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「チェスシリーズ」

「ナイト」

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私の住んでいるのは、宮崎県の延岡市の祝子川ほうりがわの川沿いに住んでいる。
かつては、都会に暮らしたこともあったが、身体を崩し、実家のある延岡市に戻った。
延岡市は、4つの大きな川が流れ込む地であり、少し変わった堤防がある。
アイデアに行き詰まったら、まずは家の裏の堤防を散歩するのが昔からの日課であった。
これは都会に住んでいたときから変わらず、連載中アイデアに悩んだ私が何も言わずに実家まで戻ったときは、逃げたと勘違いした担当編集が慌てて探したこともある。
深夜だというのに、慣れた道だからと懐中電灯どころかスマホすら持たずに歩いていた私は、散歩の道中、あるアイデアを思い付いた。
それをメモしようと、スマホを取り出そうとして、やっと自分が何も持たずに家を出た事に気が付いた。
アイデアを忘れる前に帰ろうと走ったのが悪かったらしい。私は、足がもつれてそのまま川へと堕ちてしまった。
川の勢いがあったわけではない。むしろ、穏やかだったぐらいだ。しかし、堕ちた体力と衣服のままの着水…溺れるのには十分すぎる条件だった。

※※※

気が付くと、私は、川辺で倒れていた。
それも、もう昼間…かなりの時間眠ってしまっていたらしい。
周りを見渡すと、違和感がある。見慣れた風景ではあるが、どこか違う。
少し歩くと、祝子清流橋があった場所に橋が無い。
確か、「SAME」の連載開始時に完成したはず…なので、35年前には完成していたことになる。
ということは、ここは、35年以上前の過去?
タイムトラベルものを描いた漫画家が、タイムトラベル…笑えない冗談だ…
だが、まあ悪くはないかもしれない。この時期の「SAME」の内容を軌道修正できれば、「ポーン」もかなり制作しやすくなる。
35年前の私は、まだ都会か…ついでに身体を壊さない方法も助言しておこう…
私は、公衆電話からかつての仕事場に電話をかけた。
が、そこで繋がったのは、知らない会社だった。
かなりの期間使っていた仕事場なので間違えるはずもない。
タイムトラベルですら無い?…タイムトラベルであれば、まだ、理解できるし、35年ぐらいの過去であれば元の時代に戻れずともやっていける自信はあった。タイムトラベルでも説明できない別の何か…私は慌てて、そこにいた人に尋ねた。
「今は西暦何年ですか?昭和ですか?平成ですか?」
橋がなかった時点で、令和という可能性は捨てていた。
「西暦?昭和?平成?おこつるな…今は神西暦しんせいれき762年ちゃろ。」
神西暦…私が「GAME」「SAME」「VANE」で使っていた暦だ…雑誌掲載時のみであれば「鬼火」の第3話でも使用したことがあったか…そのために、「GAME」「SAME」「VANE」の3作品は「神西暦シリーズ」と呼ばれている。
私の中で1つの仮定が導かれた…「GAME」「SAME」「VANE」の「神西暦シリーズ」もしくは、まだ連載開始していない「ポーン」のどちらかの作品の世界内に、私自身が紛れ込んでしまったという説。
私は、急いで市街地の方へと向かった。向かうは書店…仮に「神西暦シリーズ」の世界だとしても「ポーン」の世界だとしても、私の作品の世界に私の作品は置いているはずがない。
神西暦には裏設定がある。本来の歴史に詳しい人への矛盾やネタバレを避けるために明かしていないが、神西暦に1227年を足した年がモデルとなった西暦の年なる。
つまり、今は実質的には西暦1989年…この頃、この延岡市で一番大きかった書店はブックスヒュウガ。
あの店はデビュー当時からサイン会やイベントをして、私を応援してくれていた。
かつては、随時、私の特設コーナーを置いていてくれていたあの店で、私の本が置いていなかったとすれば、それは私の仮説が正しかったということになる。
ブックスヒュウガについた私は、店内をくまなく探したが、私の本は一冊も売っていなかった。
ただ、漫画雑誌自体は存在した。姉妹誌の「ゴロ」と「ゲル」…本来の「ゴロ」には翌週の16号から連載開始される「SAME」の予告が、「ゲル」には「ナイト」終盤になって明かされる海波洋一の正体に関する伏線が貼られているはず…だが、どちらの雑誌にも私の名前は1つも掲載されてなく、あったのは別の漫画だった。
仮説が実証された今、どうしたものか…とりあえず、食いぶちを探すために、「ゴロ」と「ゲル」に漫画の持ち込みでもしてみるか…
いや…そんな事しても面白味がないか…仮説が実証された今、探すべきは各作品の主人公たち…特に年代的に出会う可能性のある「チェスシリーズ」の二人と会えるかどうかで、「ポーン」の世界か「神西暦シリーズ」か判断できる。
今が、神西暦762年・西暦1989年とすれば、会える人間は、「ナイト」主人公の水本耕二みずもとこうじと「キング」主人公の海波洋一みなみよういちか…
「ゴロ」が15号だったことから、まだ3月…
西暦1989年3月…水本耕二が戦いに巻き込まれるのが、西暦1989年の4月…それもここから近い高千穂峡…
私は高千穂峡へと足を運んだ。

***

天孫降臨の場所として知られる高千穂… 澄み渡った水と壮大な岩壁…その絶景は、太古の昔、神が降り立ったという伝説を納得させる。
人と神との戦いの場所に、私が、この場所を選んだのも、私がこの場所に惚れ込んだからに他ならない。
「ナイト」の設定通りであれば、高千穂峡の奥地…かつて何人もの人間が修行したという奥地に、水本耕二はいるはずである。ただし、その目的は修行ではない。「ナイト」での設定では、殺人を犯し警察から身を隠すために山の中にこもっていた。
「おい、お前はここに何しにきた?」
私の喉元に、水本耕二がナイフを突き立てながら聞いてくる。
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