赤信号が変わるまで

いちどめし

文字の大きさ
20 / 45
第三話

作戦レポート②

しおりを挟む
「おねえちゃん」

 悲鳴を最後に終始何の言葉も発しないまま恋人たちは去って行き、取り残され立ち尽くすしかないわたしは、今、全ての元凶たる悪霊に見上げられている。

「怒ってるの」

 様子をうかがうような声色。
 彼女のしでかしたことに対してどういう感情を抱けば良いのやら不明瞭ではあるけれど、言われてみれば、確かにわたしは怒っているのかも知れない。

 怒っていることが一番自然で、楽なのかも知れない。

 視線を下げると、不安そうな顔をした悪霊の姿が目に入った。
 今回のことでわたしに嫌われていやしないかと、心配なのだろうか。
 子供らしい、裏表のなく繊細な表情であるように見える。

「怒ってるよ」

 わたしの短い返答に、少女は表情を強張らせ、泣きそうな顔を次第にうつむけていった。
 彼女にこんな態度をとることができたのかと、少し意外な気持ちになる。

「どうして、あんなことしたの」

 驚いたことに、それはわたしの口ではなく、目の前の少女の口から発せられた言葉だった。

 どうしてあんなことをしたのか。
 聞きたいのはわたしの方だ。
 どうして作戦を台無しにするようなことをしたの。
 この場面では、本来わたしにこそふさわしい質問のはずである。

「あんなこと?」

 代名詞の内容を確認する。
 昨晩の彼氏さんとのやり取りに似ているな、と思った。
 わたしの言う「あんなこと」ならばまだしも、この子の言っている「あんなこと」が何を指しているのか、見当もつかない。

 今回の作戦の中で、ここ数日の中で、わたしが幽霊になってから今に至るまでの中で、果たしてこの悪霊の少女に「どうして、あんなことしたの」と言われる筋合いのあることを、わたしがしたことなどあっただろうか。

 ないはずだ。

 確信がある。
 彼女に危害を加えたことも、彼女に不快な思いをさせたことも、彼女のことをないがしろにしたことも、ないはずだ。

 返答に詰まっているのだろうか。
 大きな目が、うらめしそうに、怯えるようにこちらを見上げている。
 まるで、いたずらを咎められた猫のよう。
 これじゃあ、まったく、どちらが悪者なのか分からない。
 わたしはまだ、叱ってすらいないというのに。

 叱る気すらなかったのに。
 怒っているわけでもなかったのに。

 どうしてわたしが、そんな目で見られないといけないのだろう。

「どうして、あんなことしたの」

 膝を曲げて、怯える猫に目の高さを合わせて、なるべく静かな声でわたしはそう尋ねた。全く同じ言葉にしたのは、性格の悪い皮肉のつもり。

 なるほど、「あんなこと」だけじゃあ何を指した言葉なのか分からない。
 自分で言ってみて、初めて分かる。
 わたしの指すべき「あんなこと」の内容が多すぎて、彼女にどれか一つを特定できるわけがない。

 例えばそれは、わたしの作戦の邪魔をしたこと。

 例えばそれは、わたしの楽しみを踏みにじったこと。

 例えばそれは、彼氏さんと彼女さんとの仲を壊してしまったこと。

 例えばそれは、わたしを殺したこと。

 危害を加えられたのも、不快な思いをさせられたのも、心を傷つけられたのも、全てわたしの方だ。
 もしも「あんなこと?」だなんて首を傾げるようなことがあれば、思いつく限り、わたしは彼女にされたことを延々と並べたてるのに違いない。

 大きな黒目がわたしから逃げるようにして泳いでいる。
 悪霊であろうと、わたしよりも長く存在し続けている霊であろうと、その姿は、態度は、所詮ただの子供だ。

 ああ、やっぱりわたしが悪者だ。
 これは、あまりにも、酷い。

「だって」

 今にもべそをかきそうな声を聞いた時、わたしの目はその声の主の目を真っ直ぐに見続けることができなくなっていた。

「だって、おねえちゃん、あの人たちが仲良くしてると」

 赤いスカートが揺れて、わたしたちの距離は子供の歩幅ぶん、遠ざかる。

「悲しそうだったのに」

 はっとした。
 視線を上げると、既にお下げの少女は姿を消している。

 悔しかった。

「わたしは、今」

 立ち上がって、消えてしまった少女を探す。
 彼女は波長を変えることによって、同じ霊であるわたしの目からも姿を隠すことができた。

「わたしは今、ね」

 声を張り上げる。
 姿は見えずとも、言葉は届くはずだった。

「わたしは今、とってもーー」

 悲しいよ。

 風がつめたい。

 しばらくして、彼女さんを家まで送り届けて来たらしい彼氏さんの車が戻って来ると、わたしはごしごしと腕で顔を擦った。

 酷い顔をしているのに、違いなかったから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】25年の人生に悔いがあるとしたら

緋水晶
恋愛
最長でも25歳までしか生きられないと言われた女性が20歳になって気づいたやり残したこと、それは…。 今回も猫戸針子様に表紙の文字入れのご協力をいただきました! 是非猫戸様の作品も応援よろしくお願いいたします(*ˊᗜˋ) ※イラスト部分はゲームアプリにて作成しております もう一つの参加作品「私、一目惚れされるの死ぬほど嫌いなんです」もよろしくお願いします(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...