あの夏の日に ~俺たちの透明な二週間~

加瀬優妃

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25.俺にしか、できないことがある

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「……ここだ」

 行き止まりに辿り着いて、シャロットが上を見上げた。天井の一角が四角く切られている。

「兄ちゃん、そこ、上に押してみて」

 俺は四角い部分に手をかけると少し押してみた。かなりの重さはあったものの、ゴトリと音がして上に動いた。
 さっと光が差す。どうやら、外に出たようだ。

「……まず、僕が出てみるよ」

 自分に隠蔽カバーをかけたユズが言ったので、俺はユズを肩車してやった。
 ……しばらくして、ユズがひょっこり顔を出した。

「大丈夫だ。死角になってる。まず、全員出よう」

 俺はシャロット、シィナ、マリカを順に肩車して……最後にジャンプして自分で上がった。
 辺りを見回す。
 鬱蒼とした木々が周りを囲んでいる。林の中のようだった。
 本当に西の塔側に出たんだろうか……。

「あそこ」

 シャロットが斜め下を指差す。
 見下ろすと、木々の隙間から窓らしきものが見えた。白い壁……。
 どうやらここは少し丘のようになっていて、さっきの映像で見た西の塔の庭よりはかなり高い位置にあるようだ。
 もう少し近づかないと、よくわからないな。
 
 俺たちは顔を見合わせて頷くと、木々を影にして注意しながら、そろそろと丘の斜面を降りて行った。
 ようやく窓から中の様子が見えるところに辿り着く。なるべく太い幹の陰から、こっそり覗いてみた。
 三人の女官が隅で固まっている背中が見えた。
 兵士たちは、こちらには気づいていないようだ。みんな窓を背にし、中央の扉と出入り口の方に注目している。

「……じゃあ、確認するよ?」

 ユズが俺たちの顔を見回した。
 みんなが顔を見合わせて頷いた。

「シィナはトーマ以外にバリアを張る。突入は、トーマ、マリカと僕。シィナとシャロットはしばらく隠れてて」
「どの窓から入ればいいんだ? 窓を割ったときにあの女の人達が怪我しないようにしないと駄目だろ」
「そうだね」
 
 ユズは頷くと、振り返って窓と女官、兵士の様子を確認した。

「中央の窓にしよう。ちょうど女官たちの横に大きな柱があるし距離も離れてるから、破片が飛んでくることはないと思う」
「なるほど」

 俺が頷くと、ユズは俺の方に振り返り、左の方を指差した。
 さっき映像で見た、シィナの母親がいる部屋の扉。三人の兵士が立っているのが見える。

「トーマはあの三人をとにかくぶちのめして、シィナとシャロットが行けるようにすること。その後は、二人を守って」
「わかった」
「マリカはトーマ達の方に兵士が来ないように、とにかく幻惑を壊す。触れれば壊せるんだよね?」
「ええ。程度にもよるけど、怯ませることは十分できると思うわ」
「僕は、兵士が来れないように壁を出現させて守る。幻惑さえ解ければ、闘う意欲はなくなると思うんだ」
「……そうね」
「ただ、あまり時間がかかると僕がもたない可能性もある。なるべく早く、ギャレットを拘束したい。……トーマ、頼むよ」
「……わかった」

 俺はユズに力強く頷いた。
 ユズはちょっと微笑むと「じゃ、行こうか」と言った。



 なるべく音を立てないように坂を下る。王宮の壁にへばりついて、姿を見られないようにした。
 俺は黒い布に包まれたままの剣の柄を握り、おでこに当てた。

 細かいことを考えるのは後回しだ。
 集中しろ――自分の役割を、果たせ。

 シィナは目をつむると……俺以外の人間にバリアを張った。攻撃に備えるためだ。
 俺のこの剣はフェルなんとかを吸収するから、必要ない。
 かえって邪魔になるからな。

「……行くぞ!」

 俺は覚悟を決めると、ダッシュして窓を突き破った。
 隅で固まっていた女官の悲鳴が聞こえ、背を向けていた兵士たちがぎょっとしたような顔でこちらに振り返った。
 俺とマリカはすぐに左右に別れてダッシュした。
 マリカを擦り抜けた兵士が俺の方に走ってこようとした……が、急に壁が出現。「うおっ!?」という、兵士の戸惑ったような声が聞こえた。

