黒田茶花

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就職祝い

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 その夜は、上野の中華料理屋で研究者仲間と祝杯を挙げた。小上がりの席で、細長いテーブルを囲む十数人は、気心の知れた同年代の仲間たちだ。皆それぞれ非常勤講師や研究員、任期付きの助手などをしながら、正規の大学教員を目指している。
「宮川講師の前途を祝して乾杯!」
原田がふざけて言いながらジョッキをかかげ、ぐいっとビールを飲み干した。
「よしてくれよ、福島と原田もじきに決まるだろ。そうしたら、やっと俺たちの時代だ」
宮川はギョーザを箸でつまみながら言った。
「そうだな。昔からずっと、学界や大学組織のあり方を変えたいと話していたもんな。有言実行してみせた宮川はすごいよ」
福島はしみじみした様子で言った。今日集まったメンバーの中でも、福島と原田は院生の時からよく集まって飲んでいる同志だった。三人とも閉鎖的・保守的な学界や大学組織に問題意識を持っており、自分たちが早く正規の大学教員になって現状を変えていきたいと思っていた。大学や学問のあり方について、朝まで酒を酌み交わしながら語り合ったこともあった。
「そういえば今日の研究会の帰りに、エレベーターで内山のやつと一緒になったよ」
宮川はふと思い出して言った。原田は意地が悪そうにニヤッと笑った。
「それは気まずいな。何を話したんだ?」
「就職おめでとう、みたいな感じ。別にあいつに祝われても嬉しくないけど」
「ふうん。でも、内心悔しがってるんじゃない?」
原田はそう言った。
「あの人は何も感じてなさそう」
福島は苦笑した。宮川はため息をつく。
「自分の研究にしか興味のないオタクだからな。ああいうやつが、今の嘆かわしい学界の状況を作っているんだ」
宮川の言葉に福島も頷く。
「研究者はもっと開かれた存在になるべきだよ。社会を見て、今の時代に合ったことをしないと。研究室に籠もって研究しているだけでは、先細りになるばかりだ」
その時、不意に鈴を転がしたような声が聞こえてきた。
「おつかれさまですー!」
ビールジョッキを持って宮川の隣に入り込んできたのは、若い女性院生の吉良ひかるだった。今日の席の紅一点だ。
「ひかるちゃん、宮川のすごさを分かってる? この歳で常勤職なんて、大出世だよ。内山みたいに、四十代五十代になっても就職できない奴がいるんだから」
「わあ、すごい! エリートなんですね」
吉良は目を丸くして宮川を見上げ、パチパチと拍手した。小柄で、大きな目とツンとした鼻が特徴的だった。どことなく小鳥のようだ。耳には大ぶりのピアスをつけており、小花柄のピンクのワンピース姿だった。
「研究者を目指すなら、いろいろ教わることも多いと思うよ」
「そうそう、それに有職者の宮川先生には何でもおごってもらえるぞ」
福島はまじめに助言をし、原田はふざけて言う。
「ええ、それは悪いですよ」
吉良は慌てた様子で言った。
「全然いいよ。よかったら山梨に遊びに来て」
宮川は吉良に微笑んだ。吉良が宮川を見上げてはにかむように笑うと、ピアスがゆらゆらと揺れた。香水でもつけているのか、ミルクティーのような匂いがした。宮川は落ち着かない気持ちになって、慌てて吉良から視線を外し、福島を見た。
「そういえば、俺の持っている都内の非常勤をみんなでもらってくれ。分配は福島にまかせるよ」
宮川は今までいくつかの大学で非常勤講師をしていたが、山南大学で正規の教員に採用されたため、やめることになった。後任の非常勤講師として他の研究者を推薦すれば、仕事のない研究者は助かるし、大学も信頼できる非常勤講師を雇える。そうやって、大学の研究室内や仲間内でいくつかの非常勤講師先をキープし、分け合っているのが普通だった。
「えー! 私もやってみたいです!」
吉良は元気よく手を挙げてアピールした。
「君は院生だろ。まだ早いよ」
福島はあきれたように言った。
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