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第一章 令和の魔法使い
11 たかだか三階だし、とエレベーターは呼ばずに階段を降り
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たかだか三階だし、とエレベーターは呼ばずに階段を降り、エントランスから外へと出た。
一軒家の多い、住宅街の中である。
「確か、あっちへと走っていったよね」
令堂和咲は、右を向き、前方へと視線を向けると、意を決したように拳をぎゅっと握り、歩き出した。
まだそれほど遅い時間でもないし、ここは駅から徒歩数分の距離にあるというのに、すれ違う人はいない。
まだ住み始めて間もない土地なので、たまたまなのか、普段からこんなものなのか、アサキには分からない。
遠くに車通りの激しい道路があるためか、彼方の声まで逃さないほど静まり返っているわけではないが、閑静というに充分な静かさである。
現在アサキは、あまり楽しい気分ではなかった。
引っ越してきたばかりの地で、
学校では仲良くなれそうな子もいて、上手くやれるのかという不安も払拭されて、
だからこの散歩は、楽しい気分になっていておかしくないものなのに。
何故こうも、沈むような気分なのだろうか。
先ほど見た幻影、それを確かめるためだから。といってしまえばそれまでだが。
これまで幾度となく自分の心に暗い影を落としてきた、あの白い影を。
それとも実は、夜の知らない土地に一人でいることに、不安になっているだけ?
でも、それならば……
「なんでこんなに、ここまで、どきどきするの?」
アサキは、そっと自分の胸に手を当てた。
先ほどから妙に心がざわめいて、胸の鼓動が早くなっていた。
そうであればこそ、引き返すことは出来なかった。
胸を締め付けるその感覚をはっきりさせるためにも、治奈の幻が消えていった方向へと、歩き続けるしかなかった。
どれくらい歩いた頃だろうか。
異変に、気が付いたのは。
前方、空の色が微妙に違うことに気が付いたのは。
赤黒、いや、赤紫の方が近いだろうか、
目をこらすと逆にぼやけて分からなくなってしまうくらい微妙ではあるのだが、アサキには明らかに空の色が周囲と異なって見えた。
錯覚かも知れない。
心の問題かも知れない。
分からない。
だからアサキは、そこへ向かって歩き続けた。
喉がつっかえた感覚に、つばを飲もうとするが、特に溜まっておらずただ喉が唸っただけだった。
もう帰らなきゃ。
直美さんたちが心配する。
もうたぶん、ご飯出来てるよ。
遅いと迷惑かけちゃう。
などと心に呟きながらも、前へと歩き続けることを、やめることが出来なかった。
そのような中で、事は突然起こった。
ごじゃっ
湿った巨木同士が擦るような激突したかのような、なんとも形容しがたい不快な音と共に、真横からなにか白い、しなる物が飛び掛かってきたのだ。
驚きと恐怖に、ひっと息を飲むに似た悲鳴を上げながら、アサキは身を守ろうと反射的に腕を振り上げる。
そして、見た。
ぬめぬめとした、タコの腕のように長い物体が、すぐ眼前でうごめいているのを。
真っ白な、触手のようなその物体は、鎌首もたげた蛇さながらにアサキとの距離を取ると、再びしゃっと伸びて襲い掛かった。
ごじゃっ
アサキは顔をそむけ、ぎゅっと目を閉じた。
だが、その白く粘液質の触手がアサキを捉えることはなかった。
皮膚に食らいつき皮膚をえぐることはなかった。
間に、分厚く透明な膜があって、一見柔らかそうに見えるそれが、弾力でもって攻撃を跳ね返していたのである。
