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第1幕 収監令嬢は外に出たい(プロローグ)

第3話 マジで独房に入ってる気分なんだけど

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 さて、ボーっとしてても何も始まらない。
 とりあえずこの屋敷のことを知らないと、と部屋の扉を開けると、メイドのヘレンが廊下の端からすっ飛んできた。

「マリアンセイユ様! この部屋から出てはなりません!」
「え、何で?」
「そのうちご説明します!」

 Uターンさせられ、グイグイと背中を押され、部屋に押し戻される。

 ちょっとちょっと、そのうちっていつのことよ?
 今はいいわよ、でもおトイレ行きたくなったらどうすんの?

 ……と、言いたいことはいろいろあったけど、この日は引き下がりました。
 だって、目覚めた初日だったし。
 何しろ三年間もずっと眠ってたんだもの。私の身体を心配してくれているのだろう、と。

 ……だけどね。
 次の日もまたその次の日も、私は部屋から出してもらえなかった。
 渡されたのは、何か刺繍セットみたいなの。布とか糸とか……これで暇を潰せってか? まぁ、チクチクやってたけどさあ。

 ヘレンは毎日部屋を訪れて、服を着せたり髪を梳いて結い上げたりと、いろいろと身の回りの世話をしてくれる。
 そして、アイーダ女史も毎朝定期検診にきて、脈をはかったり下瞼をびろーんとめくったりする。
 今日こそは許可が出るかしら、今日こそは……と思っていたけど、二人とも一向に「OK!」とは言ってくれない。

 食事はヘレンが部屋まで運んでくれるからいいんだけど、トイレはバルコニーに新たに設置された仮設トイレだし。ここは工事現場かっつーのよ。

 お風呂にも浸かれなくて、代わりにと用意されたのは、これもバルコニーに設置されたタライにお湯を張っただけのもの。ここでちまちまと体と頭を洗う羽目になってるし。私はボンビー学生か!
 
 貴族令嬢の何たるかを知らない私でも、さすがに分かる。
 これは絶対に公爵令嬢の生活じゃない気がする! どういうことなのよ!

「もう、やだー! お外に出たいよー!」
「バルコニーは一応お外ですよ、マユ」

 部屋の中央で叫んでいると、いつの間にかセルフィスが部屋の隅に立っていた。
 壁に寄り掛かり、穏やかな笑みを浮かべている。

「ちょっとセルフィス。一向に外に出れないじゃない。どうにかして!」
「わたしに言われても困りますね。わたしが仕えるのはマリアンセイユ様で、マユではありません」
「うぐっ……」

 言葉に詰まった私を見て、セルフィスが「ふふふ」と楽しそうに笑っている。
 『マリアンセイユの執事』ではなく『マユの師匠』のようになってしまった、まぁまぁイケメンの彼が。

 何でこんなことになっているかと言うと。
 初日――つまり、目覚めて初めて会った日ね。

「屋敷を支配されては?」
とかアドバイスしたくせに、
「マリアンセイユ様と別人という事でしたら、わたしの主はいないことになります。ですので、お暇を頂きます」
とか言いやがったのよ。
 直感的に、それはマズい!と思ったワケ。

 だって、私はこの世界のこと何にも知らないんだもの。今のところヘレンとアイーダ女史としか顔を合わせてないけど、ヘレンはメイドということでどこか遠慮がちだし、アイーダ女史は
「マリアンセイユ様には立派な大公子妃になっていただきます」
の一点張りだし。
 何にも知らないところにそんな一方向の情報しか与えられないのは危険だわ。それは洗脳よ。

 その点セルフィスは、この世界のことにも詳しそうだし、あの二人が知らないことも知ってそう。
 初対面のときのやりとりから言っても、あまり遠慮もしなさそうだしね。

 だからお願いしたんです。私を見捨てないでー!……って。
 思えばコレがマズかったわね。完全に主従関係が逆転したわ。

 ちなみに『マユ』と呼んでくれと言ったのは、私。
 マリアンセイユ様の御名ではあなたを呼べません、とか言うから「じゃあマユで」って答えたの。
 確かに、マリアンセイユというのはこの十四年間を生きてきた、淑女マリアンの名前よ。
 セルフィスと気兼ねなくやっていくとしたら、元の名前を呼んでもらう方がしっくり来たんだもん。

「じゃあ、何で部屋から出れないのか教えてよ、せめて」
「それは簡単です」

 セルフィスはニッコリと上品……ではないな、大きな口の端をグイっとあげた、ちょっと皮肉な笑みを浮かべた。

「部屋から出られる条件を満たしていないからです」
「わかっとるわ、そんなこと! その中身を教えろって言ってんのに!」

 私のツッコミに、セルフィスが「ふふふ」と口元を押さえて笑う。
 悪かったわねー、淑女には程遠いって言いたいんでしょ?
 仕方ないじゃない、思ったことがつい口に出ちゃうんだから。
 だけどさ、その返しはないんじゃない? 質問に答えてないじゃないの!

