける。
「思い出して、私を。あなたには、するべきことがある……」
「なに? なにを言ってるのか……わかんないよ!」
 なぜか押し寄せる切ないような、懐かしいような激情に、潤んだ瞳で紅香は叫ぶ。
「記憶をたどって……。邪神を倒した今のあなたなら、できるはず……。今の、あなたなら……」
 ゆっくりと、ドッペルは微笑みながら宙を後退していく。だが、それまでと違って、その微笑みにはどこか……まるで消え行く陽炎のような儚さがあった。
「……待って! 私に、何を思い出せっていうの!?」
 追いすがる紅香に向かって、微笑んだまま、ドッペルは背後の姿見に吸い込まれるようにして、やがて、消えた。
「……消えた」
 事の成り行きを呆然と見ていた静馬がつぶやく声で、紅香は我に返った。
 ゆっくりと、紅香はドッペルの消えていった姿見に歩み寄る。その足に、こつんとなにかが当たった。
 足元に視線を移すと、そこには見慣れない形のペンダントが落ちていた。銀だろうか、錆だらけの細いチェーンと球形のトップスで象られたアクセサリー。球形の部分は見たこともない、黒い物体でできている。その部分は金属なのか、そうでない何かなのか、それすら判別できない。
「……これ……」
 思わず、紅香がそれを拾い上げる。その瞬間、黒いトップスがまばゆい光を放った。
「わ……」
 反射的に目をつぶった紅香が、再び目を開いたとき、その手にあったそれは、奇妙な変貌を遂げていた。錆だらけだったチェーンは磨き上げられたように輝き、焦げたような黒いトップスは燃え上がるような紅い不思議な揺らめきをたたえた、透き通った石となっていた。
「……これは……どうなってる……?」
 つぶやいた静馬に答えるように、紅香がつぶやく。
「私……これ……見たこと、ある……。でも、思い出せない……いつ……? どこで……?」
 その不思議な石を額につけるようにしながら、さらに紅香はうめく。
「くそっ……わけわかんない……。ほんっと、わけわかんないよ……っ」
 
 前崎市にある、とある小さな教会の礼拝堂。そこには、眼鏡をかけた神父らしき青年と、人形のような瞳の女性――――ウィノナがいた。紅香にやられたはずの右手は、何事もなかったかのように、そこにある。
「ザムエル様……紅い少女。接触。影……」
「そうですか。いい傾向です。良好、良好。あとはあっちがきちんと仕事をしてくれればいいんですがねえ」
 ザムエルと呼ばれた青年は、その言葉とは裏腹にかすかに歪んだ笑みを浮かべている。
「まあ、相手が教会随一のエクソシストですから、そう簡単にはいかないでしょうが……」
「……同意」
 そのとき、教会の扉が開き、白い僧衣を着た青年が飛び込んできた。
「ザムエル司祭!」
「騒々しいですねえ。どうかしましたか?」
 とぼけたようなザムエルの言葉に、青年はその瞳にかすかに怒気をのぞかせる。
「どうかしましたか、ではありません! いったい、いつになれば彼の少女を、本腰を入れて討伐するのですか!? それが我々の使命でしょう! 我らにとって、あの少女はいてはならない存在なのですから!」
「あの少女は、あなたたちが思っているよりも、危険です。もう少し、慎重になったほうがいいでしょう。先発隊がどうなったのか、知らないわけではないでしょうに」
 青年に背を向け、ザムエルは眼鏡の位置を直しながら言う。青年から見えないようにしながら、その顔には醜悪な笑みが浮かんでいる。それは、心底、青年をあざけるような醜悪なえみだった。
「だからこそ、彼らよりも腕のたつ我らが召喚されたのでしょう! そこの人形でもあの少女には敵わなかったのなら、なおさらです! あの少女こそは教会の最大の汚点……過去の醜態の証拠であることは、邪神の事件で証明されたはず! 一刻もはやく、彼女を消去せねば……」
 次第に熱を帯びたものになっていく青年の言葉に、調子を合わせるかのように、ザムエルの表情が変わっていく。穏やかな青年の表情から、怒りを抑えているかのような憤怒の表情へ。
「お前……しゃべりすぎなんだよ」
「……え?」
 その声色の変化に、青年がぎくりとその動きを止める。
 ゆっくりと、ザムエルが振り返る。その表情や動きは、普段の穏やかな彼のものとはとても思えない。射抜くようなその瞳は怒りに満ちていながら、その唇は不気味に歪んだ笑みを浮かべている。
「しゃべりすぎだよォ……お前。知ったかのような口をききやがって、ああ?」
 笑むような、怒りのような、奇妙な表情を浮かべながら、ザムエルは青年ににじり寄る。その手に、徐々に奇妙な力が収束していく。
「お前みたいな雑魚に、ウィノナを人形扱いをされるいわれはねぇんだよォ。俺の大事なコレクションを愚弄しやがって。立派な反逆罪だぜェ? お前さァ」
 その様が司祭のそれでないように、その手に集まっていく力も、司祭のそれには見えないように思えた。
 青年は後ずさり、恐怖におののいた表情で走り出す。教会の入り口を開けようとするが、扉は向こう側から押さえつけられているかのようにびくともしない。
「逃がすわけないだろォよ? 俺のコレクションを愚弄して、それよりなにより、あの方……私が遥か昔より……そして今も敬愛して止むことのないあの方を、汚点だとかぬかしやがって、懺悔しても……許しませんよォ?」
 もはや扉にすがりつき、這いつくばるしかできない青年の前に、ザムエルは立つ。その口調と同じく、その表情は怒りと笑みが混じった混沌としたものになっている。
「その命でさァ……償うしかありませんよォォォォォッ!」
 絶叫とともに、ザムエルは収束した力を青年へと叩きつける。青年の身体は吹き飛ばされ、天井や壁にさんざんに叩きつけられた挙句……ごみを投げ捨てるかのように、ぽいと床へ投げ出され、動かなくなった。
「くくくくくく……安息の中で眠れ」
 その様子を、ウィノナは静かに見ていたが、やがて、青年の屍を抱えあげる。そして、問いたげな様子でザムエルを見る。
「……処分?」
 その声に、奇妙に表情を変えていたザムエルが、我に返ったように、穏やかな表情にもどった。
「……ああ、お願いします。いやあ、この方があまりにやかましいものですから、つい怒ってしまいました。大人気ないですねえ、お恥ずかしい」
 頭を掻きながら、ザムエルがはにかんだように微笑む。
「申し訳ありませんが、そのごみは処分しておいてください。やり方はウィノナにお任せしますので」
 簡単な手伝いを頼むかのように、ザムエルが言う。
「……御意」
「あ、そうだ。それと……」
 青年を抱えたまま出ていこうとするウィノナに、ザムエルが声をかける。
「ウィノナ。知っておいてください。どうか、壊れないでくださいよ。あなたは私の大切な……」
 眼鏡の奥の瞳が、くっと細まる。
「私の大切な、コレクションなのだから」
 
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