神様のいたフットサル部

かつたけい

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第十二章 初戦突破!  ―― 対杉戸商業戦・その4 ――

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 笛の音が響いた。
 両チーム得点の生まれぬまま前半戦が終了し、これから十分間のハーフタイムだ。

「無失点は上等。後半はガンガン攻めて点取ろうぜえ!」

 ゆずは他のFPフイールドプレーヤーたちと一緒にピッチから引き上げながら、元気に右腕を突き上げた。

「おい」

 突然、声とともに横から肩に手を置かれた。

「ん?」

 柚葉は、その声の方に顔を向けた。
 呼び掛けたのは、たかふたであった。

「なんだよ、妙に改まった顔して……っと、おいこら! なにすんだよ!」

 双葉がいきなり柚葉の腕を掴み、強引に引っ張ったのだ。

「やめろ、離せって。どうした、藪から棒にさあ」
「ええからっ」

 双葉は構わずぐいぐい引っ張り、他の部員たちに会話を聞かれない程度にまで距離を空けると、柚葉の背を壁に押し付け顔の両側に自らの手を置いた。

「あたし、そういう趣味ないんだけど……」
「やかましい! うちかてないわ!」

 双葉は、いうが早いか柚葉の右腕を掴んで袖を肩までまくり上げていた。

「やっぱり……」

 痛々しいものを見るかのように顔をしかめると、ぼそりと震えるような声を出した。
 柚葉の二の腕には、肉の引き攣れたような痕跡があったのだ。

 以前に良子の家へ向かおうとして小江戸で会った時、柚葉はノースリーブの服を着ていたが、確か右腕にはスカーフを巻いていた。おしゃれではなく、この傷を隠していたんだ。双葉はそう確信した。

 ついで双葉は、シャツの裾を掴んで強引にアンダーごと引っ張り上げた。
 柚葉の、脂肪のほとんどない引き締まったお腹があらわになった。
 へその周辺が、まるで焼きごてで落書きでもされた跡であるかのように、こんもりと盛り上がっていた。

 ふう、と双葉はため息をついた。
 首を横に振ると、きっと柚葉の顔を睨みつけた。

「とっくに気づいとったやろ、お前」

 潤んだ目で睨みながら、捲り上げた袖や裾をもとに戻した。
 柚葉は特に呆気にとられているという風でもなかったが、すぐには応えず数秒ほど沈黙し、やがて楽しげに、にっと笑みを浮かべた。

「そっちこそ、いつから関西弁になった?」

 その質問は、同時に双葉の質問を肯定するものであった。

 双葉が小学生になりたての頃に公園でよく一緒にボールを蹴った女の子、それが九頭柚葉だったのである。

 今度は双葉が沈黙する番であった。
 なにかを口に出そうとはするものの、唇が痙攣するのみでまるで言葉にならなかったのだ。
 どのくらい無言でいただろう。
 いつの間にか、双葉の目は涙で一杯いまにも溢れそうになっていた。
 ようやく、柚葉もちょっと驚いたように息を飲んだ。

「ちょっと、お前、なにを泣いて……」
「ごめんなさい!」

 双葉は、柚葉の声を掻き消しながら深く頭を下げた。
 涙がつうと頬を伝い落ちた。

「あの時は……本当に。あたし、勇気がなくて……なんにも出来なくて。申し訳ないと思ってた。ずっと、強くなりたいと思っていたけど、ただ思うだけで、そんな自分が嫌で……。せめて謝りたいと思っていたのに、全然公園に来てくれないんだもん! だからっ! ……だから、あたしっ……」

 あぐっ、としゃくりあげた双葉は、ぼろぼろと涙をこぼし声を出し、本格的に泣き出してしまった。

「きっもち悪いなあ、いまさら標準語喋られてもさあ。蕁麻疹が出るから早く戻せよ、ああかゆいっ」

 柚葉は、自分の腕や首をぽりぽりと掻いた。

「あ、わわ分かっとるわ。けじめつけただけや」

 双葉はなんだかよく分からないことをいいながら、まぶたを袖で拭った。

 別になにかへのけじめで標準語を喋ったわけではなく、無意識に幼かったあの頃に心が戻ってしまっていただけだ。
 恥ずかしくて、とても柚葉にいえるはずもなかったが。

 せや、別に現在のうちがこいつなんかに泣いて謝ったわけやないで。
 十年前の自分が謝っただけ。
 十年前の自分が泣いてるだけや。
 うちは泣いとらへん!
 誰が泣くか。

 双葉はそう自分の心をごまかしながら、もう一度袖でまぶたを拭うと、ずっと鼻をすすった。
 改めて柚葉の顔を見て、ちょっと驚いて軽く目を見開いた。
 柚葉が、楽しげな微笑を浮かべていたのである。

「な……」

 なんやキショイ顔で笑ったりして、と、双葉が口を開きかけた時、

「色々と茶化したりして、ごめんな。ほら、あたしこんなふざけた態度しか取れない性格だからさあ」

 柚葉が微笑したまま、声をかぶせてきた。

 双葉は二の句どころか一の句すら出せず、そのまま言葉を飲み込んだ。
 呆気にとられたように、ぽかんと口を開き、柚葉の顔を見つめていた。

 どれくらいの沈黙が流れたか、ようやく双葉はぶるぶるっと身を震わせると、

「ええわ、そんなん! もう散々、うちの恥ずかしいところ見せまくってしまっとるしな」

 照れをごまかすように、少し不機嫌そうな顔を作った。

「そうだな……その恥ずかしいところの数々を動画にでも録っておけばよかったな」
「お前の私服ほど恥ずかしくないわ」
「あたしの着る服のどこが恥ずかしいんだよお!」

 柚葉は唇を尖がらせた。

「小江戸で、パンツ見えそうなの履いとったやないか。うちには絶対に無理や」
「スタイル抜群なのでなんでも似合うんでーす。短足の関西弁には、確かに無理だと思いまーす」
「単に背がでかいだけやないか。ガリガリで、おっぱいちっちゃいくせに」
「またいったなあ、その言葉を!」

