赤信号が変わるまで

いちどめし

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第二話

お話希望⑤

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 エンジン音が低く響く中、彼氏さんはわたしが後ろにいることなど忘れてしまったかのように沈黙を貫いている。

 この無言という圧迫は、恐怖がわたしを打ち負かすのには十分なものだった。
 精一杯の笑顔が崩れていくのが分かる。
 今にも再びうつむいてしまいそうで、だけどそこまで落ち込んでしまってはこの車から出て行くことさえもままならなくなってしまいそうだったので、なんとか耐えぬいた。

 それが吉と出たらしく、思わぬ発見をしてしまった。

 バックミラーに映る、彼氏さんの目。
 鏡越しに、わたしの様子をうかがっているのだろう。
 あえて言うならば退屈そうな双眸は、わたしの思い違いでなければ少なくとも幽霊を怖がる風ではない。

 自己を奮起させて、再び笑顔を作る。
 彼氏さんが反応を見せないのならば、もっと、わたしから話しかけていけば良いのだ。
 さあ次は何と言おう。
 親しげに、親しげに。

「あれ、反応薄いですねぇ。嘘だと思ってるんですか?」

 ふと頭に浮かんだのは、ハルヒコさんの顔だった。
 仕方がない。
 わたしにとっては彼氏さんと親しげに話す人物なんて、彼女さんかハルヒコさんしか思いつかないのだ。
 頭の中のいたずら好きな笑みに引っ張られてしまったらしく、わたしの口調にも若干の意地の悪さが混ざる。

「あ、怖すぎて声も出ないとか」

 怖がられていないという確信がなければ、とても口にできるはずもない冗談。
 わたしはハルヒコさんよろしく、いたずらな笑みをバックミラーに向けた。

「あの」

 呼びかけられる。
 膝の上に握った拳が、嬉しさに震えた。
 たった一声ではあるけれど、それがわたしの求めた声であることには間違いない。

「なんですか?」

 ほとんど反射的に声を返す。
 会話よ、続け。

「着きましたけど」

 驚いた。
 ここまでかたくなに、人の言葉に無関心な対応があるだろうか。
 事務的かつ無感情なその言葉は、予想していたどんな言動よりもわたしに衝撃を与えた。

「あの、わたし、幽霊なんですが」

 強調したいわけでもなかったけれど、わたしが亡者であるという何よりも重要な事実に対して何の反応も見せないということに、座りの悪さを感じずにはいられなかった。

「それとこれと、どういう関係があるんですか」

 今度はうんざりとした口ぶりで、やはり彼氏さんは事務的に言う。

「それとこれ?」

「あなたが幽霊だっていうことと、目的地に着いたのに、あなたが車から降りようとしないことです」

 心なしか早口な彼氏さん。
 失礼なことに、今度は機嫌が悪くなりだしているらしい。
 代名詞だけの言葉足らずな質問をしておいて、そんな態度は身勝手というものだ。

「あ、降りて欲しかったんですか。だったらそう言ってくれればいいのに」

 嫌味を込めて言い返した。

「降りて欲しいと言ったら降りるんですか」

「そういうわけにはいきませんよ」

 わたしの嫌味を真っ直ぐに受け取ってしまったのか、彼氏さんの対応は腰の砕けるようなものだった。
 それに対して、わたしは機嫌を損ねている風に即答する。
 これまでの無関心な態度への仕返しにからかってやろう、という気持ちもあったけれど、そんな態度にわたしが機嫌を損ねていたのも、また事実だ。

「せっかく波長を合わせたっていうのに、これでさようならじゃあ意味がないです」

「どういうことですか」

「お話しましょうっていうことです」
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