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第五話 『動き始めて歪む世界』
2-1 あの日のこと
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はっきりと名前を呼ばれたのは、駅に入る直前だった。
各務原さんたちにしては控えめな声。
ああ、あの子だ。一度しか会ったことのないショートボブが、とても自然に、頭の中に浮かんだ。
彼女の声なんていまいち覚えてはいなかったけれど、その弱々しさは、なんだか強く印象に残っていた。
立ち止まって、振り向いて、見当たらなくて、少し見渡して、気のせいだったかと思いかけたとき、もう一度北沢さん、と彼女は言った。
眼鏡をかけた孤独な同級生が、他の同じ制服たちに紛れることもなく、今まさに通り過ぎたばかりの券売機の前に立っていた。
駅前の、ともすれば眩しく感じてしまうほどの世界の中で、彼女だけは外側にいるみたいだった。駅前の煌々とした灯りが夕陽もほとんど沈みかけた薄暗い世界をどこかへ押し退けてしまうように、彼女の儚げな姿は、光の中から今にも追い出されてしまいそう。
「ああ、久しぶり。ええっと……」
つい、思い出すふりをしてしまう。
すぐに名前を呼ぶのは、なんだか悔しかった。
私が名前を呼ぶより先に、篠山さんは静かに駆け寄ってきて、息を詰まらせたような声で何かを言った。
このまえはーー。
そう言った気がした。
ごめんなさい。
小さな口が、続けてそう動いた。
それは私の願望なのかも知れなくて、でも、私は気にしないでと心にもないことを言った。レンズ越しの上目遣いが安心したような顔をしたので、それで正解だったんだと思うことにする。
「でも、あの日どうしたの? ぜんぜん来ないから心配したよ」
「急に風邪引いて、学校休んじゃって、北沢さんに知らせないとって思ったんだけど、連絡先知らなくて」
なんだ。そんな理由だったんだ。
なんでもないふうを装いながら、内心でほっとする。
悪い子には見えないし、考えてみればそんな理由ぐらいしかなかったような気もする。
それなのに、なんとなくーー私は、裏切られたように感じていたのだ。
「すぐに謝ろうと思ったんだけど、なかなか、えっと、あのーー」
見ているこっちが不安になるほど、おろおろと視線を迷わせた後、
「友達と、楽しそうにしてたから、なんだか声かけられなくて……」
篠山さんは目を伏せた。
言っていて、情けないんだろうなと思った。
その気持ちは、分かる。私もそうだから。
友達といるところに声をかけられないのは、遠慮してしまうからじゃない。輪に入ることができるか、不安なんだ。
自分がその子にとってどれくらいの存在であるのか、自信がないんだ。
勇気を出した結果、拒絶されるのが怖いんだ。それを私は、遠慮しているんだということにしていたんだ。
「気にしないで」
心から。
「私も、そうだから。分かるから」
夕日も落ちた後の、異世界みたいな駅前の明かりの中で。
篠山さんはあの日みたいに、薄明かりのような笑顔を見せた。
各務原さんたちにしては控えめな声。
ああ、あの子だ。一度しか会ったことのないショートボブが、とても自然に、頭の中に浮かんだ。
彼女の声なんていまいち覚えてはいなかったけれど、その弱々しさは、なんだか強く印象に残っていた。
立ち止まって、振り向いて、見当たらなくて、少し見渡して、気のせいだったかと思いかけたとき、もう一度北沢さん、と彼女は言った。
眼鏡をかけた孤独な同級生が、他の同じ制服たちに紛れることもなく、今まさに通り過ぎたばかりの券売機の前に立っていた。
駅前の、ともすれば眩しく感じてしまうほどの世界の中で、彼女だけは外側にいるみたいだった。駅前の煌々とした灯りが夕陽もほとんど沈みかけた薄暗い世界をどこかへ押し退けてしまうように、彼女の儚げな姿は、光の中から今にも追い出されてしまいそう。
「ああ、久しぶり。ええっと……」
つい、思い出すふりをしてしまう。
すぐに名前を呼ぶのは、なんだか悔しかった。
私が名前を呼ぶより先に、篠山さんは静かに駆け寄ってきて、息を詰まらせたような声で何かを言った。
このまえはーー。
そう言った気がした。
ごめんなさい。
小さな口が、続けてそう動いた。
それは私の願望なのかも知れなくて、でも、私は気にしないでと心にもないことを言った。レンズ越しの上目遣いが安心したような顔をしたので、それで正解だったんだと思うことにする。
「でも、あの日どうしたの? ぜんぜん来ないから心配したよ」
「急に風邪引いて、学校休んじゃって、北沢さんに知らせないとって思ったんだけど、連絡先知らなくて」
なんだ。そんな理由だったんだ。
なんでもないふうを装いながら、内心でほっとする。
悪い子には見えないし、考えてみればそんな理由ぐらいしかなかったような気もする。
それなのに、なんとなくーー私は、裏切られたように感じていたのだ。
「すぐに謝ろうと思ったんだけど、なかなか、えっと、あのーー」
見ているこっちが不安になるほど、おろおろと視線を迷わせた後、
「友達と、楽しそうにしてたから、なんだか声かけられなくて……」
篠山さんは目を伏せた。
言っていて、情けないんだろうなと思った。
その気持ちは、分かる。私もそうだから。
友達といるところに声をかけられないのは、遠慮してしまうからじゃない。輪に入ることができるか、不安なんだ。
自分がその子にとってどれくらいの存在であるのか、自信がないんだ。
勇気を出した結果、拒絶されるのが怖いんだ。それを私は、遠慮しているんだということにしていたんだ。
「気にしないで」
心から。
「私も、そうだから。分かるから」
夕日も落ちた後の、異世界みたいな駅前の明かりの中で。
篠山さんはあの日みたいに、薄明かりのような笑顔を見せた。
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