 柚葉は、だんと床を踏み鳴らした。
 だけどもその顔には、楽しげな笑みが浮かんでいた。

 双葉も、なんだかおかしくなってしまい、ぷっと吹き出した。そして、声を立てて笑い始めた。
 それを受けて、柚葉も声を上げて笑った。

「双葉ちゃん、ユズちゃん、なにやってんの? はやくはやくっ!」

 新堂良子がじれったそうに手招きで二人を呼んでいる。

「ああ、悪い。ユズ公の態度が生意気だぞって、しめとったんや」

 双葉は良子たちへと振り返ると、とてとてと走り出した。

「ま、そういうことにしといてやるよ」

 柚葉も後に続いた。

「おまたせ」

 一年生の輪の中に、双葉は入り込んだ。
 と同時に、ちょっと怪訝そうな顔になった。良子に、じっと覗き込むように見つめられていたからである。

「双葉ちゃん、泣いてた……の?」

 良子が、きょとんとした様子で首を傾げた。

「は、はあ? そんなわけないやん。うちが泣くんは財布を落とした時だけや」

 双葉は見え透いた嘘をついた。

「ユズちゃんと、なんかあったの?」
「なんで? つうか別に泣いてないっていっとるやん」
「いや、そうじゃなくて、なんか二人とも……すっごい素敵な顔になってるからさあ」
「えっ?」

 と驚いたのは、双葉よりむしろ柚葉の方であった。
 双葉は泣きはらして目を真っ赤にしているから指摘されればごまかしようがないが、自分はいつも通りの顔をしているだけなのに、と。

「ドンちゃん、ちょっといい?」

 鏡がないので自分がどんな表情をしているか分からず、柚葉は鈍台洋子の肩に両手を置いて、瞳を鏡代わりに覗き込んだ。
 洋子の瞳には、いつもと同じふてぶてしい顔をした自分が映っているだけであった。

 双葉が意地悪そうに微笑んでいるのに気がつき、柚葉は慌てて洋子の顔から離れた。

「いったやろ良子、生意気だからしめとっただけやって。素敵な顔なんかになるわけないやん、気のせい気のせい。さっ、ほな初戦突破に向けて作戦会議行こうかあ」

 双葉は、良子の小さく柔らかな肩にぽんと手を置くと、ふふっと笑った。

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「ワラ、ポジショニングずれてるっていってんだろバーカ! それと、3番にはあまり食らいつかずクビかカスコと挟め! つうか何度もいわせんなよ! 記憶力ないのか!」

 ゆずは前半戦と同じように自陣ゴール前から仲間に厳しい声を掛け、前半戦と同じようにワラことたかふたには特に罵倒といってもいい荒々しい言葉をぶつけ続けていた。

 前半戦と明らかに異なるのは双葉の側、その反応であった。
 罵倒の言葉を全身に浴びるたびに、素直に頷いてその言葉を無言で受け入れ実践しようとするようになっていたのだ。
 試合は個人でやるものではなく、すぐに噛み合うものでもなかったが、反発ばかりしていた前半戦と比べると間違いなく大きな変化であった。

 連係も、徐々にではあるが確実によくなってきていた。
 そしてついに双葉は、柚葉の指示通りに3番を追い込んで、すず鹿すみとの挟み撃ちでボールを奪い取ったのである。

 高い位置でのボール奪取にチャンスの気配。
 双葉はボールをちょんと前に蹴ると、走り出した。

 ゴール前へとクビことむらたにさくが走りこむのが見えた。そこへパスを出そうとするが、慌てたように間に入り込んだ5番によってパスコースを塞がれてしまう。

「こっち、ワラ!」

 鈴鹿澄子が、後方から全力で双葉を追い抜かした。

 双葉は不意のことにちょっと慌てたが、丁寧に澄子へとパスを出した。

 澄子は背後からのボールをくるりと身体を回転させながら器用に受けると、すぐさま真横へと転がした。

 ピヴォの村谷咲美が走りこみながら、シュート……は、打てなかった。
 ボールが足元に入ってしまい、爪先で床を蹴ってしまったのだ。

 ころころ思わぬ方に転がって行くボールを慌てて追い掛けて収めようとする咲美であったが、飛び出したゴレイロに大きくクリアされた。

「クビ、ドンマイ!」

 咲美の親友であるたかがベンチから叫んだ。
 だがドンマイなどと慰め合っていっている余裕はなかった。ゴレイロのクリアが攻め残っていた5番に繋がってしまい、佐原南は大チャンスから一転して大ピンチを向かえることになったのだ。

 フットサルはコートが狭いため、自由にドリブルをしていられるスペースなどほとんどない窮屈な競技であるが、それもしっかりと人がついていてこそだ。現在5番の周囲には誰も人がおらず、勿怪の幸いとばかりに彼女は悠々とドリブルで駆け上がっていった。

 6番が反対サイドを全力で走る。
 ちらりとそれを見た5番は、ゴール前をかすめるような軌道で速いパスを出していた。

 6番が進路を変えてゴール前に斜めから切り込んだ。
 連係は完璧であったが、ゴレイロの九頭柚葉は読み切っていた。

「甘いぜ!」

 自陣ゴール前から飛び出して全力疾走、6番がボールタッチをした瞬間に横からスライディングで掻っ攫った。
 滑る勢いで立ち上がり、大きくクリア。
 佐原南は柚葉の好判断により、なんとか相手が決定機を迎えるのを阻止した。