「これ……うわっ……?」
「あ……?」
「何だっ……?」

 ドンドンと壁を叩くような音……そして、兵士や神官の戸惑ったような声が聞こえた。
 ユズが作り出した壁はかなり頑丈なようだ。確実に足止めしている。
 そして、マリカが「幻惑壊し」を始めたんだろう。兵士たちの戸惑ったような声と倒れる音が聞こえてくる。

 それらを気配で感じながら、俺は寝室前に並んでいる三人の兵士に向かって突進した。
 剣に巻かれていた黒い布を取り去ると、俺に切りかかろうとした兵士がギョッとしたような顔をした。

「うりゃぁ!」

 先手必勝とばかりに、剣を振り下ろす。兵士の一人が俺の剣を受けたが、「うおっ」と言って弾かれたように遠ざかった。
 扉の前にいたもう一人に向かって、何か叫んでいる。
 やっぱり、この剣の不気味な力を感じたのかもしれない。

「……っ……!」
「くっ……はぁっ!」

 左から切りかかってきたもう一人の兵士の剣先を、刃で受けて薙ぎ払う。
 その勢いのまま身を翻すと、俺は思い切り踏み込んでそいつに胴を食らわせた。兵士は腹を押さえると、呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。

 早く寝室への道を開けないと!

 残り二人の兵士が同時に俺に切りかかってくる。
 俺は咄嗟に一人を剣で払って退かせ、もう一人に蹴りを入れた。
 二人一度になんてやったことないし……ええい、邪魔くさいな!

「どけぇ!」

 よろめいている兵士の肩に思い切り振り下ろし、続けて横に薙ぎ払った。ユズが作った壁に激突する。

「あと一人!」

 蹴られた兵士はすでに起き上がり、俺に向かって剣を振り上げるのが見えた。
 駄目だ、兵士の攻撃の方がわずかに早い。咄嗟に剣で受け止める。
 ギィン……という鈍い音がした。

「ぐぅ……」

 やはり何か違和感を感じるらしく、顔を歪めている。
 俺は兵士の足を蹴飛ばしてよろめかせると、思い切り面を入れた。

「ぐわっ……!」

 兵士の鉄の兜に亀裂が入ったのが見えて、ぎくりとした。
 ……ひょっとして、殺っちまったか?
 兵士は膝をつくと、ガックリ倒れて……そのまま動かなくなった。

 慌てて持っていた剣を見ると……あんなにボロボロだった刃が、少し奇麗になっていた。
 でも、この程度じゃ兜ごと頭を割ることなど、できやしない。あの兵士も気絶しただけだろう。
 ……少し、ほっとした。

 でも、何でこんな風に刃が磨かれてるんだ?
 ひょっとして、兵士の幻惑を吸い込んでいるんだろうか?

「トーマ兄ちゃん、行くよ!」

 それまで隠れていたシャロットとシィナが現れた。
 俺は彼女らの前に立つと、寝室の扉を開けた。

「うわああ!」

 神官の一人が扉のすぐ前に居た。物凄い形相で驚いている。
 俺がすぐさま胴を入れると、何の防御もしていなかったらしく派手に右側の壁にたたきつけられた。そのまま低く呻き……崩れ落ちる。
 ……ぴくりとも動かない。気絶したようだ。

