明治クエスト1871 ―異邦の絆―

地熱スープ

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横浜港の陰影

港の闇取引

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――同じ夜、場所は横浜港へ。

谷戸の静けさと貧しさから遠く離れ、華やかな開化の灯が霞む第3番埠頭は、湿った潮の香りと沖合を漂うディーゼル油の匂いが混じり合う、冷たい闇に包まれていた。この場所には、谷戸の病と貧困とは異なる、もう一つの「裏の現実」が息づいている。

霧の向こうから、幽霊のように仏船リュシーヌ号の黒い船影がゆっくりと接岸する。その鋼鉄の船体が軋む音が、凍える空気の中で重く響いた。

埠頭には、一際目を引く男が立っていた。大柄な体躯に質の良い濃紺の和服をまとい、肩から覗く逞しい腕には、幾度もの死線を越えてきた者だけが持つ静かな威圧感が漂う。
男の名は――国定龍之助。その顔に刻まれた深い古傷が、埠頭の灯りに鈍く浮かび上がる。鋭い眼光が闇を切り裂き、口元には整えられた口髭が厳しさを添えていた。

周囲の浪人たちは、彼の一挙手一投足に神経を尖らせている。誰もが無言で距離を取り、龍之助の指示を待つ。薩摩弁で短く指令を飛ばす声は、低く抑えられながらも、否応なく人を従わせる確かな威厳を帯びていた。

「リュシーヌ号の積み荷は別扱いだ。油断するな、慎重に運べ。」

彼の指示には、冷徹な計算と、配下への絶対的な信頼が入り混じっている。浪人たちが「医療用」と墨書きされた木箱を次々と担ぎ出し、埠頭の倉庫へと運び込む。表面は清潔だが、ざらついた木の質感は、その中身の危険をひそかに暗示していた。木箱の底には、厳重な封蝋が押されている。

ひとつの箱の蓋が、きしむ音を立てて静かに持ち上げられた――。中から現れたのは、月の光を吸い込んだかのように鈍く黒光りする新品のスペンサー銃。精巧な機構と連発式の特徴が、隙間なく二百挺、箱の中にぎっしりと並んでいる。重厚な金属の匂いが、冷たい海風とともに鼻腔をくすぐった。

(これだけの銃があれば、時代を動かすこともできる……)

龍之助は箱の中身をじっと見つめ、指先で銃身の冷たさを確かめる。その価格は一挺十五両――現代価値でおよそ百五十万円。南北戦争後、アメリカで余剰となったこの連発銃は、日本では限られた藩や部隊しか手にできない希少な武器だった。龍之助は満足げに静かに頷き、海風が銃身の匂いと新たな火種の予感を運んでくるのを感じていた。(この武器が、日本に新たな血を流す火種になる――それも承知の上だ)

「急げ、夜明けまでに積み替えを終わらせろ。」

龍之助の短い号令に、浪人たちは息を呑み、緊張した面持ちで木箱を次々と担ぎ上げる。彼らの額には冷や汗が滲み、誰一人として無駄口を叩かない。この大仕事が、彼らの生き残る唯一の道なのだ。

その時、制服の襟を何度も直しながら、若い税関吏が埠頭の灯りの下に現れた。帳簿を手に、夜気に押されるようなぎこちない足取りで近づいてくる。眉間には緊張の皺が刻まれ、視線は絶えず周囲を泳いでいた。

「この積み荷、検査させてもらうぞ。」

龍之助は一瞬だけ、獲物を見定めるような鋭い視線を向ける。懐から小さな布袋を取り出し、無言で税関吏の手に押しつけた。袋の中身のざらつきと重みに、税関吏の指先がわずかに震える。

「西南の戦費が足りん。お前の郷里も恩に着るぞ。」

龍之助の声は低く、どこか人懐こい響きを帯びていたが、その奥底に冷たい計算が潜んでいることを、税関吏は直感した。

税関吏は一瞬、龍之助の顔と布袋の間を何度も見比べた。喉が鳴り、手のひらにじっとりと汗が滲む。故郷の窮状が脳裏をよぎり、この場での反抗が命取りになることも悟る。やがて、無言で頷き、帳簿に「検査済」と記入して背を向けた。

龍之助は口元をわずかに歪めてほくそ笑み、密輸の現場をじっと見渡す。「これで薩摩も、旧幕臣たちも、もう一度立ち上がれる……」その声は低く、海風にかき消されそうだったが、揺るぎない決意が滲んでいた。

夜明け前の冷たい海風が、龍之助の背中を押すように吹き抜ける。その立ち姿には、己の信じる「義」を静かに背負う覚悟がにじんでいた。

***

埠頭の片隅では、浪人たちが銃を一本ずつ点検していた。木箱には「仏領インドシナ向け」の偽装荷札が次々と貼られていく。その精巧な偽装は、彼らが国際的な裏取引の常習犯であることを物語っていた。

その様子を、倉庫の陰に溶け込むようにして、黒い着物の影――菊乃が、じっと見つめていた。切れ長の瞳が、闇の中できらりと光る。彼女の息は浅く静かで、夜気に溶けていく。(やはり、噂は本当だった……)

菊乃は、わずかに唇を引き結ぶと、懐から取り出した暗号帳に「3/15 仏船入港」と素早く記す。指先は微動だにせず、冷静そのもの。だが、心の奥には、かつて裏社会で培った勘が警鐘を鳴らしていた。(この規模……ただの密輸じゃない。もっと大きなものが動いている)

港の騒がしさに紛れ、菊乃は衣擦れの音ひとつ立てず、まるで黒猫が闇に溶けるように姿を消した。その場に残ったのは、わずかに揺れる夜風と、彼女の残り香だけ。誰も彼女の存在に気づく者はいない。

彼女が得た情報が、この密輸の背後にある巨大な陰謀を暴く、重要な鍵となるだろう。夜の港には、密やかな取引と、日本の未来を揺るがす新たな陰謀の気配が、静かに満ちていた。
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