赤信号が変わるまで

いちどめし

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第三話

作戦レポート②

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「おねえちゃん」

 悲鳴を最後に終始何の言葉も発しないまま恋人たちは去って行き、取り残され立ち尽くすしかないわたしは、今、全ての元凶たる悪霊に見上げられている。

「怒ってるの」

 様子をうかがうような声色。
 彼女のしでかしたことに対してどういう感情を抱けば良いのやら不明瞭ではあるけれど、言われてみれば、確かにわたしは怒っているのかも知れない。

 怒っていることが一番自然で、楽なのかも知れない。

 視線を下げると、不安そうな顔をした悪霊の姿が目に入った。
 今回のことでわたしに嫌われていやしないかと、心配なのだろうか。
 子供らしい、裏表のなく繊細な表情であるように見える。

「怒ってるよ」

 わたしの短い返答に、少女は表情を強張らせ、泣きそうな顔を次第にうつむけていった。
 彼女にこんな態度をとることができたのかと、少し意外な気持ちになる。

「どうして、あんなことしたの」

 驚いたことに、それはわたしの口ではなく、目の前の少女の口から発せられた言葉だった。

 どうしてあんなことをしたのか。
 聞きたいのはわたしの方だ。
 どうして作戦を台無しにするようなことをしたの。
 この場面では、本来わたしにこそふさわしい質問のはずである。

「あんなこと?」

 代名詞の内容を確認する。
 昨晩の彼氏さんとのやり取りに似ているな、と思った。
 わたしの言う「あんなこと」ならばまだしも、この子の言っている「あんなこと」が何を指しているのか、見当もつかない。

 今回の作戦の中で、ここ数日の中で、わたしが幽霊になってから今に至るまでの中で、果たしてこの悪霊の少女に「どうして、あんなことしたの」と言われる筋合いのあることを、わたしがしたことなどあっただろうか。

 ないはずだ。

 確信がある。
 彼女に危害を加えたことも、彼女に不快な思いをさせたことも、彼女のことをないがしろにしたことも、ないはずだ。

 返答に詰まっているのだろうか。
 大きな目が、うらめしそうに、怯えるようにこちらを見上げている。
 まるで、いたずらを咎められた猫のよう。
 これじゃあ、まったく、どちらが悪者なのか分からない。
 わたしはまだ、叱ってすらいないというのに。

 叱る気すらなかったのに。
 怒っているわけでもなかったのに。

 どうしてわたしが、そんな目で見られないといけないのだろう。

「どうして、あんなことしたの」

 膝を曲げて、怯える猫に目の高さを合わせて、なるべく静かな声でわたしはそう尋ねた。全く同じ言葉にしたのは、性格の悪い皮肉のつもり。

 なるほど、「あんなこと」だけじゃあ何を指した言葉なのか分からない。
 自分で言ってみて、初めて分かる。
 わたしの指すべき「あんなこと」の内容が多すぎて、彼女にどれか一つを特定できるわけがない。

 例えばそれは、わたしの作戦の邪魔をしたこと。

 例えばそれは、わたしの楽しみを踏みにじったこと。

 例えばそれは、彼氏さんと彼女さんとの仲を壊してしまったこと。

 例えばそれは、わたしを殺したこと。

 危害を加えられたのも、不快な思いをさせられたのも、心を傷つけられたのも、全てわたしの方だ。
 もしも「あんなこと?」だなんて首を傾げるようなことがあれば、思いつく限り、わたしは彼女にされたことを延々と並べたてるのに違いない。

 大きな黒目がわたしから逃げるようにして泳いでいる。
 悪霊であろうと、わたしよりも長く存在し続けている霊であろうと、その姿は、態度は、所詮ただの子供だ。

 ああ、やっぱりわたしが悪者だ。
 これは、あまりにも、酷い。

「だって」

 今にもべそをかきそうな声を聞いた時、わたしの目はその声の主の目を真っ直ぐに見続けることができなくなっていた。

「だって、おねえちゃん、あの人たちが仲良くしてると」

 赤いスカートが揺れて、わたしたちの距離は子供の歩幅ぶん、遠ざかる。

「悲しそうだったのに」

 はっとした。
 視線を上げると、既にお下げの少女は姿を消している。

 悔しかった。

「わたしは、今」

 立ち上がって、消えてしまった少女を探す。
 彼女は波長を変えることによって、同じ霊であるわたしの目からも姿を隠すことができた。

「わたしは今、ね」

 声を張り上げる。
 姿は見えずとも、言葉は届くはずだった。

「わたしは今、とってもーー」

 悲しいよ。

 風がつめたい。

 しばらくして、彼女さんを家まで送り届けて来たらしい彼氏さんの車が戻って来ると、わたしはごしごしと腕で顔を擦った。

 酷い顔をしているのに、違いなかったから。
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