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おまけ・後日談
聖女の魔獣訪問2・ブレフェデラ(前編)
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風の王獣・ブレフェデラ。
本編未登場、エピソードに絡むこともなく、間話で軽く紹介されたのみ。
それはこういう魔獣だったから……というお話。d( ̄▽ ̄*)
――――――――――――――――――――――――――――――――
『聖女の匣迷宮』第1層。褐色ガチムチマッチョのカバロンが広大な湖のそばにある草むらの一角を指差し、コクコクと頷く。
(いま、そこにいるのね)
“……”
小声で問いかける私に、再びコクコク。
それに応えるように頷くと、一度目を閉じ、死神メイスを水平に構えた。
今日は汚れてもいいように、農作業用のヨレヨレシャツとモンペのようなだぶだぶズボンを履いている。
これで8回目の挑戦。もう絶対に失敗しないわ。さんざん逃げられて泥だらけだし、体力も精神力も削られてる。
時間もないし、いい加減捕まえなきゃ。
ぐうう、と精神を集中し、意識を自分の体の中に沈みこませる。
……よし、だいぶん練れてきた。今よ!
私がカッと目を見開くと、カバロンがドン、と足を踏み鳴らした。
ガサガサガサッと草が揺れ、細長い顔をした細長い生き物がうねりながら目の前に現れる。
「“凍てつけ!”」
水魔法と風魔法の合わせ技、氷魔法の呪文を唱えると、体長5mほどの美しい紫色の蛇がカチーンと凍り付いた。
上半身は先が曲がった杖のよう、下半身はとぐろを巻いたそのままの形でピクリとも動かなくなる。
「やったわ! 早く、壺を!」
遠巻きに様子を窺っていた二人のハッチーがワタワタと高さ1mぐらいの茶色い素焼きの壺を持ってきた。入口は直径20cmほどだけど、胴体部分が真ん丸の形。
仮死状態で氷の棒のようになった蛇の上半身を掴むと、逆さにして頭から壺の中に突っ込んだ。あとは徐々に解凍しつつ、蛇が完全に覚醒する前に胴体を壺の中にねじこむ。
“……!”
私が蛇を入れ終えたのを待って、カバロンがムン!とコルク栓で蓋をしてくれた。
ドン、バン、という暴れるような音が聞こえてくるが、蓋を押し上げることは無理なようだ。
これでもう出てこれないわね。完全に生きたまま閉じ込めたわ。
「や……やったー!」
“……!”
“……!”
カバロンやハッチー達とハイタッチをし、捕獲成功を喜び合う。喋れないけど、良かったね、頑張ったね、みたいな思念は伝わってくる。
「ありがとう、ハッチー、カバロン。仕事中なのに、手伝ってもらってごめんね?」
“……、……”
プルプルプル、とカバロン&ツインハッチーが首を横に振る。
今掴まえたのは、アメトリアンパイソンという名前の美しい紫色の蛇。実はサーペンダーの元になった種だそうで、魔物ではなく地上の蛇。
だけどこの古の蛇は、現在ではすでに絶滅してしまっている。この『聖女の匣迷宮』は千年近く前の当時のまま保管されていたため、生き残っていたのだ。
つまり全世界において、アメトリアンパイソンが生息しているのはこの『聖女の匣迷宮』だけ。とても貴重なんだけど、まだ五十匹ぐらいはいるし、その中にオスとメスの番もいるから大丈夫、ということで一匹だけお裾分けしてもらったの。
「マユ? 呼ばれたので来ましたけど……」
「あ、セルフィス!」
黒いマントを靡かせ、何事かとでも言いたげな顔でやってきたセルフィスにブンブンと大きく手を振る。
カバロンとハッチー達はサッと距離を取り、草むらの上で跪いた。
セルフィスは細かい草に塗れた私達を見ると、次にその傍に置いてある大きな壺に視線を落とし、ますます怪訝な顔をしている。
「フェデン――風のブレフェデラのところへ行くのではなかったんですか?」
「そうよ。だからこれ、手土産!」
「はぁ?」
風の王獣、ブレフェデラ。碧色の美しい羽根をもつ大鷲。
今回のお宅訪問は、こちらでございます。
