赤信号が変わるまで

いちどめし

文字の大きさ
5 / 45
第一話 C side

タクシーにて ②

しおりを挟む
「有名なんですか」

「有名、とは」

「出るっていうことですよね、さっきの場所」

 和やかになりかけた空気が、一転して静まり返る。
 直前まで笑みを浮かべていたチヒロの視線は話し相手である運転手ではなく、黙々と後退していく白線に向けられていた。
 焦点を変えて窓に映った自分と目を合わせ、顔にかかっていた髪を耳の後ろに避ける。
 障害物を取り除くと、窓に映る女がいかに疲れた顔をしているのかがよく分かった。

「一昔前までは」

 ひときわ強調するようにして、発音の良い声が車内に響いた。
 チヒロが声のした方を見やると、運転手は満足そうにして再び一昔前までなんですけどね、と繰り返した。

「あの通りは、知る人ぞ知る心霊スポットだったのだそうです」

 赤信号に差しかかり、運転手がブレーキを踏んだ。
 乱暴なエンジン音を響かせて、一台のセダンが交差点を高速で横切って行く。

「怪談話としては陳腐な話で、本当にあった出来事なのかどうか、正直なところ私は知らないんですけどね。ほら、お嬢さんの乗ってこられたあの通りは、長い一本道になっているでしょう。そして、横断歩道は両端に一つずつしかありませんよね。ある時、小さな女の子がその道の半ばでーーもちろん横断歩道なんてないのですが、反対側に渡ろうとして、不幸にもその時突っ込んできた車に」

 轢かれて、亡くなってしまったのだそうです。
 運転手がそう言ったのか、チヒロが頭の中で勝手にそう再生したのか。
 青信号に変わり再び動きだしたやけに大人しい町並みのせいで、それはなんだか曖昧になってしまった。

「それ以来」

 そこまで話したところで、運転手は不意に、おっと、といかにも調子はずれな声を発して、人の良さそうな笑顔を作った。
 そこでチヒロは初めて、彼が怪談話を口にする際に声のトーンを落としていたのだということに気がついた。

「ところで、あの道へはよく行かれるのですか」

 チヒロはお預けを食らったような心持ではい、と答えた後、まあ、と小声でつけ加える。

 自宅から近い場所でもなく、また大きな通りから外れたあの道を、チヒロ自身が自らの判断で利用したことがあるのかといえば、そんなことはただの一度もないのだった。
 暗くなると静まり返る、街灯も乏しいあの一本道は、チヒロではなく彼女が職場で知り合った恋人のお気に入りなのだ。

 いくら見渡したところで気の利いた夜景のひとつも見えない、飲料の自動販売機がぽつりと設置されているだけの、地味で寂しい一本道。
 仕事帰りに恋人の車に乗せられることの多いチヒロは、彼に連れられて帰宅路の一部であるその一本道に何をするでもなくーー強いて言うならば自動販売機でジュースやコーヒーを買うためにーー幾度も立ち寄っている。

 良くも悪くも、それだけの場所である。

「でしたら」

 窓の外には親しみのある景色が流れている。目的地は近い。

「こんな話は、しない方が良かったですかねえ」

 バックミラーに映る運転手の目尻には、メイク道具で描いたかのようなしっかりとしたしわが集まっていた。
 笑みを浮かべているように見えるが、それが気楽な笑みであるのか苦笑であるのかは判別できない。

「そんな、今更」

 つられて笑みを浮かべたチヒロも、それがどんな類の笑みであるのかを自身で判別することができなかった。

「ああ、でもね、安心してください」

「どうして」

「言ったでしょう。一昔前までは、って」

 前髪に触れながら、ああ、と小さく声を漏らす。
 まだあれから何分も経っていないというのに、強調されていたはずのあの言葉を忘れてしまっていた。
 むしろ、あの時は運転手の声質にばかり気が行っていたせいで、言葉を耳にしたその瞬間でさえも頭には入っていなかったように思える。

「当時は、出ただの見ただの触られただのの大騒ぎだったとかで。それもある時を境にぱたりと静まって、今ではめっきり落ち着いてしまったのだということです」

 そこまで言うと、温和そうな顔はそれきり口を開く気配すら見せなくなってしまった。
 情報量に難があるものの恐ろしげで物悲しい展開を予感させる怪談話は、序章部分でそんな展開を予想させるだけさせておいて、そのままただの一つもそれらしい出来事が語られることもなく、あっという間に終わってしまった。
 これではお預けのままである。

「終わりですか」

 物足りない、という意味を込めて、チヒロは口を開いた。
 怪談話が終結したのだという確信が得られるまで、十分に運転手の様子をうかがった上での質問だった。

 ははあ、と気楽な声で笑ってみせた運転手は、やはり気楽な態度で「省略しすぎましたかね」と鼻の頭を掻いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...