大唐に描く恋の絵

黒田茶花

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第一章 出会い

2.習作

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家に帰ってから、両親は春燕に対して、相変わらず冷淡だった。

春燕の家ーー張家は、寒門ながら貴族だ。両親が何もしなくても、使用人が最低限の世話はしてくれる。

もっとも、例によって使用人たちも、内気な春燕を軽んじていた。春燕は主に自室で書物を読んだり、習字や裁縫をしていた。ごくたまに、こっそり屋敷を抜け出して、街をめぐった。

でも、近ごろの春燕は満ち足りた気持ちだった。

春燕は自室で、終南山の出来事を思い出した。目を閉じて、神々しい黄金の銀杏と、凛々しい青年のことを思い浮かべる。

春燕は美しいものを探し愛でるのが好きだったが、あんなに美しい光景は初めてだった。一方で、日が経つにつれ、不安にもなってきた。

(このまま、だんだんと忘れてしまうんじゃないかしら…)

忘れないように、繰り返し繰り返し思い浮かべてみたが、まだ心配だった。

(時を止めて、あの瞬間を写しとれるような宝があればいいのに…)

春燕はふと思い立った。習字の紙と筆、硯と墨を出してきた。硯に、水差しの水を少し加えて墨をする。寒い季節だから、墨はひんやりと冷たい。

習字の時よりも少し薄めの墨。それを筆に含めると、そっと紙の上におろす。

すすっと何本か線を引いてみて、それから、銀杏の樹を描いてみた。それから男性の姿。

まもなく筆を止めて、絵の全体を見た。まったく美しくない。

(子どもの落書きの方が、うまいかもしれないわ)

春燕はがっかりした。

「何をなさってるんです?」

気づくと、女中が背後に立って、呆れたように春燕を見ていた。

「紙も墨も高価なんですから。無駄にしないでくださいよ」

春燕は俯いて、筆を置いた。絵を描いた紙をそっと畳んで、懐に入れた。女中は続けて言った。

「それより、ご両親がお呼びです」

***

女中に言われて正堂に向かうと、両親は神妙な顔で、南面を向いた椅子に座っていた。

このように改まって呼ばれることなどめったにない。春燕は訝しく思いながらも、少しお辞儀して正堂に入った。

両親の背後には、老人の絵が描かれた掛け軸がかかっている。孔子様らしい。先ほど自分が描いた絵よりずっとうまい。顔のバランス、服の皺、ポーズ。

「またボケッとつっ立って。本当に大丈夫なのかしら、この子」

母が言った。

「なに、特別なことをする必要はないんだ。罪さえ犯さなければいい。この子はそういう子ではないだろう」

「大それたことをするような勇気がありませんものね」

春燕は緊張して、体が固まってしまった。両親が厳しい目で春燕を見ながら、何か論評する。それだけで、春燕は恐くなり、いつも以上に何もできず、何も言えなくなってしまう。

両親の姿がどんどん大きくなってきたように感じた。同時に、両親の背後の孔子様もどんどん大きくなってくる。

「さて、春燕」

父が改まった様子で言った。

「お前には、侍女として後宮に入ってもらう」

父の言葉に、春燕は呆然とした。

「後宮?」

「つまり、陛下や皇室の方々の召使いとなるのだ」

「召使い…」

たしかに、この世界は平等ではなくて、貴族もいれば使用人もいる。張家にも使用人がいる。春燕も自分が使用人となるのを、嫌がるべきではないかもしれない。それでも。

「……弟は?」

今度は母が答えた。

「あの子は国の学校で学ぶのよ。娘を後宮に入れた家は、特別な権利を授かるの。あの子も国の学校に入れる」

「つまり……そのために?私は、犠牲に?」

春燕にしては、思いきった抵抗だった。春燕は続けて言った。

「同じ家に生まれた姉弟なのに、何でこんなに違うの?」

母は面倒くさそうに言った。

「あのね、弟は立派な官僚になって、家を継ぐの。娘は、いつかは嫁に行くものなの。嫁に行くのも後宮に行くのも同じでしょう。むしろ、たとえ召使いでも後宮にいれば、陛下や殿下方のお手付きになれるかもしれないのよ」

父も春燕を宥めるように言った。

「姉弟だからこそだろう。弟のために何かしてやろうと思わないのか?頼むから聞き分けてくれ」

「……」

春燕はふらふらと正堂から出ると、駆け出した。通用門から屋敷の外に出て、街に向かった。

〈続〉
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