「一点差勝負になる。リスク管理を徹底してこう! いまのはシゲが離れ過ぎてた!」

 ピッチの外で、良子は厳しい表情で声を荒らげた。

 でも、良子の胸の中は、なんともいえない楽しい気持ちで一杯だった。

 どうしてそのような気持ちになっているのか、自分でもよく分かっている。
 二人がなんだかいい雰囲気になっていることが、見ていて気持ちいいのだ。プレーぶりに、わくわくとした気分になってくるのだ。

 その二人とは、高木双葉と九頭柚葉のことだ。
 これまでのことを思えば双葉が柚葉の指示を反発せずに受け入れているというだけでも凄いことなのに、徐々にチームプレーの質が高まってきているという自信からか双葉の個人プレーの質までが明らかに向上してきている。これが、わくわくとせずにいられようか。

 それにしても、双葉ちゃんってこんなに上手だったんだ。
 ボールを奪い、相手を抜き去り、パスを出し、パスを受け、シュートを放ち、個人技とチームワークとで果敢に攻める双葉の姿に、良子は半ば呆然と見とれてしまっていた。

 さすが、日本代表候補に選ばれたお母さんを持つだけある。
 本当に、上手だ。
 ユズちゃんが双葉ちゃんにだけたくさん文句をいっていたのも、こういった能力があるのに気づいていて引き出そうとしていたのかも。だとしたら、才能を見抜いちゃうユズちゃんも凄いな。

 いけるかも……
 これなら……いけるかも知れない。
 みんなにはリスク管理だなどといったばかりなのに、完全な運任せの賭けになっちゃうけど……

 すっかり調子を上げて活躍している双葉や、それに引っ張られてピッチを躍動している仲間たちを見ているうちに、良子の脳内に新たな戦術が浮かんでいた。

「でも、練習で一度もやったことないしなあ」

 期待と同じくらい不安もあったが、はからずも躊躇せず試すことの出来る機会が訪れた。
 杉戸商業側に、累積による退場者が出たのだ。
 村谷咲美が蹴ったボールが、本人すらまるで予期せぬ方向に跳ねて、マークしていた12番も調子を狂わされて思わず咲美の足を引っ掛けて転ばせてしまったのである。

 杉戸商業のFPフイールドプレーヤーは一人減り、三人になった。
 フットサルはサッカーと違って退場者が出ても人数補填が可能なルールだ。他の多くの室内球技と同様で、コートが狭くプレイヤー人数も少ないため、一人欠けたまま最後までとなるとそれだけでほぼ勝敗が決まってしまうからだ。
 ただし補填には条件がある。
 退場から二分が経過する、もしくは人数の少ない側が失点した場合だ。

 両者の実力が似たようなものであれば、人数の多い側が圧倒的優位に立って試合を運べることになる。
 だから、良子はもう迷わなかった。

「カスコ、交代!」

 鈴鹿澄子のコートネームだ。

「え、あたしが? 誰と」

 澄子はちょっと驚いたような表情で、良子の顔を見た。双葉同様に個人技やチームワークで再三のチャンスを作っていただけに不満だったのだろう。

「ビリーと」

 良子は答えた。

「えーーーっ!」

 ベンチで飛び上がるように仰天しているのは、ビリーこときりたにまい本人であった。
 無理もない。
 だって、彼女はゴレイロなのだから。

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「どど、どうすんの? あたしがカスコに代わって入ってなにすればいいの? ねえシャク、まさかあたしにアラやれってんじゃないよねえ!」

 普段不機嫌そうに黙々と練習しているくせに、いざとなると気の小ささを隠せないようで、きりたにまいは良子の両肩を掴んでがくがくと揺らした。

 良子は舞を安心させるべくにこり笑みを浮かべると、

「あのね、ビリーはゴレイロだけやってくれればいいから。それで、カスコが抜けたところには、ユズが上がる」

 舞だけでなくみんなに聞こえるように、大きな声で説明した。

「はあ……」

 まだきょとんとしている桐谷舞。

「うおっけえええええい!」

 局面を左右する重要な一翼を任された九頭柚葉は、重圧を感じるどころかむしろ楽しそうにサイドライン際へと小走り、どんだいようからFPユニフォームを受け取り、ゴレイロユニフォームの上から素早く頭を通した。

 洋子のユニフォームを借りたわけではない。ゴレイロはこのような用途に備えて、同じ背番号のFPユニフォームも持っているのだ。

 交代ゾーンで、鈴鹿澄子と桐谷舞が入れ代わった。

「ビリー、あたしのびのびやっちゃうから、しっかり守ってね」

 FPユニフォームを着た柚葉が、入ったばかりのゴレイロに悪戯っぽい笑みで重圧を掛けつつアラの位置へとゆっくり駆けていく。

「こっちの台詞」

 舞はグローブをはめながら自陣ゴール前へと向かった。
 いくらゴレイロが頑張ったところでFPが勝手なことをしていたら、守れるものも守れない。

「おい、いいのかよお、シャク。こんなん練習でも、やったことないだろ。本当に大丈夫なのかよ」

 二年生のくちが不安そうな顔を隠さず、良子の背中をばしばしと強く叩いた。

 もしもこの試合で負ければ、部の主力である二年生と三年生はまったく出番のないままこの会場から去らなくてはならないのだ。自分の出場していない、見守るしかない試合なだけに、心配でいてもたってもいられないのも無理ないことであろう。

「確かに練習で試したことはありません。でもユズちゃん、ユズの、足元の技術はしっかりしています。本当に上手なんです。先輩が心配するのは連係面ということかと思いますけど、それもあたしはいけると判断しました」

