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第二話
お話希望②
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目を開けて、わたしは反射的に口を押さえていた。
驚いたから、と言えばその通りなのだけれど、何よりも、忘れよう、という言葉をなかったことにしたかったのだと思う。
目を開けると、辺りを照らす色が変わっていた。
光はずっと強くなり、点滅のペースも変化していることが分かる。
開けたばかりの目を、わたしは思わず疑った。
何度瞬きをしても、眼前に広がる風景は元に戻ることがなかった。
夜の暗さの中でくっきりとした輪郭を浮かび上がらせている、薄緑色の車体。
見覚えがある、というよりも、自動車の種類に疎いわたしにとっては、それと見分けられる数少ない車。
彼氏さんの車が、戻って来たのだ。
幽霊と出くわしてしまったその夜も明けないうちに、ひょっこりと。
車は横断歩道を少し越えた辺りに停車して、エンジンを切ってからハザードランプを消した。
再び黄色い点滅が辺りを照らしても、そこにはさっきまでとは違う風景が広がっている。
車の停まっているのが車道を挟んだ向かい側であるため、中の様子は分からない。
どうして戻って来たのだろう。
足元の横断歩道を渡りさえすれば彼の車はもうすぐそこだというのに、わたしの足は灯っていない赤信号に静止させられているかのごとく、一歩も踏み出すことができずにいた。
不安なのだ。
予想外、という言葉すらわざとらしい、わたしにとってあまりにも都合の良いこの状況が、わたしのことをいたずらに不安にさせている。
除霊をしに戻って来たのだという可能性もなくはないのだろうけれど、味気ない肝試しの一環のようであった先ほどの状態から、一晩どころか何時間も置かずに体勢を立て直してくるほどの、人並みはずれた手際のよさが彼氏さんやハルヒコさんに備わっていると考えるのも現実的ではない。
ほんとうに、どうして戻って来たのだろう。
不思議に思いながらしばらく様子をうかがってみたけれど、車はしんと静まり返り、動き出す素振りも、中から誰かが出て来る気配すらも感じられない。
そのまま、どれくらいの時間が経過したのかは分からない。
けれど、赤かった信号が青く変わるのには十分な時間が経っているような気がする。
歩を進めようと思ったのが先か、身体が前進していることに気づいたのが先か。
横断歩道を渡り始めると、白いラインを一つ超えるごとに、急な階段を一段ずつ昇っていくかのような妙な感覚があった。
白線を渡りきってから改めて彼氏さんの車に目をやると、それまでの不安感がとても取り留めのないものであったかのように感じられる。
飽きもせず点滅を繰り返す車両用の信号機は、わたしがこともなげに車に近づいたことに驚いて瞬きを繰り返しているようだった。
助手席側のドアに近づくと、運転席に座った彼氏さんの顔が、携帯電話の明かりによってぼんやりと照らし出されているのが見えた。
電話越しに誰かと話しているらしい。
車内には他に誰の姿もなく、それがわたしにとってはますます不思議な光景であるように感じられる。
電話をしている彼氏さんの表情には落ち着きがなく、見ていて可哀想になるほどの悲壮に溢れ、それでいて精一杯の虚勢が見て取れた。
「でも」
車から、上擦った大声が漏れ出て来る。
「でも、幽霊は退治したよな」
車外にいるわたしの耳にもはっきりと届く、泣き喚くような大声。
この言葉で、電話の相手がハルヒコさんであるのだと確信した。
おおかた、今夜再びこの道を通ることになってしまったことについて話しているのだろう。
幽霊の出た道にまた来ているだなんて、正気かい。
でも、幽霊は退治したよな。
そんなやりとりが頭に浮かぶ。
「あれって」
恐怖のせいか、感情が昂ぶっているらしい。
彼氏さんの声のボリュームは下がらない。
「だからあれは人間だろう」
最後に悲鳴か怒鳴り声かというほどの大声をマイク部分に叩きつけると、電話を握っている方の手を耳元から引き剥がし、空いている手の人差し指で画面を操作した。
