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十月に学会があったが、宮川は発表をあまり聞かずにツイッターをしていた。異分野の発表や院生の未熟な発表も多く、あまり興味を引かれなかったからだ。原田も学会に参加していたが、ずっとスマホを覗き込んでいるようだった。
小説家の花笠奏は相変わらず、海外を引き合いにして日本社会を批判し、女性の権利を主張していて、原田はそれに逐一反論していた。花笠は反応しなかったが、どうやら原田をブロックしたらしい。
「気づいているのに無視してるんだ。卑怯な奴だよ」
学会の休憩時間にコーヒーを飲みながら、原田が怒っていた。
しかし翌週になって、意外な展開があった。花笠奏とその弁護士から、原田に慰謝料請求の内容証明が届いたのだ。週末、宮川と福島はスカイプのビデオ通話で原田の相談に乗った。
『貴殿の下記の発信内容によって、通知人は多大な精神的苦痛を受けました。貴殿の行為は、民法709条、710条の名誉棄損に該当するため、発信内容の削除と百万円の支払いを請求いたします』
内容証明にはそのようにあった。発信内容とは次のようなものだ。
『ブスのくせに「美人と言われたくない。顔で評価されたわけじゃないから」といらん心配をするフェミの常套論法。ネットスラングで「ミサワる」と言うが、今後は「カナデる」と言えばいいのではないか』
『顔で評価されたとは思わんよ。その顔では無理だろうからな。どうせ枕だろ? 一体何人と寝たんだか』
宮川と福島は、思わず息を飲んで黙ってしまった。これまでツイッター上で原田の投稿を見ても、いつもの冗談として流してしまっていた。しかしこの部分だけ取り出してみると、たしかに過激な言葉が並んでいるように見えた。
「……どうだろう。たしかに文脈から離れて恣意的に引用しているけど、証拠として出されると困るな」
「そうなんだよ、卑怯だよな! 正々堂々と議論したら勝てないから、こんな手段に出たんだ。澄ましてたけど、陰でヒスってたんだろうな。更年期じゃねえの?」
原田はまくし立てたが、四角い画面の向こうの顔が少し憔悴しているように見えた。
「原田の人柄を分かってれば、ちょっと言い過ぎただけで、冗談だって分かるよ」
宮川は原田を励ました。
「まあな。でもこれ以上あの女と話したくないし、百万払って終わりにしてやるよ。銭ゲバ女め」
原田は悪態をついた。その後はそれぞれ画面の前で缶ビールを開け、飲みながら花笠の悪口で盛り上がった。仲間同士のクローズドな環境なら、何を言っても問題ない。原田はいつもより酔いが回るのが早く、先に寝ると言ってログアウトしてしまった。
「原田も災難だったな。あいつは少し危なっかしいところがあるから」
福島はビールを飲みながら言った。
「なあ、俺からも花笠に連絡を取ってみようか」
宮川は提案したが、福島はすぐに否定した。
「やめておけよ。お前まで火の粉をかぶることはない。触らぬ神に祟りなしだ。原田の実家は金持ちだから、金を渡して形式的に謝罪して終わりにしたほうがいい」
宮川は「でも」と言いかけたが、やめておいた。宮川は話題を換えた。
「吉良についてどう思う?」
「吉良? そういえば、宮川にずいぶん懐いてるよね。でも、あの子は裏表があると思うぞ」
福島の言い方には少し棘があった。宮川は少し意外に感じた。吉良は若い院生のわりに頭がよく、素直で気配りができる。ああいう子を妻として手に入れたら、皆に羨ましがられ、祝福されるかと思っていた。
通話を切った時はもう深夜だったが、宮川は寝つけそうになかった。酔いが醒めてきて、逆に目がさえてしまったのかもしれない。一人の部屋で少し考えて、やはり花笠にダイレクトメッセージを送ることにした。宮川は大学の教員であり、社会的地位もある。仲裁できるのではないかと考えたのだ。
『山南大学講師の宮川です。原田の件ですが、何か誤解があるのではないかと思います。私からもお話させてください』
しかしいくら待っても花笠からは返信がなかった。しかもその間、花笠はツイッターで新刊の告知をしており、宮川のメッセージも見ているはずだった。
宮川は、大学講師である自分が無視されたことに屈辱を感じた。
『弁護士沙汰にするほどのことでしょうか?』
『ツイッターを見ていらっしゃいますよね? お返事をいただけたら幸いです』
『おーい、見えてますか?』
『自分は大学教員という立場から、公平に仲裁したいと考えています。社会常識があるなら、返信してください』
何通も花笠にメッセージを送ったが、返事は一度も来なかった。やがて原田のほうから、両親から金を借りて示談にしたという報告があった。
『実は、俺も花笠にメッセージを送ってるんだけど、返事がなくてさ』
三人のグループメッセージで、宮川は白状した。
『ありがたいけど、もう済んだことだからいいよ』
原田がメッセージを送ってくる。
『でも、俺の話なら聞くかなと思って。一応、山南大学の肩書きもあるしさ』
しばらくして、原田からまたメッセージが届いた。
