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第二十章 万延子と文前久子
05 凍り付いていた。部屋の空気が。絶対零度にまで、凍っ
しおりを挟む凍り付いていた。
部屋の空気が。
絶対零度にまで、凍っていた。
目の前で起きていることが、信じられずに。
見た通りと分かっていても、信じられずに。
みな、青ざめた表情のまま、薄く口を開いたまま、がちがちに凍ってしまっている。
「享子ちゃん、享子ちゃん!」
一人、宝来暦だけが、動いている、激しく泣きながら、友の名を呼び掛けている。
血の海の中に手を着いて。
その、着いた手の、すぐ先に、
うつ伏せに、魔法使いが倒れている。
我孫子第二中の魔法使い、延元享子である。
彼女は倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
さもあろう。
首の後ろが、ざっくり骨ごと、切り裂かれているのだから。
どろどろと黒い血が流れて、今なお床の海を広げているのだから。
どう都合よく考えようとも、生きているはずはなかった。
間近にいて最初に気付き声を掛けた宝来暦以外は、誰も、この現実に入ることが出来ていなかった。
ただ青ざめた顔で、身体をぶるぶると震わせているだけだった。
血の海の中に、大柄な女子が立っている。
それは、これまでここにはいなかった、あらたな魔法使いであった。
「保江ちゃん、少しはわたしにも、楽しませろよ」
ぼさぼさと爆発した、完全白髪の少女であった。
彼女の左手には細剣が握られており、その先端は、血に濡れている。
今ここでなにが起きたのか、何故、延元享子が首を切られて死んでいるのか、理由はもう、明らかであった。
「享子ちゃん、享子ちゃん!」
必死に呼び掛ける宝来暦の目には、すぐそばに立っているあらたな魔法使いの姿は、まったく入っていないようであるが。
その必死に呼び掛けは、生き返ってくれという願いであるか。
死んでなんかいない、そう信じ込みたいのか。
宝来暦は何度も、何度も、必死な、泣き出しそうな表情で、友の名を呼び掛け続けている。
他の魔法使いたちは現状認識が出来ずに、ただ青ざめた顔で震えているだけであったが、誰かが奇声を張り上げ空気を切り裂いたことで、一転、一気に騒然となっていた。
嘘だ、と叫ぶ者、
慟哭の声であったり、
ひざまずいて、床を叩き付ける者。
延元享子とあまり接点のなかったカズミも、目の前の光景にすっかり呆然として、口半開きで視線を震わせている。
そんな中で、
「お前なんかが出る幕じゃない! 邪魔すんなよ!」
「いやあ、お前ら二人が抜け駆けしたんじゃないかあ」
リヒトの魔法使い二人は、まるで平然とした態度で、言い争いをしていた。
敵だから、ではなく、そもそも最初から人間の生死についてなんとも思っていない。そんな神経など母の胎内に忘れている。そうとしか考えられない、二人の態度であった。
「だからあ、そんないわれ方をされる筋合いはないんだけどねえ」
背後から延元享子を殺した、ぼさぼさ白髪の魔法使いは、苦笑しながら、髪の毛を掻き上げた。
そして、カズミたちメンシュヴェルトの魔法使いたちへと向き直った。
「わたしの名前は、昌房泰瑠。いつの間にか始まっちゃってたこの遊びに、混ぜてもらいたくてきたんだけど、いいかなあ?」
「なにが遊びだあ!」
昌房泰瑠、と名乗った白髪の魔法使いの背後へと、弘中化皆が怒り満面、剣を振り上げ、飛び掛かっていた。
硬い物が砕かれ割れる音。
床に、なにかが落ちていた。
それは、人の、腕であった。
剣を掴り締めた、弘中化皆の腕であった。
次の瞬間、同じ音がして、また一本の腕が落ちた。
「うああああああっ!」
弘中化皆の、絶叫が響いた。
激痛、驚き、恐怖、屈辱、焦り、など合わさったグシャリと歪んだ顔。
左右の肩から先が、完全になくなっていた。
切断面からは、どくどくと、血が流れている。
白髪の魔法使い昌房泰瑠は、鼻歌交じりでも不思議のない楽しげな表情で、さらに細剣の刃を振るった。
弘中化皆の右ももと左もも、その上で腰が横にずれた。
人物を書いた紙を破いたかのように、弘中化皆の胴体がズルリずれて、重たい音を立て床へと落ちた。
落ちた胴体の上に、遅れて左右の足が倒れて重なった。
「ふむ」
自分の剣技の冴えにだか、切り刻んだ相手を満足げに見下ろす白髪の魔法使い、昌房泰瑠であったが、
「遊びとはいえ……」
微笑みながら、いや、その笑みが、不意に変化していた。
