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4章 三浦幸子28歳 母としての戦い
36話 父と母、そして娘の戦い(2)
しおりを挟む一 柚 生後二ヶ月 修正34週 一
生後二ヶ月となった柚は体重1420gになっており、目を開けこちらを見て来る事が増えた。無呼吸発作や脳出血などの急変もなく、すくすくと成長していた。
そして話に出ていた呼吸器の仕様を一段階下げる話しだが、修正32週で鼻マスクに変更出来たのだ。これはあまりにも大きな快挙であり、柚の成長に良い兆しが見えた。
今日は主治医との面談日、二人は面談室に通される。
「いやあ、柚ちゃん頑張っていますね。この先を考えて良いでしょう。これから少しずつ鼻マスクを外せるかどうかを見ていき、保育器を出られるように頑張っていきましょう。」
二人は喜ぶ反面不安にもなる。柚にその力はあるのか?急変しないか?
医師はそんな親の気持ちも分かっている。
「そうですね、確かに心配ですよね。でも柚ちゃんは現在修正で34週目です。もう少しで生まれてくる時期になります。保育器……、お母さんのお腹から出る準備を始めないといけない時期です。不必要な時期まで過剰に対応してしまうと柚ちゃんは自分で呼吸をしないといけない事、暖かい保育器の中にいる事、栄養は勝手に体に入ってくる事を当たり前だと認識してしまいます。出来ない事を補助するのと、出来ないと決めつけて過剰に世話をしてしまうのは違います。今、柚ちゃんの出来る事と出来ない事をしっかり見極め対応していきましょう。」
その言葉に誠と幸子はお互いを見合わせる。確かにそうだ。出来ないと決めつけて、柚の成長を阻害してはいけない。柚を心地の良いお母さんのお腹の中から外に出さないといけない。柚の認識だけでなく自分達の認識も変えていかないといけない。二人は覚悟を決める。
「よろしくお願いします。」
二人は頭を下げる。
「……はい、最善を尽くします。それで保育器から出てからですが……。」
話を聞き、お互い忘れていたと叫ぶ。
…
二人は娘の面会を終わらせ、ベビー用品店に向かう。生まれてからずっと保育器に入っている為必要なかったが、いずれ保育器を出た時に着る服が無いと気付いたからだった。病院が貸してくれるが、持ってこれば着せてくれるとの事だった。
この先、保育器を出ると親が世話をする事が始まり、体調が落ち着けば退院となる。出来れば服を用意し、家で育児する準備を始めた方が良いとの事だった。
二人は三年振りにベビー用品店に来る。あの時買えなかった育児用品を見て歩く。誠一の時は真冬の暖かい男の子の服だったが、今回は薄着の女の子の服だ。初めは戸惑うも、選んでいく。
「……これ可愛い……。」
幸子が選んだのは薄手の長袖のうさぎや猫がプリントされた物だった。やはり可愛い物が好きなようだ。
次にベビーカーやベビーベッドを見て行く。そこで幸子は気になっていた事を聞く。
「……ねえ、お義母さんが誠一に買ってくれたベビーカーやベビーベッドは今どこにあるの?家に無かったよね?」
誠は驚き目を逸らす。
「……あ、ああ。母さんに返したんだ。大きい物は返品を頼んだらしい。購入したばっかの未開封だったし、事情があったからな……。服や哺乳瓶などは知人にあげたと聞いた。だから無駄にはなってない。」
「……そう……。」
幸子は俯く。申し訳ない気持ちになったからだ。
「そんな事より見ておけ。これからの柚の成長次第で合う、合わないは出て来るだろうが参考に見ておくべきだ。」
「……あなた……、うん、そうだね。」
「これからの柚の成長次第」。それは呼吸器が無事に外れて自発呼吸出来るか?鼻注が外れ自力で栄養摂取出来るか?だった。特に人工呼吸器が外れなかった場合、常時持ち歩かないといけなくなる。その時は耐久性があったり吸引機が入るような下に大きなポケットがあるベビーカーを選ばないといけないなどの制約が出てくる。
呼吸器を外す話が出ている一方で、一生呼吸器を使用した生活も覚悟しなければならないと二人は分かっていた。
「ほら、服を買うぞ。」
ベビーカーを見終えた二人はレジに向かう。
一 生後三ヶ月 修正38週 一
一生呼吸器を使う生活になるかもしれない。二人は覚悟していたが、柚はその考えを払拭させた。
この一ヶ月で体重1800gとなり、36週で呼吸器を外せ保育器から卒業したのだ。
そして保育器から出た事により、二人は初めて温かい我が子を抱っこしてその温かさを思い知った。
誠なんて緩んだ頬を隠す事なく、ずっと抱っこしている。
「……あなた、カメラ預かるわね。」
「ああ、柚に当たったら大変だ。可愛いな、柚は……。お母さんに似て良かったな。本当に良かった。よか……。」
