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第三話 『手に入れたもの』
2-1 報告
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「どうだったかな。おまじないの効果は」
くせ毛のスクールカウンセラーは、扉が閉まるのを待つと小声で言った。前に来た時と変わらず混沌を押し込めて整頓しなおしたかのような相談室は、奇妙な静けさを持っている。木版に描かれたキャラクターは記憶の中の姿から寸分も動かずに、棚の隙間でこちらを覗き込んでいた。
奥の椅子に座った深澤先生が着席を促すよう目配せをしたのに、私は気づかないふりをした。今回は挨拶だけが目的で、長居をするつもりはなかったからだ。
「効いた?」
重ねての質問。私は何かを言おうとして、言い淀んだ。その報告だけが今回の目的だったというのに、いざ、そんなストレートな訊きかたをされるとどう返事をしたら良いのか分からない。
言葉選びに迷ってしまう。
おまじないが、効いた。果たしてそんな表現で良いのだろうか。
持った途端に。唱えた途端に。実際のところ、どのタイミングで効果が現れたのかがはっきりとは分からないけれど、それでも効果を実感できるほど明らかに世界が変わったことは間違いがなくて、だけどそれは――
私の思うところの「おまじない」とはかけ離れている。魔法か何かみたいな――そう、魔法だ。いっそ魔法と言ってしまったほうがまだ納得できる。
「この間は、ありがとうございました」
結局、自分のペースで話すことにした。お礼を言って、友達ができたことを知らせる。それだけが目的で来たのだから。
深澤先生は朗らかな笑みを浮かべて、いえいえと言った。質問に応えないことを咎めるつもりがないらしいことに、私はようやく緊張を解いた。
「おかげで、次の日には友達、できました。ええと、相談、聞いてくれて、嬉しかったです」
深澤先生は、また、朗らかにいえいえと言った。意外なほどに淡白な反応。言うべき台詞を使い切った私には、もうこの人と話すべき話題がない。
グラウンドから、誰かの声。運動部の掛け声。音は近いのに、やっぱりここは静かだ。
何部の物か判らないホイッスルの音を合図に、もう帰りますねと背中を向けた。その時、誰かが、
「あーあーあーあー」
私の背後で、誰かが、
「あー、ああ、ああ」
壊れた。
表情を変えずに、感情を込めずに、その人は壊れたように見えた。だって、今の今まで普通に会話をしていた人が、いきなり意味の分からない音を発しているのはおかしい。
目を見張ってみて初めて、私は自分が無意識に振り向いていたことに気がついた。眼鏡の奥の瞳が私の視線を絡め取ると、彼は嬉しそうに眉尻を下げて、ようやく人語を口にする。
「ああ、そうだ、そうだよ、思い出した」
ただの感動詞だった。そんなことに気づいたところで、どうにもならない。状況は変わらない。深澤先生の雰囲気がどこか変わってしまったということは明らかで、私が彼の領域に囚われてしまっているという事実は曲がりようもない。
足が竦んだ。その足はなぜか、椅子に腰かけるためだけには動いた。深澤先生は私が正面に座ると、優しくて嫌らしい顔をした。
くせ毛のスクールカウンセラーは、扉が閉まるのを待つと小声で言った。前に来た時と変わらず混沌を押し込めて整頓しなおしたかのような相談室は、奇妙な静けさを持っている。木版に描かれたキャラクターは記憶の中の姿から寸分も動かずに、棚の隙間でこちらを覗き込んでいた。
奥の椅子に座った深澤先生が着席を促すよう目配せをしたのに、私は気づかないふりをした。今回は挨拶だけが目的で、長居をするつもりはなかったからだ。
「効いた?」
重ねての質問。私は何かを言おうとして、言い淀んだ。その報告だけが今回の目的だったというのに、いざ、そんなストレートな訊きかたをされるとどう返事をしたら良いのか分からない。
言葉選びに迷ってしまう。
おまじないが、効いた。果たしてそんな表現で良いのだろうか。
持った途端に。唱えた途端に。実際のところ、どのタイミングで効果が現れたのかがはっきりとは分からないけれど、それでも効果を実感できるほど明らかに世界が変わったことは間違いがなくて、だけどそれは――
私の思うところの「おまじない」とはかけ離れている。魔法か何かみたいな――そう、魔法だ。いっそ魔法と言ってしまったほうがまだ納得できる。
「この間は、ありがとうございました」
結局、自分のペースで話すことにした。お礼を言って、友達ができたことを知らせる。それだけが目的で来たのだから。
深澤先生は朗らかな笑みを浮かべて、いえいえと言った。質問に応えないことを咎めるつもりがないらしいことに、私はようやく緊張を解いた。
「おかげで、次の日には友達、できました。ええと、相談、聞いてくれて、嬉しかったです」
深澤先生は、また、朗らかにいえいえと言った。意外なほどに淡白な反応。言うべき台詞を使い切った私には、もうこの人と話すべき話題がない。
グラウンドから、誰かの声。運動部の掛け声。音は近いのに、やっぱりここは静かだ。
何部の物か判らないホイッスルの音を合図に、もう帰りますねと背中を向けた。その時、誰かが、
「あーあーあーあー」
私の背後で、誰かが、
「あー、ああ、ああ」
壊れた。
表情を変えずに、感情を込めずに、その人は壊れたように見えた。だって、今の今まで普通に会話をしていた人が、いきなり意味の分からない音を発しているのはおかしい。
目を見張ってみて初めて、私は自分が無意識に振り向いていたことに気がついた。眼鏡の奥の瞳が私の視線を絡め取ると、彼は嬉しそうに眉尻を下げて、ようやく人語を口にする。
「ああ、そうだ、そうだよ、思い出した」
ただの感動詞だった。そんなことに気づいたところで、どうにもならない。状況は変わらない。深澤先生の雰囲気がどこか変わってしまったということは明らかで、私が彼の領域に囚われてしまっているという事実は曲がりようもない。
足が竦んだ。その足はなぜか、椅子に腰かけるためだけには動いた。深澤先生は私が正面に座ると、優しくて嫌らしい顔をした。
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