「人前で、そんな肉豚のような姿っ! 失礼だろおおおおお!」
自分でやっておきながら、その姿に怒りを爆発させたのである。
その姿に、剣を振り上げたのである。
四肢を切断されたまま床に崩れている弘中化皆の目が、かっと見開かれた。
それは、呪詛の言葉を吐こうとしたのか。
仲間への応援の言葉を吐こうとしたのか。
開いた口から呻き声が上がったその瞬間、その開いた口の中へと、突き出された細剣が刺さり、首の後ろへと突き抜けていた。
「よおし、これで二匹目っと」
真っ白髪の魔法使い昌房泰瑠の表情は、既ににこやかに戻っていた。
「やめろっていってるだろ! 勝手なことすんな! こいつらは、あたしの獲物なんだから。横取りすんな!」
黒スカートの魔法使い康永保江は、舌打ちしながら白髪頭の魔法使いの胸を乱暴に押した。
「だって焦れったくてえ。だいたいさあ、じわじわいたぶんのが、最強の証明になると思ってんの? 保江ちゃんはさあ」
片やイライラ、片や涼しげ。
ただ、涼しげといっても、当て付けの態度であろう。
よく見ずとも二人の間には、双方向の火花が飛び散っているからだ。
喧嘩中でも乗ずる隙などまるで感じさせない、自信に溢れた威圧のオーラを放つ二人の姿に、宝来暦はすっかり狼狽してしまっていた。
「ど、どうしようスギちゃんっ! 享子ちゃんも、化皆先輩も殺されちゃったよお! ああっあたしたちもっ、こ、ころっ……」
狼狽え、青ざめた顔で、リストフォンの向こうにいるはずのスギちゃん、我孫子第二中魔法使い部の顧問である杉崎真一先生へと、助けを求めていると、不意に、リストフォンからの映像が空間投影された。
眼鏡の若い教師、杉崎真一先生の、上半身映像である。
「覚悟はしていたはずだろう? それともきみらは、遊び気分でそこへ乗り込んだのか?」
辛そうに、悔しそうに、身体を、表情を震わせながらも、あえて突き放す杉崎先生の冷たい声、言葉であった。
「どういうこと?」
カズミが、骨折治療の激痛に耐えながら、尋ねた。
ぽっきり折れた左腕へと、青白く輝く手のひらを翳して治療してくれている、万延子へと。
延子は顔を軽く上げて、ちらりカズミを見た。
「あとがあったら詳しく話すけど、フミちゃん救出は、ことを急ぐきっかけ。どのみち、ここへは乗り込むつもりだったんだよ。……だから最悪、死も覚悟していたってこと」
だから仲間の死にも心は痛まない。というわけでは、なさそうだが。
表情こそ乱れていないが、目は涙に潤んでおり、いまにもこぼれそうであったからだ。
万延子も、
空間投影の杉崎先生も。
仲間の死を、必死に堪えている。
「あとがあったらっ、て……じゃあ、いまは聞かねえ」
聞いたらそれが、冥土の土産になっちまうからな。
絶対に勝利して、生き残って、その詳しい話とやらを、聞かせてもらおうじゃねえか。
と、そんなカズミの心理であろうか。
だが現在、どう楽観的に考えようとも、精神論で乗り越えられそうな状況ではなかった。
当たり前だ。
一人で九人を相手に圧倒出来る、人間の姿をした化け物が、二匹に増えてしまったのだから。
しかもこちらは二人が殺されて、残るは七人。
しかも全員、怪我が酷くまともに動ける状態にない。
控え目にいって、万に一つの勝ちもない絶体絶命の状況であった。
だけど、
第二中リーダー、万延子は、そのような中で、いや、そのような中であるからこそか、
微笑を、浮かべていた。
仲間の死に、赤く充血した目に涙をたっぷりと溜めながら。
「キバちゃん、ごめん、折れた骨はなんとか繋げたから、あとは自分で治して。それと、これ、預かっといてくんない?」
そういうと、おでこから巨大なメガネを外した。
彼女のトレードマークともいえる、白と水色の太いストライプが入ったオシャレメガネを。
「しくよろーっす」
と軽い調子でいいながら、カズミの膝の上へと置いた。
「え、ちょっと、お前、なにをする気だ……」
カズミの質問に延子は答えず、ゆっくり立ち上がって、
「キバちゃん、歌、上手なんだってね。じゃあ今度さあ、うちのみんなとカラオケにでも行こうよ。わたしたちもみんな、上手いよお」
ニコリと、かわいらしい笑みを浮かべたのである。
カズミは、そう微笑まれて、なんにも出来なかった。
それ以上、言葉を掛けることも。
毅然とした顔でリヒトの魔法使い二人へと歩いていく、彼女の背中を、震える瞳で見つめることしか、出来なかった。
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