 前を見ると、赤い髪の神官とギャレットが居た。
 しかし、それはちょっと驚くような光景だった。


『離しなさい、ナダル!』
『いいえ、離しません! エレーナ様を傷つけてどうしようというのです!』
『ギャレット様、何とぞ、ご容赦を……!』

 ナイフを振り回して暴れるギャレットを、赤い髪の神官が止めている。
 マリカの母親がベッドで寝ている女性の上に覆いかぶさって、一生懸命に庇っていた。
 ギャレットは、さっき見た映像と同一人物とは思えない形相をしている。
 俺には闇は視えないが……何かに取り憑かれている感じは、十分に伝わって来た。

『ナ、ダ、ル……』

 ギャレットが神官を睨みつけた。
 その瞬間、神官の腕の力が緩む。

『……母さま!』

 俺の横からシャロットが飛び出してきた。

『母さま、もうやめて!』

 ギャレットは神官の手を振り払うと、ゆっくりと俺達の方を振り返った。
 そしてシャロットの姿を見ると……ますます鬼のような形相になった。

『こ……の……』
『私が、母さまを浄化してみせる!』
『駄目、シャロット!』

 シィナの叫び声が後ろから聞こえた。
 何を言っているかはわからなかったが、今のギャレットに近づくのはとても危険だということは分かった。
 俺は咄嗟にシャロットを引き戻そうと駆け寄ったが、間に合わなかった。シャロットがギャレットに抱きつく。
 その背に、ギャレットが何の躊躇いもなくナイフを振り下ろした。


「――うがあっ……!」

 赤い髪の神官がすかさずシャロットの背中を庇っていた。男の背中に深々とナイフが突き刺さっている。
 ギャレットはナイフを押しつけたままブルブル震えていた。シャロットを刺したつもりなのか、はたして現状がちゃんと見えているのかどうかもわからない。

『え……何……』
「シャロット、今はそのまま押さえてろ!」

 何が起こったか分からないシャロットが振り返ろうとするのを、俺は慌てて止めた。
 駆け寄っても、ギャレットの目は虚空を見つめたまま、俺たちに反応しない。
 とにかくギャレットの手からナイフを離そうとしたが……力が思ったより強くて指が離れなかった。

「……ちっ……」

 俺がギャレットを平手打ちすると、ギャレットが一瞬ハッとしたような顔をした。
 すぐさまナイフから手を離させ、シャロットから神官を引き剥がす。
 ナイフを抜くか迷ったが……神官の身体を見て、諦めた。
 ギャレットが差したナイフは左胸まで到達していた。これでは……多分、どうすることもできない。
 女とは思えない力だ。やっぱりギャレットには何かがとり憑いているとしか考えられない。

『何……?』
『シャロット!』

 シィナがシャロットに駆け寄った。そしてシャロットごとギャレットを抱きしめる。
 ギャレットは俺が抱えた血まみれの神官を見て、驚いたように目を見開いた。

『……ナ……ダル……』

 少し闇の力が弱まったのだろうか……今まで何も捉えていなかったギャレットの瞳が、神官を見て明らかに動揺している。

『今よ! シャロット!』
『母さま! 元に戻って!』
『……! ぐ……あ……』

 二人の身体から何かがあふれ出て……ギャレットを包んだのが分かった。
 ギャレットが苦しそうな声を漏らす。
 シャロットとシィナが、力を合わせて浄化しようとしているんだ。

『ぐわ……』

 ギャレットがこの世のものとは思えない形相で暴れていた。胸を押さえる。
 大きく開かれた口から……黒い物が見える。
 あれが、闇の根源か?