何しろ、フィッサマイヤ様のところには魔王城を飛び出した勢いで手ぶらで行っちゃったからなあ。
やはり王獣のお宅にお伺いする以上、何か必要じゃないかと反省したのよ。
「鷲の魔物は蛇が大好物だから、ブレフェデラ様も気に入るかと思って」
「まぁ、間違ってはいませんが。しかしマイヤが特殊なだけで、フェデンは丘の一本樹の上でじっとしているだけです。もてなしてはくれないと思いますよ?」
「いいのよ、何か会話のとっかかりになるかもしれないし」
コミュニケーションが取りづらい魔獣なら、なおさら話のネタは必要よね。
「それに、なぜマユが自ら捕獲しているんですか? そんな恰好までして。言ってくれれば手伝ったのですが」
セルフィスがなぜか不満気だ。何でだろう。
草むらの蛇を捕まえるために多忙の魔王を呼ぶって、何か変じゃない?
それに……。
「駄目よ。魔王の魔精力に触れたら味が変わっちゃうかもしれないじゃない。当時のまま、というところがポイントなのよ」
「気にし過ぎかと思いますが。では、カバロアントやソールワスプに任せればよかったのでは? 他の蛇やネズミなら、普段から自由に食しているのですから」
「カバロンの握力だと握りつぶしちゃうの。それにハッチー達は毒を使って即死させちゃうから、生け捕りにできないじゃない」
「……はぁ」
「でね、セルフィスには、この壺に保護魔法をかけてほしいの。この状態を維持したいから」
やっぱり、生きたまま産地直送というのがいいと思うのよ。鷲は普通そのまま丸呑みするはずだしね。どういう食べ方が好みかは個体差によるじゃない。
我ながらなかなかいいアイディアだと思ったのだけど、セルフィスはピンとこないらしい。
壺に手を翳し、魔法をかけながら
「そこまでする必要があるんですかね……」
としきりに首を捻っていた。
* * *
リンドブロム大公国の遥か東にある、ブレフェデラの丘。
青々とした丈の短い草がびっしりと生えた小山の頂上。根元から四方八方に思うまま枝を広げた、雄大な佇まいの巨木がある。
その一番てっぺんに、風の王獣ブレフェデラはいた。太陽が一番早く昇るこの場所から、世界をじっと見渡していると言われているブレフェデラ。
ムーンが近づいてきているのは分かっているはずだけど、微動だにしない。セルフィスが言っていた通りね。
近くで見てみると、ブレフェデラは本当に大きかった。佇んでいる様子だと身長は3mほど。確か翼を広げると、横に10mぐらいになるんだったかしら。
左右の翼は白から薄緑、そして深い碧色のグラデーションになっている。先に行くほど、濃く鮮やかだ。頭部のてっぺんは黒い鶏冠のようなものがあり、顔や首は白。赤い瞳に黄色の鋭い嘴。尾羽が黒く長く、ストンと真下に落ちている。
“聖女を連れてきた。近づいても良いか”
ムーンの問いかけにも殆ど反応はなかったけれど、一呼吸おいてから伝わってきた思念は“是”。良い、許可する、ということのようだ。
ムーンが頷いたのでムーンの右手に移り、ブレフェデラの顔の近くに寄せてもらう。ブレフェデラは木の枝に掴まっているから、さすがに傍に降りるのは足場が悪くて危ない。それに大きすぎて顔も見えないしね。
「初めまして、ブレフェデラ様。わたくしはマリアンセイユ・フォンティーヌと申します。リンドブロム大公国の大公子ディオンの正妃でございます。こたび、魔王との約定により人間の名代として魔界に参りました」
ムーンの右手の上で跪き、口上を述べてゆっくりと頭を下げる。
魔獣訪問の制服となった『聖なる者の装い』。ベールが風で舞い、後ろに引っ張られそうになるけれど、ここは鍛えた『公爵令嬢スキル』を発動してしっかりと姿勢を保つ。
少し待ってみたけれど、特に何の反応もない。……ということは、気分を害してもいないということだ。
顔を上げ、ムーンが左手に持っている壺を指し示す。
「現在は、聖女シュルヴィアフェスがかつて暮らしていた領域に住まわせてもらっています。そこにアメトリアンパイソンという、紫色の大層美しい蛇がいまして。聞くところによれば、すでに地上では絶滅した種とのこと」