 良子がきっぱりといい切ると、さすがに武朽も二の句はつげず黙るしかなかった。

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 さて、むらたにさくが転ばされて得たFK。

 蹴るのはゆずだ。
 彼女の本職はゴレイロであるが、現在ピッチに立つ選手の中で一番精度の高いボールを蹴るため、良子が指示したのだ。

 杉戸商業ゴール前では両チームの選手たちが息詰まるくらいに密集し、押し退け合いながら審判の笛を待っている。

 ゴール斜め前のPAから少し離れた位置にボールが置かれ、そのボールを九頭柚葉が右足の裏で踏み付けている。

 笛が吹かれた。
 柚葉はボールから距離を取り、右腕を上げて人差し指と中指を曲げて仲間にサインを送ると、たたっとボールへ走り寄り、豪快に右足を振り抜いた。

 さっと身を翻したしげみつの身体をかすめて、最短距離でゴールへと向い唸りをあげて飛んだ。
 ゴレイロは完全に意表を突かれたような表情を見せたが、反射的に手を振り上げてなんとかボールを弾いた。

 床に落ち転がったボールへ、3番が駆け寄ってクリア。
 いや、キックミスだ。ほぼ真上に打ち上げてしまった。

 佐原南にとって、絶好のチャンスが訪れた。
 むらたにさくがボールを見上げながら跳躍し、長身を生かして余裕を持って頭で落とす。

 それを茂満香奈美がちょこんとループ気味に蹴り上げて6番の上を通し、落下地点へと駆け込んだ高木双葉が全員の意表を突くオーバーヘッドキックを見せた。
 意表を突いただけであった。
 ミートに失敗してボールを真上へ高く飛ばしてしまい、しかも慣れないことをしたものだから受け身に失敗して後頭部強打。
 なんとも虚しい音が場内に響いた。

 九頭柚葉は近くでその様子を見ながら、思わずぷふっと吹き出してしまった。

「笑うなあ! むしろチャレンジ精神を褒めろ!」

 恥ずかしさに顔を真っ赤にして怒鳴りながら起き上がる双葉であるが、確かに彼女自身のいう通り笑っている場合ではなかった
 こぼれ球を拾った杉戸商業が、迷わず速攻を仕掛けたのである。

 佐原南の油断であった。
 相手は人数が少ないのだからと、みなの守備意識がおろそかになってしまっていたのだ。人数が少ないからこそ速攻のチャンスを狙うことなど、考えてみるまでもない当然のことであるというのに。

 3番が遠目からシュートを放った。攻め慣れずに攻め急いでしまったのか。
 いや、3番のシュートは、全力で走りながらにもかかわらずしっかりと腰の入ったものであり、ボールは風を切り唸りを上げ、弾丸のように真っ直ぐ飛んで佐原南のゴールへと襲い掛かった。どう見ても苦し紛れではなく、狙い放ったものであった。

 佐原南ゴレイロのタイミングを外すということと、そのゴレイロが交代で入ったばかりで公式戦慣れしていない控え選手なのだろうという想像から(事実は佐原南ゴレイロ二人とも、この試合が高校入学後初の公式戦であるのだが)遠目から思い切り狙ったのだろう。

 いずれにしても自身のシュート能力に自信がなければ出来ないことであり、実際にゴレイロの桐谷舞は不意をつかれて完全に慌ててしまっていた。

 しっかり見ればキャッチすら容易なボールであるのかも知れないが、余裕がなくあたふたあたふた、なんとか腕を当ててボールを弾き出したものの、失点していても不思議ではなかった。

「もう! ユズが戻らないから!」

 舞は怒鳴り、どんと床を踏み鳴らした。

「……危なかったあ」

 我に返ると、ほっと安堵のため息をついた。

 ピッチ外では、主将代行であるしんどうりようも同様に安堵の息を漏らしていた。
 次いで良子は、笑みを浮かべた。

 よく重圧に耐えて最初の大ピンチを凌いだ。ちょっと動きが硬い気がしていたけれど、もう心配いらないだろう。

 その後に続いたCKを危なげないキャッチで守ったのを見て、良子は確信した。
 守備は問題ない。あとは、点を取るだけだ。

「パスの速度を少しだけ上げて、どんどんボールを動かしてこう。速攻だけ気をつけて!」

 良子は叫んだ。
 その指示通りに、佐原南はパス回しから相手を崩して次々と得点のチャンスを作り出していった。

 しかし何度かあった決定機は、すべてゴレイロやポストに阻止されて得点ならず。退場から二分が経過して、杉戸商業のFPは補填されて四人に戻った。

 ベンチで見守る先輩たちは一様にがっかりとした表情になったが、指揮をとる良子の顔はそれまでと特に変わることはなかった。

 柚葉を前に上げて攻めさせたのは、相手人数の少ないうちになにがなんでも点を取るため、ではなかったから。

 では何のためかというと、失点リスクが少ないという状況を利用して戦術を試し、オプションとして成熟させたいと考えたからだ。

 良子は、その効果を感じていた。
 真剣勝負の場である以上は絶対に勝てるなどという保証はどこにもないが、しかしその可能性は間違いなく着々と積み上げられている。

 ピッチに立つ選手たちも同じようなことを思っているようでり、段々とボール回しに自信が付いてきているように見えた。

 フォローの動きが良いものだから、自分と受け手を信じて躊躇なく早いパスを出すことが出来る。杉戸商業の人数が四人に戻ったというのに、相変わらず佐原南が押し込み続けた。