先ほどベランダから見ていた時も、少し濁った透明な膜の向こう側に、白い影はいた。
そこは違う世界、ということなのだろうか。
ほんの少しだけずれた、違う世界にそれはいて、こっちの世界を襲おうとしている、ということなのだろうか。
一瞬の間にそう思ったアサキであるが、当然のことながらそれで襲われる恐怖が微塵たりとも減ることはなく、逃れようと意識的無意識的に走り出していた。
だがその行動は、新たな恐怖を招くだけだった。
透明な膜状の向こう側で、人の形をしている白いものが、一緒になって走リ出したのである。
ムチのようにしなり襲う、ぬるぬるしたタコの触手は、人間に似たシルエットであるこの生物の、腕だったのである。
その生物が、見付けた獲物を逃すまいと、アサキにぴったり並走している。
すこしずれた世界を並走しながら、触手による攻撃を右、左と繰り出してくる。
ごずっ
ごじゃっ
半透明な膜状の物に攻撃が阻まれているとはいえ、それで恐怖が薄らぐものでもない。
「な、なんなのおこれ!」
すっかり平常心を失ったまま、アサキは泣き叫びながら走り続けた。
わけが分からない。
まったくわけが分からない。
なんで自分が、このような目に遭わなければならないのか。
不安を覚えながらも外に出たのは自分自身ではあるが、こんな事態になるなど誰だって思うわけない。
なんなんだ、これは。
なにに狙われているんだ、わたしは。
以前にも何回か見たことのある白い影、それがこれだったのか。
こんな恐ろしい物に、わたしはかつて何度も出会っていた?
でも、それなら何故、
何故、いまになって襲われる?
どうして……
疑問の答えをここで導き出すことは出来なかった。
どんどん気持ちが正常でなくなっているのもあるが、そうではなく、バリンとなにかが突き破られるような音がして、アサキの身体に白い触手が巻き付いていたのである。
物理的に突き破ったということなのか、少しずれていた世界と世界が同調して繋がったということなのか、それは分からない。
分かっているのは、間違いなくアサキの全身は巨人の手に全身を掴まれるごとく、白い影へ軽々と引き寄せられていたということ。
驚きと、肋骨を締付けられる苦痛とに、悲鳴を上げることも出来ず、アサキは引っ張り込まれていた。
向こう側の世界へと。
このまま、殺されちゃうのかな、わたし……
薄れゆく意識の中で、そんなことを考えながら。
一軒家の多い、住宅街の中である。
「確か、あっちへと走っていったよね」
令堂和咲は、右を向き、前方へと視線を向けると、意を決したように拳をぎゅっと握り、歩き出した。
まだそれほど遅い時間でもないし、ここは駅から徒歩数分の距離にあるというのに、すれ違う人はいない。
まだ住み始めて間もない土地なので、たまたまなのか、普段からこんなものなのか、アサキには分からない。
遠くに車通りの激しい道路があるためか、彼方の声まで逃さないほど静まり返っているわけではないが、閑静というに充分な静かさである。
現在アサキは、あまり楽しい気分ではなかった。
引っ越してきたばかりの地で、
学校では仲良くなれそうな子もいて、上手くやれるのかという不安も払拭されて、
だからこの散歩は、楽しい気分になっていておかしくないものなのに。
何故こうも、沈むような気分なのだろうか。
先ほど見た幻影、それを確かめるためだから。といってしまえばそれまでだが。
これまで幾度となく自分の心に暗い影を落としてきた、あの白い影を。
それとも実は、夜の知らない土地に一人でいることに、不安になっているだけ?