“……”
少し反応したので、ムーンに頼んで私の目の前に置いてもらう。
「カバロアントが大層美味だと教えてくれました。こたびご挨拶の印としてお持ちしたのですが、ブレフェデラ様は、蛇は食べますか?」
“是”
今度は返事が早い。やはり好物だったらしい。
生きたまま閉じ込めてあります、と言うと、やや興奮したように首を上下に動かした。そのまま白い頭を大きく振り上げ、ドゴッと嘴でコルク栓を突き破った。そのまま顔を壺の中に突っ込む。
「ひゃあっ!」
ブワッと風が辺りに巻き起こり、ムーンの手の平から転げ落ちそうになる。ムーンが気を利かせてひょいと服を摘まんでくれたから助かったけど。
わ、ワイルドぉ……。うわあ、うどんを啜るみたいに引っ張り出したわ。
ブレフェデラは嘴で蛇を咥え壺から引っ張り出すと、ハグハグズルズルとすさまじい勢いで食べ始めた。
ひぃ、スプラッタ……。だけどどうやら喜んでくれてるみたいだし、ここでドン引きするわけにはいかないわね。
「やはり生きたままが正解でしたのね。頑張って捕まえた甲斐がありますわ」
“……?”
「そうです、わたくしが自分で捕まえましたの。カバロアントやソールワスプに手伝ってもらって……」
食いついてくれたことはわかったので、今日の『アメトリアンパイソン捕獲大作戦』の内容を説明する。そしてカバロン達やハッチー達のこと、『聖女の匣迷宮』での暮らしのことなど。
それ以降は相槌すら打つことは無かったけれど、一応耳に入れてくれていることは分かった。
まずは、私のことを知ってもらわないとね。
かつての聖女は、女神に直接任命された正真正銘、本物の『聖女』。
だけど私は『聖女の素質』があるだけの、ただの人間。人間側が『聖女候補』だと言い、魔王セルフィスがこれを認めただけ。
少なくとも四大王獣が正式に認めてくれなければ、『聖女』として振舞うことはできないんだから。
いろいろな話をしているうちに、ブレフェデラも蛇を食べ終わった。満足そうに「プフ」と小さな吐息のようなものが漏れている。
何となく打ち解けてきたような気がしたので、
「ブレフェデラ様は、ここで数々の“音”を聞いていると伺っています」
と切り出してみた。
ブレフェデラの丘のてっぺんにある巨大な一本樹。日がなそこに佇む風の王獣ブレフェデラは、世界すべてを見渡すと言われているが、実際には殆ど景色などは見えていないらしい。
これは私も、セルフィスが教えてくれるまで知らなかったのだけど。
風の王獣ブレフェデラは、風に乗って届く世界中の地上の音を聞いている。
……というより、ただ聞き流している。膨大過ぎて、全部を受け止められはしないから。
魔王に命じられれば聞かせたりすることもあるみたいだけど。
「わたくしが魔界に来てから、一か月余り。リンドブロムの音色はいかがなものでしょう?」
“……”
「耳障りな調べを奏でていないかと、少々気になっております」
“……礼”
「え?」
どういう意味か聞く前に、ふわわわわ、と西からの風が私を取り巻く。
すると、聞き覚えのある青年の声が耳に飛び込んできた。
本編未登場、エピソードに絡むこともなく、間話で軽く紹介されたのみ。
それはこういう魔獣だったから……というお話。d( ̄▽ ̄*)
――――――――――――――――――――――――――――――――
『聖女の匣迷宮』第1層。褐色ガチムチマッチョのカバロンが広大な湖のそばにある草むらの一角を指差し、コクコクと頷く。
(いま、そこにいるのね)
“……”
小声で問いかける私に、再びコクコク。
それに応えるように頷くと、一度目を閉じ、死神メイスを水平に構えた。
今日は汚れてもいいように、農作業用のヨレヨレシャツとモンペのようなだぶだぶズボンを履いている。
これで8回目の挑戦。もう絶対に失敗しないわ。さんざん逃げられて泥だらけだし、体力も精神力も削られてる。
時間もないし、いい加減捕まえなきゃ。
ぐうう、と精神を集中し、意識を自分の体の中に沈みこませる。
……よし、だいぶん練れてきた。今よ!