 ただ対戦競技の難しいところであるが、押し込んではいることは間違いないもののそれ故に相手の守備意識が高まってしまって、なかなかフィニッシュまで持ち込むことが出来なくなっていた。

 良子はスコアボードの残り時間表示を見た。
 あと五分で後半戦も終了だ。そこまでで勝敗がつかない場合には延長戦に突入する。

 杉戸商業としては無理せず延長戦まで粘って、そこで修正をかけるつもりだろうか。
 でも、どういった策でくるつもりだろうか。3番は外せないだろうし……いや、あえて走れる選手を出してくるかも知れないな。

 などと、良子が延長戦のことを考え始めていると、不意に誰しも予期しなかったことが起きた。
 フィクソの茂満香奈美が、なんということのないボールの処理を誤って5番に奪われてしまい、慌てて取り返そうとして転ばせてしまったのだ。

 笛の音が響き、選手たちはプレーを止めた。
 第一審判の下した判定は、PK。

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「ジャッジおかしい! 拙者、絶対に絶対に中に入ってないのに!」

 しげみつが泣きそうな顔で第一審判に詰め寄るが、審判は首を横に振るだけだった。

「ラインは越えていなかったですよ。第二PKだと思います」

 しんどうりようも主将代行として、しっかりと主張をした。

 際どいところではあったが、香奈美の足はPA内に踏み入っていない。香奈美自身も、そうであればこそ警告覚悟で強引に取り返そうとしたのだろうし。

 PAペナルテイエリア内部に足をついたように見えたのは、もつれて踏ん張ろうとした香奈美自身の足だ。
 しかしなにをどう主張しようとも女性審判は「入っていました」の一点張りで、聞き入れることはなかった。

 女子フットサルプロリーグであるFWリーグの現行ルールならば、各チームそれぞれ二回までVARつまりはビデオジャッジによる判定が認められるのであるが、たかだか高校生大会の地方予選ごときにそのようなものはなく、こうして佐原南は誤審により杉戸商業にPKを与えることになったのである。

「こんな時間にPKって……やばいじゃんかよ。……てめえ、シゲマン! ふざけんな!」

 二年生のくちが、茂満香奈美を容赦なく怒鳴り付けた。

「そんなこといわれても、拙者は別になんにも……」

 といいかけたきり、香奈美は口を閉ざして下を向いた。
 確かにPKになるようなファールはなにも犯してはいない。ただし、後半の直接FKのファールが六回目である以上は第二PKは確実に与えたであろうし、これらのピンチが自分の不注意から生じていることに変わりはない。ただ力なくうなだれるしかなかった。

 なお第二PKとは、サッカーにはないフットサル独自のルールで、要するに十メートルという少し距離のあるところからのPKだ。
 直接FKを与えるようなファールは前半後半それぞれ五回まで許され、六回目からはペナルティとして、ファールを受けた側が直接FKと第二PKを選択することが出来るようになる。

 PKと比べると第二PKの方が倍近くの距離がある分だけ決まりにくいわけで、良子や香奈美がPA内のファールではなかったことを必死に主張するのは当然であった。

 繰り返すが、判定が覆ることはなく、ゴレイロのきりたにまいは諦めてゴール前に立つとグローブをはめなおした。

 なんで自分が出た途端にこんな、と運の悪さを呪うようななんともどんより重たそうな表情で。

「きっと防げる! 練習でもよく止めてるんだから、自分を信じて!」

 良子はぎゅっと拳を握った。
 PKを止めて欲しいと願うのはもちろんのことであるが、でも良子の今の言葉は、舞の表情があまりに重たく辛そうで、少しでも楽にしてあげたいという純粋な気持ちから無意識に出たものだった。

 なにを他人事のように、と渋い顔をしていた舞であったが、良子の真剣な表情を見ているうちに、その渋い表情がやわらいでいた。

「ありがと。……ほんと、いい子だよなシャクは」

 一瞬だけ微笑を浮かべると、舞は厳しく表情を引き締めて正面を向いた。

 杉戸商業3番、はまほたるがペナルティマークにボールをセットしている。
 技術力の総じて高い選手だ。PKのキッカーを務めるのも、当然であろう。

 舞は、気持ちを落ち着かせようとそっと胸に手を当てた。
 もう良子は、口を開かずただこの勝負を見守っていた。声援送り続けていても、集中を乱してしまうだけだからだ。

 良子の周囲も、相手側ベンチ周辺も、会場全体もすっかり静まり返っていた。舞の息遣いや心臓の鼓動音が、どこにいても聞こえてきそうなくらいに。

 現在はまだスコアレスであり、残り時間が数分しかないことを考えると先制した側がそのまま逃げ切る可能性が高いだろう。
 つまりこのPKがもしも決まったならば、杉戸商業の勝利がほぼ確実となってしまう。

 ただでさえ佐原南は、戦い方を守備的に切り替えた杉戸商業に対して攻めあぐねていた。ボール支配してどんどん攻め込むものの、最後のところでしっかりと守られてしまっていた。
 もしも杉戸商業が先制したならば、これまでの比ではないくらい死に物狂いに守ってくるだろう。