おどおどとしながらも機敏な動きだった。
驚いたから、と言えばその通りなのだけれど、何よりも、忘れよう、という言葉をなかったことにしたかったのだと思う。
目を開けると、辺りを照らす色が変わっていた。
光はずっと強くなり、点滅のペースも変化していることが分かる。
開けたばかりの目を、わたしは思わず疑った。
何度瞬きをしても、眼前に広がる風景は元に戻ることがなかった。
夜の暗さの中でくっきりとした輪郭を浮かび上がらせている、薄緑色の車体。
見覚えがある、というよりも、自動車の種類に疎いわたしにとっては、それと見分けられる数少ない車。
彼氏さんの車が、戻って来たのだ。
幽霊と出くわしてしまったその夜も明けないうちに、ひょっこりと。
車は横断歩道を少し越えた辺りに停車して、エンジンを切ってからハザードランプを消した。
再び黄色い点滅が辺りを照らしても、そこにはさっきまでとは違う風景が広がっている。
車の停まっているのが車道を挟んだ向かい側であるため、中の様子は分からない。
どうして戻って来たのだろう。
足元の横断歩道を渡りさえすれば彼の車はもうすぐそこだというのに、わたしの足は灯っていない赤信号に静止させられているかのごとく、一歩も踏み出すことができずにいた。
不安なのだ。
予想外、という言葉すらわざとらしい、わたしにとってあまりにも都合の良いこの状況が、わたしのことをいたずらに不安にさせている。
除霊をしに戻って来たのだという可能性もなくはないのだろうけれど、味気ない肝試しの一環のようであった先ほどの状態から、一晩どころか何時間も置かずに体勢を立て直してくるほどの、人並みはずれた手際のよさが彼氏さんやハルヒコさんに備わっていると考えるのも現実的ではない。
ほんとうに、どうして戻って来たのだろう。
不思議に思いながらしばらく様子をうかがってみたけれど、車はしんと静まり返り、動き出す素振りも、中から誰かが出て来る気配すらも感じられない。
そのまま、どれくらいの時間が経過したのかは分からない。
けれど、赤かった信号が青く変わるのには十分な時間が経っているような気がする。
歩を進めようと思ったのが先か、身体が前進していることに気づいたのが先か。
横断歩道を渡り始めると、白いラインを一つ超えるごとに、急な階段を一段ずつ昇っていくかのような妙な感覚があった。
白線を渡りきってから改めて彼氏さんの車に目をやると、それまでの不安感がとても取り留めのないものであったかのように感じられる。
飽きもせず点滅を繰り返す車両用の信号機は、わたしがこともなげに車に近づいたことに驚いて瞬きを繰り返しているようだった。
助手席側のドアに近づくと、運転席に座った彼氏さんの顔が、携帯電話の明かりによってぼんやりと照らし出されているのが見えた。
電話越しに誰かと話しているらしい。
車内には他に誰の姿もなく、それがわたしにとってはますます不思議な光景であるように感じられる。
電話をしている彼氏さんの表情には落ち着きがなく、見ていて可哀想になるほどの悲壮に溢れ、それでいて精一杯の虚勢が見て取れた。
「でも」
車から、上擦った大声が漏れ出て来る。
「でも、幽霊は退治したよな」
車外にいるわたしの耳にもはっきりと届く、泣き喚くような大声。
この言葉で、電話の相手がハルヒコさんであるのだと確信した。
おおかた、今夜再びこの道を通ることになってしまったことについて話しているのだろう。
幽霊の出た道にまた来ているだなんて、正気かい。
でも、幽霊は退治したよな。
そんなやりとりが頭に浮かぶ。
「あれって」
恐怖のせいか、感情が昂ぶっているらしい。
彼氏さんの声のボリュームは下がらない。
「だからあれは人間だろう」
最後に悲鳴か怒鳴り声かというほどの大声をマイク部分に叩きつけると、電話を握っている方の手を耳元から引き剥がし、空いている手の人差し指で画面を操作した。
おどおどとしながらも機敏な動きだった。
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