 むむ~と口を歪めて睨みつけると、セルフィスはやれやれというように溜息をついた。

「母ワニから泳ぎを教わらなかった子ワニは、川で溺死します」
「は?」
「そういうことです」
「どういうことだよ!」

 もう、何でそんな勿体ぶった言い方するのかなあ。私あんまりカシコくないし、我慢強くもないんだけど!

 ジーっと恨みを込めて睨み続けたけど、セルフィスはニヤニヤしているだけ。どうやらこれ以上は教えてくれないらしい。

 つまり……何? 私が今この部屋から出ても、何もできずに自滅するってこと?
 そりゃできないよ。何が何だか分かってないんだもん。だからいろいろ調べたかったのに。

「……ん?」

 牢獄と化している部屋を見回し……ふと、柄が統一されたお洒落な白い家具群の一つ、大きな洋服ダンスが目に止まる。

「そうか!」
「おや? 何か気づきましたか?」
「わかった。まずは今いる部屋を調べる! RPGの鉄則だよね!」
「あーるぴーじーとやらは分かりませんが、悪くない答えですね」

 そうだ、そうだよ。自由に動けるようになったからと言って、いきなり外に出ちゃ駄目なんだよね。
 タンスは開ける! 壺は割る! 壁は激突する!
 ここはゲームの世界。これぞ正しい始め方よ!

 何しろ、場合によっては何かのアイテムが見つかったり、壁に見えて隠し通路があることもあるしね。
 今のところ何のスキルもないけど、とにかく手あたり次第調べれば何か見つかるに違いない。


   * * *


「ねぇ、ヘレン。私が着ている服って、オル……母上のものばかりなの?」

 その日の夜。ランプと私の食事を持ってきたヘレンに聞いてみる。
 部屋にはあのチューリップの花束みたいなシャンデリアが付いてるけど、明かりは付けられないらしいのよね。
 だからテーブルに置かれたランプの炎の明かりだけで、私は料理を食べている。真っ暗な部屋の中、このテーブルの周りだけが照らされてる状態だから、本当にほの暗い……。
 何でこんな囚人の食事風景みたいになってるのかも、よくわからないけど。

 まぁ、それはいいとして。
 まずは部屋を調べるぞー、とタンスを開けてみたんだけど、今着ているのと同じようなワンピースしか入っていませんでした。
 どれもこれも落ち着いた色合いのストンとしたシルエット、おまけにスリットが入っている、何だか大人びたデザインのものばかりなのよね。
 どう考えても14歳の娘に着せるような感じじゃないというか……。

 なお、高そうな花瓶はあったけど素焼きの壺はありませんでした。本棚は鍵がかかってたし。ついでに言うと、通り抜けられる壁もナシ。一通りぶつかってみるの、結構痛かった……。
 そんな訳で、調べられたのはタンスだけ。

「はい。ですがマリアンセイユ様がお目覚めになられたことは旦那様にお伝えしましたので、そのうち新しいドレスが届くかと思います」
「私の普段着が無いのって、私がずっと眠ってたから?」
「……はい」

 それでもさあ、どうせ寝てるから寝間着しか要らないでしょ、って冷たくない?
 それに三年間も寝ていた娘が起きたってのに、父親も兄貴も全然顔を出さないしね。お仕事で忙しいのかもしれないけどさあ。
 ……マリアンって、冷たくされてたのかなあ。

「じゃあ、どうして母上の衣装がここにあるの?」
「オルヴィア様は創精そうせい魔法の魔導士でしたので、本邸ではなくこちらで過ごされることが多かった、と伺っております」
「創精魔法?」
「はい。詳しくはアイーダ様に聞いて頂いた方がいいのですが……」

 そうか、アイーダ女史は魔精医師だったっけ。魔精力をもつ人間専門のお医者さん。自身も魔導士、だったっけな?