『さすがは山南大学の講師殿(笑)』
原田のために頑張っているのに揶揄されたように感じ、宮川は心外だったので何も返信しなかった。福島からも返信が来ず、話はそれきりになった。
小説家の花笠奏は相変わらず、海外を引き合いにして日本社会を批判し、女性の権利を主張していて、原田はそれに逐一反論していた。花笠は反応しなかったが、どうやら原田をブロックしたらしい。
「気づいているのに無視してるんだ。卑怯な奴だよ」
学会の休憩時間にコーヒーを飲みながら、原田が怒っていた。
しかし翌週になって、意外な展開があった。花笠奏とその弁護士から、原田に慰謝料請求の内容証明が届いたのだ。週末、宮川と福島はスカイプのビデオ通話で原田の相談に乗った。
『貴殿の下記の発信内容によって、通知人は多大な精神的苦痛を受けました。貴殿の行為は、民法709条、710条の名誉棄損に該当するため、発信内容の削除と百万円の支払いを請求いたします』
内容証明にはそのようにあった。発信内容とは次のようなものだ。
『ブスのくせに「美人と言われたくない。顔で評価されたわけじゃないから」といらん心配をするフェミの常套論法。ネットスラングで「ミサワる」と言うが、今後は「カナデる」と言えばいいのではないか』
『顔で評価されたとは思わんよ。その顔では無理だろうからな。どうせ枕だろ? 一体何人と寝たんだか』
宮川と福島は、思わず息を飲んで黙ってしまった。これまでツイッター上で原田の投稿を見ても、いつもの冗談として流してしまっていた。しかしこの部分だけ取り出してみると、たしかに過激な言葉が並んでいるように見えた。
「……どうだろう。たしかに文脈から離れて恣意的に引用しているけど、証拠として出されると困るな」
「そうなんだよ、卑怯だよな! 正々堂々と議論したら勝てないから、こんな手段に出たんだ。澄ましてたけど、陰でヒスってたんだろうな。更年期じゃねえの?」
原田はまくし立てたが、四角い画面の向こうの顔が少し憔悴しているように見えた。
「原田の人柄を分かってれば、ちょっと言い過ぎただけで、冗談だって分かるよ」
宮川は原田を励ました。
「まあな。でもこれ以上あの女と話したくないし、百万払って終わりにしてやるよ。銭ゲバ女め」
原田は悪態をついた。その後はそれぞれ画面の前で缶ビールを開け、飲みながら花笠の悪口で盛り上がった。仲間同士のクローズドな環境なら、何を言っても問題ない。原田はいつもより酔いが回るのが早く、先に寝ると言ってログアウトしてしまった。
「原田も災難だったな。あいつは少し危なっかしいところがあるから」
福島はビールを飲みながら言った。
「なあ、俺からも花笠に連絡を取ってみようか」
宮川は提案したが、福島はすぐに否定した。
「やめておけよ。お前まで火の粉をかぶることはない。触らぬ神に祟りなしだ。原田の実家は金持ちだから、金を渡して形式的に謝罪して終わりにしたほうがいい」
宮川は「でも」と言いかけたが、やめておいた。宮川は話題を換えた。
「吉良についてどう思う?」
「吉良? そういえば、宮川にずいぶん懐いてるよね。でも、あの子は裏表があると思うぞ」
福島の言い方には少し棘があった。宮川は少し意外に感じた。吉良は若い院生のわりに頭がよく、素直で気配りができる。ああいう子を妻として手に入れたら、皆に羨ましがられ、祝福されるかと思っていた。
通話を切った時はもう深夜だったが、宮川は寝つけそうになかった。酔いが醒めてきて、逆に目がさえてしまったのかもしれない。一人の部屋で少し考えて、やはり花笠にダイレクトメッセージを送ることにした。宮川は大学の教員であり、社会的地位もある。仲裁できるのではないかと考えたのだ。
『山南大学講師の宮川です。原田の件ですが、何か誤解があるのではないかと思います。私からもお話させてください』
しかしいくら待っても花笠からは返信がなかった。しかもその間、花笠はツイッターで新刊の告知をしており、宮川のメッセージも見ているはずだった。
宮川は、大学講師である自分が無視されたことに屈辱を感じた。
『弁護士沙汰にするほどのことでしょうか?』
『ツイッターを見ていらっしゃいますよね? お返事をいただけたら幸いです』
『おーい、見えてますか?』
『自分は大学教員という立場から、公平に仲裁したいと考えています。社会常識があるなら、返信してください』
何通も花笠にメッセージを送ったが、返事は一度も来なかった。やがて原田のほうから、両親から金を借りて示談にしたという報告があった。
『実は、俺も花笠にメッセージを送ってるんだけど、返事がなくてさ』
三人のグループメッセージで、宮川は白状した。
『ありがたいけど、もう済んだことだからいいよ』
原田がメッセージを送ってくる。
『でも、俺の話なら聞くかなと思って。一応、山南大学の肩書きもあるしさ』
しばらくして、原田からまたメッセージが届いた。
『さすがは山南大学の講師殿(笑)』
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