私がカッと目を見開くと、カバロンがドン、と足を踏み鳴らした。
ガサガサガサッと草が揺れ、細長い顔をした細長い生き物がうねりながら目の前に現れる。
「“凍てつけ!”」
水魔法と風魔法の合わせ技、氷魔法の呪文を唱えると、体長5mほどの美しい紫色の蛇がカチーンと凍り付いた。
上半身は先が曲がった杖のよう、下半身はとぐろを巻いたそのままの形でピクリとも動かなくなる。
「やったわ! 早く、壺を!」
遠巻きに様子を窺っていた二人のハッチーがワタワタと高さ1mぐらいの茶色い素焼きの壺を持ってきた。入口は直径20cmほどだけど、胴体部分が真ん丸の形。
仮死状態で氷の棒のようになった蛇の上半身を掴むと、逆さにして頭から壺の中に突っ込んだ。あとは徐々に解凍しつつ、蛇が完全に覚醒する前に胴体を壺の中にねじこむ。
“……!”
私が蛇を入れ終えたのを待って、カバロンがムン!とコルク栓で蓋をしてくれた。
ドン、バン、という暴れるような音が聞こえてくるが、蓋を押し上げることは無理なようだ。
これでもう出てこれないわね。完全に生きたまま閉じ込めたわ。
「や……やったー!」
“……!”
“……!”
カバロンやハッチー達とハイタッチをし、捕獲成功を喜び合う。喋れないけど、良かったね、頑張ったね、みたいな思念は伝わってくる。
「ありがとう、ハッチー、カバロン。仕事中なのに、手伝ってもらってごめんね?」
“……、……”
プルプルプル、とカバロン&ツインハッチーが首を横に振る。
今掴まえたのは、アメトリアンパイソンという名前の美しい紫色の蛇。実はサーペンダーの元になった種だそうで、魔物ではなく地上の蛇。
だけどこの古の蛇は、現在ではすでに絶滅してしまっている。この『聖女の匣迷宮』は千年近く前の当時のまま保管されていたため、生き残っていたのだ。
つまり全世界において、アメトリアンパイソンが生息しているのはこの『聖女の匣迷宮』だけ。とても貴重なんだけど、まだ五十匹ぐらいはいるし、その中にオスとメスの番もいるから大丈夫、ということで一匹だけお裾分けしてもらったの。
「マユ? 呼ばれたので来ましたけど……」
「あ、セルフィス!」
黒いマントを靡かせ、何事かとでも言いたげな顔でやってきたセルフィスにブンブンと大きく手を振る。
カバロンとハッチー達はサッと距離を取り、草むらの上で跪いた。
セルフィスは細かい草に塗れた私達を見ると、次にその傍に置いてある大きな壺に視線を落とし、ますます怪訝な顔をしている。
「フェデン――風のブレフェデラのところへ行くのではなかったんですか?」
「そうよ。だからこれ、手土産!」
「はぁ?」
風の王獣、ブレフェデラ。碧色の美しい羽根をもつ大鷲。
今回のお宅訪問は、こちらでございます。
何しろ、フィッサマイヤ様のところには魔王城を飛び出した勢いで手ぶらで行っちゃったからなあ。
やはり王獣のお宅にお伺いする以上、何か必要じゃないかと反省したのよ。
「鷲の魔物は蛇が大好物だから、ブレフェデラ様も気に入るかと思って」
「まぁ、間違ってはいませんが。しかしマイヤが特殊なだけで、フェデンは丘の一本樹の上でじっとしているだけです。もてなしてはくれないと思いますよ?」
「いいのよ、何か会話のとっかかりになるかもしれないし」
コミュニケーションが取りづらい魔獣なら、なおさら話のネタは必要よね。
「それに、なぜマユが自ら捕獲しているんですか? そんな恰好までして。言ってくれれば手伝ったのですが」
セルフィスがなぜか不満気だ。何でだろう。
草むらの蛇を捕まえるために多忙の魔王を呼ぶって、何か変じゃない?