パシャ。幸子は写真を撮る。
「何するんだ!」
「たまには良いでしょう?」
「いやいやいや、柚だけでいい!俺はいらん!」
「現像が楽しみね。」
写真は誠が笑っている貴重な写真になった。
そして幸子の母乳を直母で飲めるようになり、幸子は幸せを噛み締めていた。
体質にもよるが、乳児から吸啜されずに二ヶ月半母乳を分泌させ続ける事は難しい事なのだ。体は飲ませる乳児がいないと判断し、母乳分泌を止めてしまうからだ。前回はその体の機能により母乳が止まってくれたのだが、今回は飲む乳児は居る。体は当然そんな事情分かるはずがなく分泌を止めようとするので、搾乳により分泌を促さないといけなかった。
しかしこの搾乳が根気のいる作業なのだ。三時間毎に搾乳しないといけない為、外出の調整や、家事の中断、そして一番辛いのは夜中三時間毎に起きないといけないのだ。それを止めてしまい母乳が止まってしまう事が多いが、幸子は二ヶ月半やり遂げた。
今回の柚の成長から、自発呼吸と自力での栄養摂取が出来る事が分かり、医療ケアは不要と判断された。
……退院までもう少しだ。
一 生後四ヶ月 修正 生後二週間 一
やっと出産予定日を過ぎた。柚は2500gを超し正期産の乳児と同じぐらいに成長した。自力で呼吸をし、母乳を飲み、よく眠るのだ。
自発呼吸が出来る事、吸啜して自分の力で母乳を飲める事から重度の脳性麻痺の可能性も否定された。
こうして柚はこの先の成長を約束された……、訳では当然なかった……。
現在は大きな問題は見つかっていないが、小さく生まれた子供は他にも問題を抱えている可能性がある。その一つが『未熟児網膜症』だ。網膜の形成は妊娠後期であり形成前に生まれる低出生体重児が多く、近視や乱視などの問題を抱える事があるのだ。
だから柚も目に問題がないかを調べないといけない時期にきていた。当然、それだけでなく……。
「……検査ですか?」
誠と幸子は面談室で主治医から話を聞く。
「はい、退院前に一通り調べておいた方が良いです。何か問題がある場合早めに知っておいた方が良いので。」
「はい、お願いします。」
出産予定日が過ぎ、2500gを超えた事から退院の話が出て来た。しかし、柚は5分以上の呼吸停止をしてしまっている。後遺症が出ていてもおかしくない事から脳の検査もする事になった。
脳波測定、未熟児網膜症、心臓や内臓をエコーでの検査など調べてもらう事になる。
二人は不安だった。受け入れる心の準備は出来ていたがいざとなると足がすくむものなのだ。結果が分かるまで幸子は他の事に手がつかず、料理を焦がし、洗濯物を干し忘れ、家の鍵をかけ忘れ、また電車に降りそびれて現在の誠をヒヤヒヤさせ、包丁で指を切った事から過去の誠から料理禁止令が出るぐらい幸子はやらかしていた。
一週間後に面談の予定があり、結果を聞く約束をしていたが幸子があまりにも思い詰めていた為、医師は軽く結果だけ話すと決める。
結果は「異常は見つからない」だった。
幸子は安堵するが喜ばない。まだ喜ぶには早いのだ。
これは低出生体重児だけの話だけではないが、子供はある程度の成長過程を見ないと健常児かどうかは分からないのだ。生まれた時は分からなかったが、体の成長遅れや知的遅れが後に見つかるのはある事なのだ。
今回の検査も「異常なし」と出たが、異常が見つかるのは重度の場合であり、中度や軽度は乳児の段階では分からないのだ。だから今後も継続的に成長を見守らないといけないし、覚悟はしておかないといけないのだ。
一 柚 生後五ヶ月 修正一ヶ月半 一
「お世話になりました。」
「柚ちゃんまたねー!」
小児科の看護師達に見送らる。今日柚は退院となった。51センチ3500g、今日の為に買ったベビードレスをしっかり着られるぐらいに成長していた。
柚は大きく成長し2820gで生まれた兄をいつの間にか追い越していたのだ。
病院を出て空を見る。季節は夏、眩しい太陽に入道雲、蝉の鳴き声が響いている。
「……ここが外の世界よ。外はね、美しい場所や景色があるの。また涼しくなったら見に行こうね。」
日なたを歩く為、ベビーカーの目隠しをかけ日差しが当たらないようにする。歩いていると不審な人物の気配を感じる。
「何やっているの?お父さん?」
やはり誠が居た。
「ついでだ!」
「はいはい。」
三人は駅に向かい歩いて行く。
柚の妊娠が分かった時、幸子は誠一が戻って来てくれたと感じたが、誠一と柚は違う。きっと誠一は自分達をどこからか見守ってくれているのだと感じるようになった。
[妹を守ってあげてね、誠一。]
幸子はそう願う。
……誠一は三人をずっと見守っていた……。骨壷の中から……、24年間ずっと……。
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