 こちらは場慣れしていない一年生のみ。それこそ総崩れして、攻守ちぐはぐになって、なにも出来ないまま試合が終ってしまうかも知れない。

 だから、ここは絶対にPKを止めるしかない。
 桐谷舞を信じるしかない。

 良子が、良子たちが、そんな気持ちで見守る中、ついに審判の笛の音が鳴った。

 右足の裏でボールを踏み付けていた浜野蛍は、ゆっくりと後ろへ下がった。
 すう、と息を吸うと、再びボールへとゆっくりゆっくり近寄っていく。

 舞は前方を睨みながら、両手を大きく左右に広げて威嚇した。

 佐原南と杉戸商業、それぞれの部員たちが必死の形相で目の前の光景を見守っている。
 願うことはそれぞれ反対だが、ただ仲間を信じて。

 浜野蛍はゆっくりとボールのそばまで近寄ると、唐突に素早い動作で右足を後ろに振り上げた。

 舞が、びくりと肩を震わせた。
 速度の変化に、慌ててしまったようであった。

 これこそが浜野蛍の狙いだったのだろう。彼女は、舞の重心のぐらつきを判断して逆を取るようなコースへと蹴ったのである。

 ボールは床をかすめるような超低空を弾丸のような速度で飛び、ゴールネットに突き刺さった。
 いや、
 見事なフェイクやキックの美しい軌道に、見る者の脳裏にそのような映像を焼き付けただけであったのか。ボールはしっかり枠を捉えてはいたが、ラインを割る直前で角度を変えて大きく真上に跳ね上っていた。

 舞が、伸ばした足に当てたのだ。
 PK阻止というゴレイロのファインプレーに、佐原南のベンチや観客席からどっと喚声がわいた。

 駆け引きに負けて完全にバランスを崩されながらも、たまたま伸ばした足に当たっただけ?
 いや、良子には分かっていた。
 舞は、焦って自滅してしまいそうな素振りを見せることで、相手の行動を誘導したのだ。
 そして、予想通りのところへ飛んで来るボールに自分の足を当てたのだ。

 だがまだ弾いただけ。終っていない。
 落下したボールに、ピッチ上の全FPがどどっと雪崩のように迫った。
 得点を狙うため、得点を阻止するため。

 またもや、舞が活躍を見せた。
 いち早く詰めた5番がそのままシュートを打とうと足を振り上げた瞬間、舞は水泳の飛び込みのように床を低く長く滑り、ごろり転がりながらも両手にがっちりボールを掴んだのだ。

 立て続く素晴らしいプレー、素晴らしいファイトに、また観客席が、そして佐原南のベンチがわいた。

 誰よりも喜んでいるのは、ピンチを防いだ舞自身であった。

「よっしゃあああああああーーーー! 守ったああああああーーーーーっ!」

 起き上がるなり、ボールを持った両手を高くかざして雄叫びを上げた。

「おいビリー、まだ勝ち越したわけじゃないだろ!」

 あまりの興奮ぶりに、二年生の須黒笛美がたまらず苦笑した。

 舞は、はっとしたように目を見開くと、

「そうだ。同点なんだ。早く点を取らないと! いくぞ、みんな! ユズ! ワラとの連係よくなってきているけど、もうちょっと近寄った方がいい。シゲは判断をもっと素早く! ほらみんな、早く上がれ上がれえ!」

 練習では寡黙に身体を動かすだけの舞であったが、素晴らしい活躍を二度も見せたことにすっかりハイテンションになっていた。

 舞だけではなかった。
 ピッチに立つ者も、控えも、この試合は応援することしか出来ない上級生も、これを決められればほぼ敗退決定というピンチを乗り切ったことに興奮を隠せず、先ほどまでの重い空気など一瞬にしてどこかへ吹き飛んでいた。

「守れ! 守り切れ!」

 杉戸商業主将、かつやまゆうの叫び声。
 試合の残りはあと二分。押されに押され、なんとかPKを獲得したがそれも失敗、そのような雰囲気の悪さを延長戦で修正しようと考えたのであろうか。
 杉戸商業は、主将の指示に従いがっちり閉じこもって守りを固めた。

 だが、物理面のみならず精神面でも歯車の回り始めた佐原南に、ただ守るだけの守りは通用しなかった。

 九頭柚葉と高木双葉のコンビネーションで敵陣を切り裂き、柚葉が悠々と上げた浮き球のパス。
 それを、まるでサッカーの試合でも見ているかのような高い高い打点から、むらたにさくがヘディングシュート。これがネットに突き刺さり、ついに佐原南が均衡を破ったのである。

     6
「やったあああ!」
「うおおおっし!」

 ピッチの外で二年生のぐろふえくちが、肩を組み手を振り上げ雄叫びを上げた。

 やっと決めたゴールに他の部員たちも同じような反応であったが、主将のはなさきつぼみだけは腕組みしたまま表情一つ変えていない。
 でも良子には、彼女がどことなくほっとしているようにも思えた。
 きっと間違いないだろう。副主将のあらがみが思わず抱き着き頬擦りするのを、仏頂面ながらも押し退けることなく受け入れているし。

 得点者であるむらたにさくが思わずしゃがんで、床に拳を叩きつけるゴールパフォーマンスをしていると、その背中へたかふたゆずがのしかかった。

 咲美は立ち上がると、二人と抱き合った。

「あたし、佐原南に入ってよかったあ。このフットサル部に入ってよかったあ……」

 咲美は涙ぐんでいた。
 足元の技術の無さに幼少よりコンプレックスを抱え、挑戦して成長してやるんだとサッカーからフットサルに転向した咲美。
 しかしそれほど上達はせず、このフットサル部では常々居場所の無さを感じていたのだろう。
 決めたのが元々から得意であったヘディングシュートとはいえ、自分がチームを救う活躍をしたことにようやく居場所を得られたと思ったか、声をあげて泣き出してしまった。

 それを見ていた良子も、貰い泣きで涙が出そうになった。
 出そうになっただけで出なかったのは、咲美を遥かに上回る大きな泣き声を真横に受けてびっくりして飛び上がってしまったからであった。

「咲美ちゃあん! ……やったあ、やったよおおお!」

 震える大声で泣いているのは、たかであった。
 彼女と咲美とは、中学からの親友同士なのだ。
 真矢は、咲美がどれだけ悩み、辛い思いをしているか痛いほどに理解していた。それだけに、咲美の心が救われたことを自分のことのように受け、思わず感極まってしまったのだろう。