それに……。
「駄目よ。魔王の魔精力に触れたら味が変わっちゃうかもしれないじゃない。当時のまま、というところがポイントなのよ」
「気にし過ぎかと思いますが。では、カバロアントやソールワスプに任せればよかったのでは? 他の蛇やネズミなら、普段から自由に食しているのですから」
「カバロンの握力だと握りつぶしちゃうの。それにハッチー達は毒を使って即死させちゃうから、生け捕りにできないじゃない」
「……はぁ」
「でね、セルフィスには、この壺に保護魔法をかけてほしいの。この状態を維持したいから」
やっぱり、生きたまま産地直送というのがいいと思うのよ。鷲は普通そのまま丸呑みするはずだしね。どういう食べ方が好みかは個体差によるじゃない。
我ながらなかなかいいアイディアだと思ったのだけど、セルフィスはピンとこないらしい。
壺に手を翳し、魔法をかけながら
「そこまでする必要があるんですかね……」
としきりに首を捻っていた。
* * *
リンドブロム大公国の遥か東にある、ブレフェデラの丘。
青々とした丈の短い草がびっしりと生えた小山の頂上。根元から四方八方に思うまま枝を広げた、雄大な佇まいの巨木がある。
その一番てっぺんに、風の王獣ブレフェデラはいた。太陽が一番早く昇るこの場所から、世界をじっと見渡していると言われているブレフェデラ。
ムーンが近づいてきているのは分かっているはずだけど、微動だにしない。セルフィスが言っていた通りね。
近くで見てみると、ブレフェデラは本当に大きかった。佇んでいる様子だと身長は3mほど。確か翼を広げると、横に10mぐらいになるんだったかしら。
左右の翼は白から薄緑、そして深い碧色のグラデーションになっている。先に行くほど、濃く鮮やかだ。頭部のてっぺんは黒い鶏冠のようなものがあり、顔や首は白。赤い瞳に黄色の鋭い嘴。尾羽が黒く長く、ストンと真下に落ちている。
“聖女を連れてきた。近づいても良いか”
ムーンの問いかけにも殆ど反応はなかったけれど、一呼吸おいてから伝わってきた思念は“是”。良い、許可する、ということのようだ。
ムーンが頷いたのでムーンの右手に移り、ブレフェデラの顔の近くに寄せてもらう。ブレフェデラは木の枝に掴まっているから、さすがに傍に降りるのは足場が悪くて危ない。それに大きすぎて顔も見えないしね。
「初めまして、ブレフェデラ様。わたくしはマリアンセイユ・フォンティーヌと申します。リンドブロム大公国の大公子ディオンの正妃でございます。こたび、魔王との約定により人間の名代として魔界に参りました」
ムーンの右手の上で跪き、口上を述べてゆっくりと頭を下げる。
魔獣訪問の制服となった『聖なる者の装い』。ベールが風で舞い、後ろに引っ張られそうになるけれど、ここは鍛えた『公爵令嬢スキル』を発動してしっかりと姿勢を保つ。
少し待ってみたけれど、特に何の反応もない。……ということは、気分を害してもいないということだ。
顔を上げ、ムーンが左手に持っている壺を指し示す。
「現在は、聖女シュルヴィアフェスがかつて暮らしていた領域に住まわせてもらっています。そこにアメトリアンパイソンという、紫色の大層美しい蛇がいまして。聞くところによれば、すでに地上では絶滅した種とのこと」
