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3章 三浦幸子25歳 妊娠、そして……

26話 抗えない運命(2)

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「いや!この子は私のお腹にいるの!絶対外になんか出さない!」

「お母さん、このまま赤ちゃんをお腹の中に留めておく事は出来ないんですよ。」

「いや!いや!」


幸子は病院の布団に包まり泣いている。突然の我が子の死を受け入れられない母親は多いのだ。


「先生、このまま自然に任せる事は出来ませんか?」

誠も子供を母親の体から無理矢理出す事には反対のようだ。


「……お父さん、よろしいですか?」

産婦人科医は誠を病室の外に連れ出す。


……しばらくし誠だけが戻って来る。


「幸子……、出産しよう……。」

「いや!この子は私達の子よ!ずっとお腹で一緒にいるの!」

「……この子に外の世界を見せてあげよう。お前、言っていたじゃないか、この子に色々な事を知って欲しい、色々な物を見て欲しいと……。ずっと腹の中では何も見られない何も知れない。だから外に出してあげよう。」


「……外に?」

「ああ、頼む。」

誠は幸子の手を強く握る。


幸子は窓から外を見る。雪が降っており、幻想的な景色だった……。


「……側にいてくれる?」

「ああ。」


「分かった……、この綺麗な雪を見せてあげないとね。」

「ああ……。」



誠の説得により、幸子は出産を決意する。陣痛促進剤により陣痛が始まる。


「はぁ、はぁ、はぁ、痛い……、痛い……。」

誠はただ手を握っている。男はそれ以外出来る事は無いからだ。助産師から背中を押したりした方が楽になると説明を受け、幸子が言う通りに対応する。


悲しい出産から10時間経つが、まだ産まれる兆しがない。幸子はただ痛みに耐えている。


「……もう、もう無理……。もう……。」

「もう少しだ……、もう少しで生まれるて来てくれる。」

「もう、良いの。私も……、私も一緒に……。この子と一緒に……。」

「何馬鹿な事言っているんだ!そんな……、馬鹿な事……。」


「だって、私……。この子が居なかったら生きていけない……。」


誠は黙り込む。かける言葉が見つからないのだ。



……しばらくし、誠は幸子の手を離す。

「……え?」

誠は黙って陣痛室を出て行こうとする。

「待って!お願い、側に居て!お願い!あなたまで居なくなったら私……!」

しかし、誠は振り返る事なく出て行く。


「……あ、う……、ああ……。」

幸子はただ一人涙を流す。我が子の死を知りどれほどの涙を流しただろう。しかし、止めどなく涙が溢れてくる。

(……ふざけるなよ……、お前……。目の前に激痛に耐えている妻が居るのに逃げるなんて夫としてあり得ないだろう!ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!ちゃんと側にいろよ!手を握ってろよ!妻が何言ってもちゃんと受け止めろよ!……泣いても良いから……。)

二時間程経ち、やっと胎児の頭が出てくる。陣痛促進剤を使用し12時間。幸子の精神体力共に限界だった……。

「もう少しですからね。分娩室に行きましょう。」

「うちの……、人は……。」

「……きっと戻って来てくれますから……。」


「はい……。」

幸子は陣痛の間に助産師に連れられ分娩台に乗る。これからが一番の激痛が待っている。

「もう少しです。頑張りましょう。」

「……は……い。」

幸子は必死にいきむ。本来なら胎児と母親が力を合わせて出産するものだが、お腹の胎児は亡くなっている。その為、幸子一人で頑張らないといけないのだ。

「うー!うー!はぁ、はぁ、はぁ。痛い!痛い!」


(痛い……、本当に……、死にたくなるぐらいに……。この先に何が待ってるんだよ?我が子の死を受け入れる事か?なんだよ、それ?こんな痛い思いしてそれしかないのか?)

(こいつはこの子にただ無事に生まれてきてくれる事しか望んでいなかったんだよ!別に男でも女でもどっちでも良いって!その他には何も望まないって!不妊治療に協力しない馬鹿旦那に、責任転嫁してくる姑に耐え、酷い悪阻に耐え、身重になっても大事にこの子を守っていたのに!どうして?どうしてだよ!)


(なんだよ!なんなんだよ!俺も母さんも!こいつはな!自分でベビー用品が選びたかったんだ!楽しみにしていたんだ!押し付けんなよ!俺ふざけんなよ!早く帰って来いよ!お前の気持ちなんて知らない!お前はただ逃げれば良いがこいつは逃げれないんだよ!お腹の子供が勝手に出て来たと思っていたのか?違う!こいつが命削って産んだんだよ!ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!)