 良子は柔らかな優しい笑みを浮かべ、高井真矢の背中を軽くさするり、肩をぽんと叩くと、気持ちを切り替えて厳しい表情を作った。

「あと少し、しっかり守ろう!」

 スコアボードに表示されている残り時間は、一分四十九秒。
 このまま残り時間を耐え抜くことが出来れば、佐原南の初戦突破が決まる。
 だが……

 当然のことではあるが、このスコアのままということは杉戸商業からすれば初戦敗退となるわけであり、

「上がれ! 前に預けろ! どんどん上がれ!」

 試合が再開されると、主将の勝山優梨が叫び声を張り上げた。
 しかし、そのような指示を聞くまでもなく、杉戸商業の選手たちは焦りから必然前掛かりになっていた。

「受けたらやられる! バランスしっかり!」

 良子は叫んだ。
 前掛かりに来る相手に対し引くでも出るでもなく、基本的な攻守バランスを保つようにと。

 しかし杉戸商業の気迫の凄まじさに、佐原南は上がろうにも上がれず、ずるずると引かざるをえなかった。
 前でしっかりボールを回すことさえ出来れば約二分などあっという間なのだろうが、むしろ自陣へと押し込められ、波状攻撃を受け続けた。

 歯車が噛み合えば強いが狂えば脆い。
 佐原南は一年生だけという成熟の甘さをさらけ出し、残り時間一分十三秒というところでついに失点した。

 3番、はまほたるが放ったシュートが、桐谷舞の手を弾いてゴールネットに突き刺さったのだ。

     7
 なんということのないシュートにも見えたが、攻撃を防ぐべく身体を投げ出そうとしたたかしげみつにより、舞にとっては死角から不意にボールが表れ、対応がほんの僅かに遅れてしまったのである。

 もう一歩FPフイールドプレーヤーのシュートブロックが早ければ防げていたのかも知れないが、そもそもの原因は引いてしまいこのようなシュートを食いとめ続けなければならないという状況を作り出してしまったことであろうか。

 杉戸商業の選手たちはこの同点弾に、まるで奇跡でも起きたかのように抱き合って喜んでいる。
 圧倒的に攻められながら終盤で失点、しかしそこから建て直して、強豪として名高い佐原南を反対に圧倒し、そして追いついたのだから。

 でもこれは、奇跡ではない。
 必然だ。
 ピッチの外で、良子は自分の不甲斐なさに拳を握り、唇を強く噛んだ。

 ただチームをしっかり作るだけではなく、相手の勢いをいなしたり受け止めたりする戦い方も必要。
 なのに、そのような練習などなにもしていなかったのだから。

 時間がなかったというのは間違いないことであるが、しかしなにかしらの対策を施しておくことは出来たはずだ。
 事が起こる前、試合前やハーフタイムのミーティングで意識付けの一言でもあれば、どれだけ対応が違っていただろうか。

 佐原南のキックオフで試合は再開されたが、その後も杉戸商業の勢いは止まらなかった。

 ほんの少し前まで劣勢は杉戸商業の方であった。なんとかスコアレスのまま持ちこたえて、延長戦で立て直そうとしていると見られる戦い方をしていた。
 失点により猛攻をかけざるを得なくなったわけだが、思いのほかその猛攻が功を奏して佐原南を防戦一方に押し込めることが出来たがために、それが自信に繋がり、この勢いに繋がっているのだ。追いついただけじゃない、勝てる、と。

 冷静に考えても、佐原南の方が地力で遥かに勝る強豪校であり、自らが優勢であるうちに勝負をつけてしまいたいと思うのは当然のことだろう。
 そして、延長戦に入る前に逆点してしまいたいと考えるのもまた当然のことであろう。
 延長戦を戦うのと戦わないのとでは、第二試合を戦う上で疲労度が大きく違ってくるのだから。

 かくして、杉戸商業はそのままの勢いを継続し、佐原南はその勢いをいなす術を知らずに波状攻撃にさらされ続けたのである。
 個人能力の高さでなんとか食い止め続けてはいたものの、チームとして崩壊しつつあり、いつ逆転を許してもおかしくない状況であった。

 自分のせいだ。
 どうしよう……

 と、良子が自責の念に潰されそうになっていると、不意に肩を叩かれ、びくりと肩を震わせ、振り返った。

「にゃあに一人責任感じて暗くなってんだよお。みんなの顔、見てみ」

 三年生のなるみやももであった。
 その言葉に、良子は改めてピッチで頑張っている佐原南の選手たちの顔を見た。
 どん、と胸の奥に稲妻が落ちたかのような衝撃を受けた。

 みんなの顔、ずっと見ていたはずなのに……
 なんで、気づかなかったんだろう。

 良子はなんだか恥ずかしい気持ちになった。

「よし、いいぞ!」
「そこあたし!」
「アロそっち任せた!」

 みんなの必死な顔。
 絶望に満ちた悲痛の表情だと思っていたのは、単に自分の気持ちがそうだったから。
 改めてよく見てみれば、だあれも絶望なんかしていない。
 死に物狂いではあったが、希望を信じ、精一杯に声を掛け合っている。
 耐えているうちに少し歯車も噛み合ってきたか、押し返し始めてすらいた。