 そうそう、昨日だっけ。やっと教えてもらったの、『魔精力』について。

 魔精力とは、簡単に言うと、この世界のあらゆる場所に存在する不思議な力。
 大地や水だけではなく花や虫、道端の石ころにすら魔精力が宿っていて、この世界の人々はこの魔精力を道具を使って変換し、日常生活に役立ててるんだって。火を起こして料理したり、光を取り出して明かりをともしたり、水を浄化して飲み水に使ったり。
 うーん、生命エネルギーみたいなものなんだろうけど、現実世界で言うところのガスや石油なんかも含めて魔精力って言ってるのかなあ。

 この魔精力はヒトにも宿っていて、体系化して『魔法』として扱える人のことを『魔導士』といいます。

 それでね、マリアンは生まれつきその身に宿す魔精力が多かったんだけど、魔導士ではなかったの。だから体系化することも外に出すこともできなくて、ついに三年前十一歳のときに暴走。公爵家を含む辺り一帯の魔精環境をグチャグチャにして、倒れちゃったんだって。
 こんな危ないヤツ中央に置いておけるかーってな感じで、リンドブロムの西、フォンティーヌ領の端っこにあるこのお屋敷に運び込まれ、ずっと眠ったままだった、と。
 これが、マリアンセイユが倒れ、本邸から追いやられちゃった真相。

  そして、そんなマリアンセイユを診続けていたのがアイーダ女史だから、確かに魔精力についてはアイーダ女史に聞いた方がよさそうだね。
 じゃあ、ヘレンが好きそうな話題は、と。

「花の刺繍ね。見様見真似でやってみたけど、難しいね」
「そうですか……」
「このお手本の花は、ヘレンがしたの?」
「はい。マリアンセイユ様に初めてお教えした図案でございます」
「そうなんだ。覚えてなくて、ごめんね」

 セルフィスじゃないけど、ヘレンだって仕えていたのは……仕えたかったのは、昔のマリアンに違いない。
 申し訳なくなってそう言うと、ヘレンはぶんぶんと大きく手を振った。

「とんでもない。成長したマリアンセイユ様が立って動いて笑っているお姿を見られるようになるとは、本当に思ってはおりませんでした。ですから、わたくしは……」

 話している間にヘレンの瞳がウルル~と潤んでくる。

「毎日お世話をさせて頂いて、まことに嬉しく思っております。本当にお美しくおなりになって……」
「ありがとう。でも、上辺だけじゃ駄目だもんね」

 ソファに置いてある、やりかけの刺繍に目をやる。

「刺繍は淑女の嗜みなんでしょ?」
「ええ。ですが、マリアンセイユ様も苦手でいらっしゃいました」

 目尻をそっと拭い、ヘレンが少しだけ微笑む。

 やっぱり、過去形で喋ってる。ヘレンが言う『マリアンセイユ様』は、眠りにつく前のマリアンだ。私じゃない。
 それは何だか、淋しい。

「あのね、ヘレンにお願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「今の私のことは、マユと呼んでもらえるかな?」
「マユ……様、ですか?」
「うん」

 じっと視線を合わせ、力強く頷く。ヘレンは予想もしないことを言われたようで、細い目が大きく見開いている。
 だけど、涙は引っ込んだようだ。

「私は『マリアンセイユ』なら知っていたはず、身につけていたはずのことは何一つ覚えていない。別人みたいなものなの」
「……」
「だから、まだ大公世子の婚約者、『マリアンセイユ』は名乗れないなって。だから……」
「でも、それは……」

 そんな呼び方をしていいのだろうか、と考えたのか、オドオドとヘレンの目があちらこちらへと泳ぐ。
 そうよね、メイドが主を愛称で呼ぶというのも気が引けるよね。

「二人きりのときだけでいいから。お願い!」

 ヘレンの左手を両手で取り、ぎゅっと握る。
 精一杯思いを込めて見つめると、ヘレンはしばし考えたあと、ゆっくりと頷いた。

「――わかりました」
「本当に!?」
「ええ。……でも、マユ様」

 早速私の希望を叶えてくれたヘレンが、かすかに微笑む。

「マリアンセイユ様は内気な方で、自分からわたくしの手を握ったり、こんな風に気さくに話しかけたりされることはありませんでした」
「え……」
「ですから……」

 私の両手の上から、ヘレンが右手を乗せる。
 その手はとても暖かく、気持ちがいい。

「淑女ではない今のマユ様も、わたくしはお慕いしておりますよ」
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