黒田茶花

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激昂

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池田教授の体調が優れず、土曜研究会はしばらく行われていなかったが、ようやく再開された。宮川は発表を聞きながらスマホを見ていた。
『最近、夕方になると目が疲れます。パソコンに向かわないといけない現代人は、大変ですよね。ホットアイマスクは気持ちよくて、重宝しています。皆さんはどうしていますか?』
宮川は夢中になってメッセージを送る。
『目によいと言えば、姥子温泉ですよ。錫川哲の小説の舞台にもなったんです。よかったら一緒に行きませんか?』
ふと気配を感じて振り返ると、宮川の斜め後ろに内山が立っていた。研究会はいつのまにか終わっていたらしく、教室に残っているのは宮川と内山だけだ。内山はいつになく険しい表情だった。
「宮川君、そんなに携帯ばかり見ないほうがいいんじゃないか?」
「は……?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし内山の言葉の内容を宮川の脳が理解すると、すぐにカッと血がのぼるのを感じた。
「うるせえな!」
激昂して言い返した宮川に、内山はたじろぎつつ言った。
「時間を忘れるほど、夢中になっているようだったから。それに、画面を凝視しては目に悪い」
「黙れ。干渉してくんなよ」
宮川が睨みつけると、内山は丸々とした体を小さく折り畳むようにして、深く頭を下げた。
「分かった。本当に申し訳ない」
宮川は苛つきながら、手早く荷物をまとめて席を立ち、教室を出た。
 
ドラッグストアで使い捨てのホットアイマスクをたくさん買って、鎌倉に向かった。電車に揺られながら、宮川は夢想した。もし将来、花笠と結婚して子どもが生まれたら、子どもに「お父さんはホットアイマスクを山ほど買ってお母さんに会いに来たんだよ」なんて話すのだろうか。
 宮川は羽のように軽やかな足取りで花笠の自宅に向かった。インターフォンを鳴らすと初老の女性の声が聞こえた。花笠の母親だろう。
『どちら様ですか』
「花笠奏さんに用事があってきました」
『……少々お待ちください』
花笠の母親の言葉遣いは丁寧だったが、話し方からは不審感がにじみ出ていた。花笠の母親は一旦通話を切った。宮川がやきもきしながら待っていると、花笠の声が聞こえてきた。
『どういうつもりですか?! 自宅まで訪ねてくるなんて』
急に激しく詰め寄られたので、宮川は少しパニックになった。
「どうって、目が疲れやすいと聞いたので、ホットアイマスクを買ってきたんですよ」
宮川はインターフォンのカメラを探すと、ドラッグストアの袋を掲げて見せた。
『いりません。今までメッセージ等を無視してきたのは、いずれ諦めると思っていたからです。それなのに、家まで突き止めて訪ねてくるなんて異常ですよ』
「そんな、ひどい言いようですね。よかれと思ってのことなのに。好意は素直に受け止めるものですよ」
『今すぐ帰ってください。お母さん、警察を呼んで』
花笠の母親が横で警察に通報しているのが聞こえた。宮川は仕方なく、今日のところは引きさがることにした。
「驚かせてしまいましたね。ホットアイマスクは、玄関前に置いておきますから」
『いりません。置いてあったら、証拠品として警察の方に渡すか、捨てます』
 宮川は悄然として帰路についた。坂を下りながら、鈴川哲『湯のみち』には続きがあるのを思い出した。
 姥子温泉は箱根の山奥にあり、箱根湯本から十五キロもの道のりがある。兄妹と離れた主人公は先に湯のみちを進み、姥子温泉に到着した。後から到着するであろう兄妹を待つが、何日経っても現れない。主人公は湯に浸かりながら、道中で何かあったのか、諦めて湯本の宿に泊まったのか等を考える。数日間の湯治の後、帰ろうとすると、観音菩薩像が路傍に林立しているのが見える。観音菩薩像に見られていると感じた主人公はそら恐ろしくなり、ここで起こった出来事を忘れようと思って早々と山を下るのだ。
宮川は思わず身震いした。黄昏時で、あたりはとっぷりと暮れていた。
(思い通りにいかないものだよな。過ぎたことは忘れよう)
宮川は鎌倉駅に向かう足を速めた。
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