「あたし……本当にバカだ……」

 良子の口から、知らずそのような呟きが漏れていた。

 自分を責めるばかりで、なんにも見えなくなっていた。
 目を覆うばかりで、みんなの頑張りを見てすらもいなかった。

 やれる。
 いや、やるんだ。
 絶対に、勝つんだ。

「交代! テバ、入って。シゲと代わって! ポジションそのまま」
「え、あたしフィクソ?」

 驚くテバこといばさきゆうであったが、すぐに表情を引き締め、交代ゾーンへと向かった。
 大きくクリアをしたタイミングで、プレーの切れるのを待つことなく茨崎悠希としげみつは入れ代わった。

 なにをしてくるつもりか分からないがその前に試合を決めてやる、とばかりに杉戸商業はより攻勢を強めた。

 完全劣勢の中、やったこともないフィクソとして入ることとなった悠希は、試合に入り切ることが出来ず簡単なボールをクリアミス。杉戸商業の7番に奪われた。

 5番がパスを受けるなりくるり前を向いて、佐原南守備網を突破した。

 悠希が、「ごめん!」と叫んだ時には、既にゴール前でゴレイロのきりたにまいと杉戸商業5番とが至近距離で一対一。
 迷わず、5番はシュートを打った。

 ガン、とポストを叩いた。
 シュートは枠を捉えていたが、舞の咄嗟に出した足に当たって少しコースが変わったのだ。

 悠希は己のミスを取り戻そうと、跳ね返りを今度こそクリアしようと全力で駆け寄った。しかし、杉戸商業7番の方が先にボールに触れた。

 7番は悠希を背負いキープをし、タイミングを図って後ろへ戻すようにパスを出した。
 ボールは高木双葉と九頭柚葉の間を転がって、待ち構えていた3番へ。

 3番は、ダイレクトにシュートを狙い、大きく右足を振り抜いた。
 先ほどの5番のシュートに続き、またもや決定的であった。

 だが、これもまた決まらなかった。
 桐谷舞がよろけ後ろに倒れながらも、腕を突き出してボールを高く跳ね上げたのだ。

 5番が、頭でねじ込んでやろうとボールの落下地点へと入り込み、見上げた。
 だが、ボールは最後まで落ちてはこなかった。

 よろけて倒れそうであった舞が、ポストに手を掛けて強引に身体を起こし、自身を引き上げるその勢いを使って高く跳躍し、両手でしっかりとボールをキャッチしたのだ。

 もしもあのまま後ろへ倒れ込んでしまっていたならば、佐原南は5番のシュートをガラ空きのゴールに受けて失点していただろう。
 舞の気迫とファインプレーに、客席がどっと沸いた。

「上がれえ!」

 途中出場でわずかな間に決定的なピンチを三回も守ったゴレイロは、ボールを高く掲げ、叫んだ。
 佐原南のFPたちはみな、迷うことなく杉戸商業の陣地へと向かって走り出した。

 残り時間は、あと二十秒もない。
 これが最後の攻撃になるかも知れない。

 舞は一歩下がると、助走をつけてボールを力強く放り投げた。
 FPたちの頭上を、ボールが虹を描いて追い越していく。

 最初にボールに触れたのはピヴォの村谷咲美であったが、足元に上手く収めることが出来ず、もたついたところを俊足の7番に追い付かれて、奪われてしまった。
 だが次の瞬間、柚葉が7番の前を駆け抜け、ボールを奪い返していた。

「タコ焼き!」

 5番の股を抜くパスが、双葉に通った。

 双葉はトラップせず、ダイレクトにシュートを狙った。
 威力は申し分のないものだったが、少し角度が甘かった。がん、と音がしてポストに弾かれてしまう。

 ゴレイロにクリアをされそうになるが、双葉はプレッシャーをかけてミスを誘発した。ゴレイロは蹴り損なって、ボールを転がしてしまう。

 慌ててボールを追うゴレイロ。
 双葉は追いかけるが、奪うことは出来なかった。
 フォローに入った3番によって、大きくクリアされてしまったのだ。

 ボールはハーフウェーラインを越え、フィクソに入っている茨崎悠希が、胸で受け、足元に収めた。
 パスの出しどころを探していると、

「テバぁ、チャンス! ロングシュートお!」

 ベンチからさきさくらの大声。
 確かに杉戸商業ゴール前はガラ空きだ。
 しかし……

「ダメダメダメダメ! 外したらあたし一生自信失う、一生敗北者!」

 悠希は、迷わず首を振ってシュートを拒絶した。
 第三章を読み返して頂ければ分かるが、彼女は公式戦でロングシュートを外したことがないのがフットサルにおける唯一の自慢。だからこそ、打ちたくないのだ。内心では、そんな記録など偶然に決まっている、と思っているから。

 ただでさえ自分に自信がないというのに、その記録すら無くしてしまったらもう自分に価値など無くなってしまう。という思いから。

 だけど……
 と、悠希はちらりと時計を見た。もう、時間がほとんどない。パスで崩して点を取ることなど、おそらくはもう無理だろう。

 どうするか迷っていると、攻め残っていた7番が悠希へと突進してきた。
 結果としてそれが悠希の迷いを断ち切ることとなった。

「外して一生敗北者でもいい。チームのために出来ることをやらなかったら、それこそ敗北者だ!」

 す、と7番をかわすと、右足を振り上げ、思い切り振り抜いた。

 放物線を描いてボールは無人の杉戸商業ゴールへ。
 ゴレイロは全力で戻ろうとしていたが、戻り切れなかった。ボールは、伸ばした指先を弾いてゴールネットに突き刺さった。
 悠希のロングシュートが決まったのだ。

 うそ、といった表情で立ち尽くす悠希。

 佐原南ベンチがどっと歓喜にわいた。

 次の瞬間、審判の笛の音が響いた。
 試合終了を告げる笛であった。

 こうして佐原南は劇的な終盤を制し、2-1という結果をもって初戦突破を決めたのである。
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