「ああー!!」


分娩台に乗り一時間、何かが出て来た感覚がする。その瞬間、痛みがスッと引いていく。

「はぁ、はぁ、はぁ……。」


(あれ?静かだな……。何故こんなに静かなんだ?出産はこんな静かなものなのか?)

「お疲れ様でした。よく、頑張りましたね。お母さん。」

医師が来て、生まれて来た子供を診察し始める。


12月25日、4時21分、2820gで生まれたその子は、医師の見立て通り可愛い男の子だった……。

38週と2日の短すぎる生涯を遂げた息子は安らかな表情で亡くなっていた。


「……赤ちゃん……。」

幸子は生まれて来た子供に手を伸ばす。

「待って下さいね。今から体を綺麗にしてきます。寒いからお洋服も着せてあげないと……。」

助産師は幸子の手を優しく握る。


(そっか……、産声がないから静かなんだ……。普通なら今頃、元気な産声が上がって夫婦の喜びの声とおめでとうの言葉が……。)

誠は思考を止める。これ以上は耐えられなかった……。


幸子が出産を終え二時間が経つ。しかし誠は戻って来なかった。

「そろそろ病室に行きましょう。」

幸子は助産師に体を支えてもらい病室まで歩く。死にたいとまで思ったが、体は回復しているのだ。何故、お腹の子供と共に連れて行ってくれなかったのか。その事ばかり幸子は考えている。


「お母さん、赤ちゃんですよ。」

亡くなった子供は他の乳児と同じように、キャスターの付いた病院のベビーベッドに乗せられ、乳児が着る白いベビー服を着せられ連れて来られる。しかし一つ違うのは、顔に白い布がかけられている事だった。

幸子はゆっくり布を外す。そこには可愛い顔をした男の子が目を閉じていた。


「……可愛い……、なんて可愛いの……。あの人にそっくり……。」


その子は誠にそっくりだった……。


幸子はその子を抱き上げ、窓に近付く。そして幻想的に降る雪を見せ、外の世界は美しいのだと話す。


幸子は我が子を強く抱きしめる。生まれてすぐ別れなければならない我が子を想いながら強く……。


(……本当に可愛いな……。俺に似すぎだろう……。せっかく母親は美人なのに何故俺に似るんだよ?もし生きていたら『何故母さんに似なかった?』と嘆いていただろうな……。『何故親父なんかに似たんだ?』と嘆いていただろうな……。……そんな事どうでも良いんだよ……。無事に生まれて来てくれたら、無事成長出来たらそんな事どうでも……!)

幸子は子供の頬を触る。亡くなって半日以上経った体は冷たかったが、その頬はプニプニしており幸子のお腹の中で成長を遂げていたと見て取れる。


(……あそこまで激痛に耐えて子供を産むのが何故か分かったよ……。可愛いから……、ただ可愛いからなんだな……。この小さな命を育みたいからなんだな……。こんなに頑張ったのにこの子を育む褒美はない……。なんて悲しく虚しいのだろう……。)


幸子は涙を流す。ただ一人……、夜が明け日の光が差し込んできても……、嗚咽を漏らし涙が枯れるまで……。ただ一人で……。


(……どうしてこいつを一人にした……。悪阻の苦しみも出産の痛みも変われないんだから産まれる時まで側にいろよ!泣いているこいつを抱きしめろよ!よく頑張ったと言えよ!こいつと一緒に泣けよ!……今からでも来いよ……、この子を抱きしめろよ!父親だろうー!!)





………


……







一 現在 一

ピー、ピー、ピー。

誠に繋がっている医療用バイタルセンサーが警告音を鳴らす。誠の血圧が上昇し、血液中の酸素濃度が低下し出す。


「三浦さん!三浦さん!」


医師が駆けつけ、再度誠は脳のCTを撮ってもらう。


恐れられていた、脳からの再出血だった……。再出血すると予後は非常に悪く死亡率も高かった。


しかし医師はまだ諦めない。家族の同意を取り、誠を手術室に連れて行く。家族は出来る事は全てして欲しい……、そう希望しているのだ。


ピッ、ピッ、ピッ……、誠を救う為の手術が再度始まる。

出血の範囲が広い……。助けられないかもしれない……。医師は今までの経験から誠が危険な状態だと分かっている。





手術が始まり数時間、誠の体に変化が訪れる。


「先生……、患者さんが……。」

誠の目から涙が流れてきたのだ。全身麻酔をかけ、涙など流れるはずないのに……。



(……ごめんな幸子、……ごめんな誠一……。)


誠はただ謝り続けている。
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