赤信号が変わるまで

いちどめし

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第二話

お話希望④

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 いつまで続くとも知れない数秒という時間を、信号機にでもなったかのような気分でアスファルトを見下ろしながら過ごす。

「あの」

 反応を待ち続けていたわたしの頭頂部が、何のこともなく発せられる彼氏さんの声を聞いた。
 嬉しさよりも、ほっとする気持ちが強かった。

「どうぞ」

 わたしが、幽霊だからだろうか。

 幽霊だから、言葉も使わずに言いたいことが伝わったのだろうか。
 幽霊だから、彼氏さんの「どうぞ」という言葉の意味が分かったのだろうか。

 わたしは彼氏さんと目もあわせないまま移動して、後部座席のドアを開けた。
 彼氏さんは何も言わず、わたしのことを制止しようとする雰囲気もない。
 だからきっと、わたしの解釈は正しい。
 「どうぞ」は、「どうぞ乗ってください」の「どうぞ」だ。

 席に着くと、以前助手席に座った時よりも窮屈な、そのくせ、同じようなふわふわごわごわとした感触がわたしのことを出迎えた。
 そこには以前のような自己嫌悪はなく、ささやかな喜びが漂っている。
 それもそのはず、今回は無断で侵入するのではなく、招かれて座っているのだから。

 わたしがドアを閉めると、それを合図に車は走りだした。
 とうに緊張は解けていたけれど、今度はなんだか気恥ずかしくて、やっぱりわたしはうつむいてしまう。

 目的地に向かう途中、車の中はそれは静かなものだった。
 時おり上目遣いになっては運転席の様子を確認し、彼はどんな気持ちでハンドルを握っているのだろうと考えた。
 わたしのことを幽霊だと分かっているのであろう彼は、後部座席にうつむきがちな真夜中の客人を乗せて、いったいどういう心境なのだろうか、と。

 それから間もなく、自動販売機の前まで辿り着いて、停車。
 咄嗟のボディーランゲージがここまで正確に意図を伝えていたのだということに、わたし自身が誰よりもーーこの場にいるのはわたしと彼氏さんの二人だけなのだけれどもーー驚いているはずだ。

 わたしにとっては、何から話せば良いのやらを考えるためには短すぎた深夜のドライブ。
 運転席の彼にとっては、きっと生きた心地のしない、いつ終わるとも知れない長い時間だったのだろう。

 外からは人工的でありながらも温かみのある、自動販売機の明かりが射し込んで来ている。
 わたしには言葉と勇気を、彼氏さんにはとりあえずの安心を与えてくれるはずの光。

「着きましたよ」

 先に言葉を発したのは彼氏さんの方だった。

 予想に反して、安心感の欠片も、恐怖の色すらない無感情な声。

「なんだかつまらなさそうですね」

 思わずそう口にしてしまったのは、予想外の態度を見せた彼氏さんへの驚きと、言葉に感情すら乗せてくれないことへの不満のせいだ。

 そういえば、わたしが車に乗る前から彼氏さんの声は平坦で、無感情だった。
 ハルヒコさんとの電話では恐怖のあまり声が上ずってしまっていたほどだというのに、よくよく思い返してみれば、わたしに声をかける時は、まるで石ころにでも語りかけるかのごとくだったじゃないか。

「あの子の時は、ひゃーひゃー言って逃げ出したじゃないですか」

 生きている人間と話すのが初めてだからだろうか。
 ひゃーひゃー、の部分におかしな具合に力が入ってしまい、なんだか楽しげな話でもしているかのような口調になってしまう。

 何にせよ、それが、彼の幽霊に対する反応だったはずだ。
 三度目ともなるとさすがに慣れてしまうのだということだろうか。
 そうでなければ、

「もしかして、わたしのこと幽霊だって気づいていませんか?」

 と、そういうことになる。
 これはわたしの考えていた状況とはかなり違うものではあるけれど、それはそれで、良い傾向だ。

 彼にとって、わたしは少なくとも恐ろしい存在ではないということになるのだから。

「こう見えても幽霊なんですよ」

 どう見えているのかは分からない。
 この言葉は、あなたにとって恐ろしい存在ではないわたしは、実は幽霊なんですよ、という意味。

 彼の目はこちらには向けられてはいなかったけれど、わたしは精一杯の親しげな笑顔を作り、うつむけていた顔を思い切り持ち上げた。
 無理をしているつもりはなかったのだけれども、膝の上で握る手が小刻みに震えていた。

 深く考えもせずにしてしまった、自身が幽霊であるという告白。
 これによって、せっかくの笑顔が無意味なものに終わってしまったらどうしよう。
 彼氏さんの背中に笑顔を向けながら、わたしは恐怖のあまり打ち震えてしまっているのだった。
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