“……”
少し反応したので、ムーンに頼んで私の目の前に置いてもらう。
「カバロアントが大層美味だと教えてくれました。こたびご挨拶の印としてお持ちしたのですが、ブレフェデラ様は、蛇は食べますか?」
“是”
今度は返事が早い。やはり好物だったらしい。
生きたまま閉じ込めてあります、と言うと、やや興奮したように首を上下に動かした。そのまま白い頭を大きく振り上げ、ドゴッと嘴でコルク栓を突き破った。そのまま顔を壺の中に突っ込む。
「ひゃあっ!」
ブワッと風が辺りに巻き起こり、ムーンの手の平から転げ落ちそうになる。ムーンが気を利かせてひょいと服を摘まんでくれたから助かったけど。
わ、ワイルドぉ……。うわあ、うどんを啜るみたいに引っ張り出したわ。
ブレフェデラは嘴で蛇を咥え壺から引っ張り出すと、ハグハグズルズルとすさまじい勢いで食べ始めた。
ひぃ、スプラッタ……。だけどどうやら喜んでくれてるみたいだし、ここでドン引きするわけにはいかないわね。
「やはり生きたままが正解でしたのね。頑張って捕まえた甲斐がありますわ」
“……?”
「そうです、わたくしが自分で捕まえましたの。カバロアントやソールワスプに手伝ってもらって……」
食いついてくれたことはわかったので、今日の『アメトリアンパイソン捕獲大作戦』の内容を説明する。そしてカバロン達やハッチー達のこと、『聖女の匣迷宮』での暮らしのことなど。
それ以降は相槌すら打つことは無かったけれど、一応耳に入れてくれていることは分かった。
まずは、私のことを知ってもらわないとね。
かつての聖女は、女神に直接任命された正真正銘、本物の『聖女』。
だけど私は『聖女の素質』があるだけの、ただの人間。人間側が『聖女候補』だと言い、魔王セルフィスがこれを認めただけ。
少なくとも四大王獣が正式に認めてくれなければ、『聖女』として振舞うことはできないんだから。
いろいろな話をしているうちに、ブレフェデラも蛇を食べ終わった。満足そうに「プフ」と小さな吐息のようなものが漏れている。
何となく打ち解けてきたような気がしたので、
「ブレフェデラ様は、ここで数々の“音”を聞いていると伺っています」
と切り出してみた。
ブレフェデラの丘のてっぺんにある巨大な一本樹。日がなそこに佇む風の王獣ブレフェデラは、世界すべてを見渡すと言われているが、実際には殆ど景色などは見えていないらしい。
これは私も、セルフィスが教えてくれるまで知らなかったのだけど。
風の王獣ブレフェデラは、風に乗って届く世界中の地上の音を聞いている。
……というより、ただ聞き流している。膨大過ぎて、全部を受け止められはしないから。
魔王に命じられれば聞かせたりすることもあるみたいだけど。
「わたくしが魔界に来てから、一か月余り。リンドブロムの音色はいかがなものでしょう?」
“……”
「耳障りな調べを奏でていないかと、少々気になっております」
“……礼”
「え?」
どういう意味か聞く前に、ふわわわわ、と西からの風が私を取り巻く。
すると、聞き覚えのある青年の声が耳に飛び込んできた。
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