「シャロット……シィナ……口から、黒いのが出ようとしてる!」

 何で俺にも視えたのかは分からないが……とにかく、慌てて二人に向かって大声で叫んだ。
 シィナは少し頷くとギュッと固く目を閉じた。
 シャロットも苦しそうにしている。シィナの周りが紫色のオーラに包まれた。

「ああああ……!」

 シャロットが叫んだ瞬間……ギャレットの口から巨大な黒い塊が飛び出してきた。
 闇が、浄化を嫌がって逃げ出したのかもしれない。
 そして……なぜか俺の方に向かってくる。

「トーマ……!」
「うおっ!」

 俺は咄嗟に剣で受け止めた。
 すると……黒い闇の塊が剣にずるずると吸い込まれていく。

“ウオォォ……”

 黒い塊が嫌な悲鳴を上げているように感じた。
 闇は引きずり込まれまいと暴れているが……剣が、ゆっくりと呑み込んでいく。
 そのたびに、軽かった剣がどんどん重量を増していく。
 俺は剣を放り出したくなったが、再び闇が暴れ出すのが怖くて、とにかく両手でしっかりと支えていた。

「う……おも……」
「トーマ! 剣を離して!」
「いや、だって……逃がす訳に……いかねぇだろ……」

 剣は重くなると同時に……何だか勝手に暴れ出しそうな勢いだ。
 俺が手を離してしまったら、どこかに飛んでいくかもしれない。
 もしそうなったら……新しい棲み処を見つけて、またウルスラに闇が訪れるかもしれない。
 ――ここで、俺が食い止めなくては……!

 そう強く思った、その時だった。

 ――ヒコ……イナ……クゴ…………セイバオ、タマワラ……!

 剣が……自ら呪文のようなものを唱えている。
 その瞬間、刀身が激しく光り出した。

「これ……うわっ!」

 剣から光の刃が放たれた。凄まじい勢いでギャレットの身体を突き抜ける。

「ぐおぉぉ……!」

 その瞬間、ギャレットの口からすべての闇が引きずり出された。ギャレットの身体が傾いで……ゆっくりと倒れていくのが見える。
 剣が放った光が黒い塊と周りの闇もすべて攫って行く。
 そして……それらはすべて、剣の中に吸い込まれていった。
 闇を呑み込んだ剣は、持ち上げるのも難しいほど重くなっている。
 剣の刃は不気味なくらい美しく、研ぎ澄まされていた。

「うおぉ……何じゃ、こりゃ……」

 剣が暴れている。押さえるだけでもかなり大変だ。……このままじゃ、ヤベぇ!


『――そこまでじゃ』

 不意に、耳元で老女の声が聞こえた。
 その瞬間、俺の手から剣が離れ、宙に浮いた。突如、球状の白い珠が現れ、中に剣を封じ込める。

『……結界を張った』
「え……?」

 俺は恐る恐る、声のする方を見上げた。
 老女と……傍に、コレットがいる。
 そして扉から、ユズとマリカが入って来た。
 ギャレットが気を失ったことで洗脳が解けたのか……。とにかく、足止めする必要がなくなったんだろう。
 とりあえず、終わった……ということなんだろうか。

 そう思い、俺がちょっと安心して息をついた、そのときだった。

『――すぐに少年二人を拘束せよ』

 白い珠を掲げた老女が誰ともなしに呟いた。
 すると、急に女王の背後から二人の男が現れて……俺は両腕を後ろ手に掴まれた。もう一人はユズを同じように捕まえている。

「何しやがる!」
「トーマ!」
「どうして!」

 俺だけでなく、シィナやシャロットも口々に叫んだ。
 いったい何が起こった。訳が分からない。
 後ろの男に上に向かってグイっと引っ張り上げられた。立て、ということなのだろう。
 俺はゆっくりと立ち上がりながら、せめてもの抵抗に老女を睨みつけようとしたが……ふらりとよろけてしまった。
 大事なところだ。なのに俺はさっきの剣との格闘で疲れたのか、意識が飛びそうになっている。
 今は……気絶してる場合じゃ……ねぇのに……。

『殺しはしない。ミュービュリに関わる人間を最小限におさえるためだ』

 老女の低い声が聞こえた。

『中央の……地下の牢屋に連れて行け』
『ははっ』

 視界の端に、泣きそうになっているシィナの顔が映った。

「……シィナ」

 何か言ってやりたかったが……俺の目の前の光景は真っ暗に塗りつぶされてしまった。
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