でも、それならば……
「なんでこんなに、ここまで、どきどきするの?」
アサキは、そっと自分の胸に手を当てた。
先ほどから妙に心がざわめいて、胸の鼓動が早くなっていた。
そうであればこそ、引き返すことは出来なかった。
胸を締め付けるその感覚をはっきりさせるためにも、治奈の幻が消えていった方向へと、歩き続けるしかなかった。
どれくらい歩いた頃だろうか。
異変に、気が付いたのは。
前方、空の色が微妙に違うことに気が付いたのは。
赤黒、いや、赤紫の方が近いだろうか、
目をこらすと逆にぼやけて分からなくなってしまうくらい微妙ではあるのだが、アサキには明らかに空の色が周囲と異なって見えた。
錯覚かも知れない。
心の問題かも知れない。
分からない。
だからアサキは、そこへ向かって歩き続けた。
喉がつっかえた感覚に、つばを飲もうとするが、特に溜まっておらずただ喉が唸っただけだった。
もう帰らなきゃ。
直美さんたちが心配する。
もうたぶん、ご飯出来てるよ。
遅いと迷惑かけちゃう。
などと心に呟きながらも、前へと歩き続けることを、やめることが出来なかった。
そのような中で、事は突然起こった。
ごじゃっ
湿った巨木同士が擦るような激突したかのような、なんとも形容しがたい不快な音と共に、真横からなにか白い、しなる物が飛び掛かってきたのだ。
驚きと恐怖に、ひっと息を飲むに似た悲鳴を上げながら、アサキは身を守ろうと反射的に腕を振り上げる。
そして、見た。
ぬめぬめとした、タコの腕のように長い物体が、すぐ眼前でうごめいているのを。
真っ白な、触手のようなその物体は、鎌首もたげた蛇さながらにアサキとの距離を取ると、再びしゃっと伸びて襲い掛かった。
ごじゃっ
アサキは顔をそむけ、ぎゅっと目を閉じた。
だが、その白く粘液質の触手がアサキを捉えることはなかった。
皮膚に食らいつき皮膚をえぐることはなかった。
間に、分厚く透明な膜があって、一見柔らかそうに見えるそれが、弾力でもって攻撃を跳ね返していたのである。
先ほどベランダから見ていた時も、少し濁った透明な膜の向こう側に、白い影はいた。
そこは違う世界、ということなのだろうか。
ほんの少しだけずれた、違う世界にそれはいて、こっちの世界を襲おうとしている、ということなのだろうか。
一瞬の間にそう思ったアサキであるが、当然のことながらそれで襲われる恐怖が微塵たりとも減ることはなく、逃れようと意識的無意識的に走り出していた。
だがその行動は、新たな恐怖を招くだけだった。
透明な膜状の向こう側で、人の形をしている白いものが、一緒になって走リ出したのである。
ムチのようにしなり襲う、ぬるぬるしたタコの触手は、人間に似たシルエットであるこの生物の、腕だったのである。
その生物が、見付けた獲物を逃すまいと、アサキにぴったり並走している。
すこしずれた世界を並走しながら、触手による攻撃を右、左と繰り出してくる。
ごずっ
ごじゃっ
半透明な膜状の物に攻撃が阻まれているとはいえ、それで恐怖が薄らぐものでもない。
「な、なんなのおこれ!」
すっかり平常心を失ったまま、アサキは泣き叫びながら走り続けた。
わけが分からない。
まったくわけが分からない。
なんで自分が、このような目に遭わなければならないのか。
不安を覚えながらも外に出たのは自分自身ではあるが、こんな事態になるなど誰だって思うわけない。
なんなんだ、これは。
なにに狙われているんだ、わたしは。
以前にも何回か見たことのある白い影、それがこれだったのか。
こんな恐ろしい物に、わたしはかつて何度も出会っていた?
でも、それなら何故、
何故、いまになって襲われる?
どうして……
疑問の答えをここで導き出すことは出来なかった。
どんどん気持ちが正常でなくなっているのもあるが、そうではなく、バリンとなにかが突き破られるような音がして、アサキの身体に白い触手が巻き付いていたのである。
物理的に突き破ったということなのか、少しずれていた世界と世界が同調して繋がったということなのか、それは分からない。
分かっているのは、間違いなくアサキの全身は巨人の手に全身を掴まれるごとく、白い影へ軽々と引き寄せられていたということ。
驚きと、肋骨を締付けられる苦痛とに、悲鳴を上げることも出来ず、アサキは引っ張り込まれていた。
向こう側の世界へと。
このまま、殺されちゃうのかな、わたし……
薄れゆく意識の中で、そんなことを考えながら。
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