トイレのミネルヴァは何も知らない・おまけ

加瀬優妃

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恵の困惑

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 莉子の親友、恵。
 彼女は地元の大学の看護科に進学しました。同じ大学の医学科には、新川透の弟の健彦もいます。
 ……というところのお話。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 4月下旬にもなると、だいぶん大学生活にも慣れてきた。
 制服が無くなって、最初は毎日着ていく服を考えるのが少し面倒だったけど、何となくサイクルができたような。メイクは莉子大先生が春休みのうちに丁寧に教えてくれたのでお手の物。

 私は茶色い備え付けの講義机が扇のように広がる大講義室にいた。
 『医療心理学概論』という医学科の講義。看護学科も選択科目として受講できるということで取ってみたんだけど、同じようなことを考えたのか、私以外にも十人ぐらい看護学科生がいる。

 教養期間は必修の講義だけ取っていても必要単位には足りない。選択科目で単位を稼がなければならないので、専門がまだあまり入らない最初のうちに多めに授業を取っておいた方がいい、と新川センセーが莉子経由で教えてくれたのだ。
 専門が入ってくると一つ一つが重くなるので、時間的体力的に余裕がなくなるのだという。

 そう言えば、新川センセーはもうセンセーじゃないんだよね。これからどう呼べばいいんだろう。
 莉子は相変わらず「新川センセーが~」とか言ってるけど。あの子も、いつになったらもう少し恋人らしい雰囲気を醸し出すようになるのかな。

「それでは、本日はここまで」

 髪をきっちり横分けにして眼鏡をかけた、いかにも大学の先生らしい先生はボソボソと喋ると、手早く自分のテキストを片付けて足早に講義室を出て行った。
 その途端、あちこちから吐息のようなものが漏れ、講義室内が挨拶や話し声で急に活気づく。

 そのとき、私と同じ看護学科の女子グループがわらわらとある一角に向かっていくのが見えた。
 タケちゃん……とと、新川健彦センパイを含む三人組の男子のところだ。

「新川先輩、こんなところで会えるなんて!」
「誰?」
「もう、先輩が生徒会長のとき週一で顔を合わせてたじゃないですか。クラス役員だった、安藤はるひです」
「……」

 こんなところも何も、医学科の学生必修の講義なんだから居るでしょ、そりゃ。
 なるほどなぁ、タケちゃん目当てかぁ……と妙に納得して一人頷く。
 そう言えば莉子が、予備校でも厄介な女子に絡まれてた、と言ってたっけね。まぁカッコいいし、その割にスレてない感じで「押せばどうにかなりそう」と思わせるようなところがあるよね、タケちゃんは。だから絡まれやすいのかも。

 机の上の荷物をテキパキと片付け、ベージュのショルダーバッグにしまう。スマホを取り出しメッセージアプリをチェックすると、コバからの着信があった。
『ゴールデンウィークの予定はどうなってる?』
というメッセージと共に、ウサギがキャピキャピとハートマークを飛ばしているスタンプがある。

 ……というより、私は実家なんだからそっちが東京から帰って来るかどうかじゃないんだろうか。
 あ、そっか、あの子の両親は離婚したんだっけ。どっちの親ともあまり上手くいってないようなことを言ってたから、帰ってくる気はないのかもしれない。

『横浜の莉子のところに5月1日・2日に行く』
『私のところにも来てよ!』
『いいけど、莉子が根本さんに会わせたいとか言ってたしよくわからない』
『四人で会う? それでもいいよ!』
『待って、莉子にも聞いてみる』
『夜8時以降なら家にいるから電話して!』
『了解』

 タタタタ、とスマホの画面をタップしながら歩いていると、
「先輩、今から遊びに行きましょうよ!」
という、女の子の声が聞こえてきた。
 ふと顔を上げて声がした方を見ると、さっきの看護科の女子3人組と、タケちゃんたち医学科の男子3人組のかたまりだ。話がかなり弾んでいるらしい。
 ……タケちゃん以外は、だけど。

「あ、いいな。ほら、ちょうど3対3だし」
「だよね!」
「新川、どうする?」
「いや、俺はそういうのは……」

 一瞬だけ、タケちゃんと目が合う。かなりの困り顔だ。
 どうやら女子3人と男子2人は乗り気のようだが、肝心のタケちゃんは行きたくないらしい。
 そういう合コン的なの、好きじゃなさそうだもんねぇ、センパイ。

 軽く目で会釈して通り過ぎる。
 どうしたものかとちょっと考えたあと、アドレスを開いた。画面をタップし、講義室を出ながらスマホを耳にあてる。

 視界の端で、センパイがスマホを取り出し「ちょっとごめん」というようなことを言いながらグループから離れるのが見えた。

“……もしもし?”
「こんにちは。センパイ、ひょっとして困ってるかと思って」
“まぁ……”

 莉子とタケちゃんと三人で新川センセーに個別補習をしてもらっていた頃、念のためにと交わしておいたタケちゃんのアドレス。
 まさか使うことになるとはねぇ。

 そのまま早足でスタスタと歩き、なるべく講義室から離れる。電話をかけたのが私だとあのグループにバレるのは少々めんどくさい。

「用事ができたフリすればいいんじゃない? この電話で適当に喋ってれば、それっぽく見えるでしょ」
“あ、そうか”
「それじゃ」
“ありがとう、助かった”

 助かったって言っちゃったら駄目なんじゃない?
 上手くやんなさいよ、と思わずため息をつきながら電話を切り、バッグにスマホをしまった。

 本当に、タケちゃんって変にまっすぐというか裏工作ができない感じよね。自己評価もやたら低いし。
 あの新川センセーの弟とは、到底思えないなあ……。


   * * *


“恵ちゃん。莉子の写真、どうもありがとう”

 新川センセーからそんな電話がかかってきたのは、5月7日の夜のこと。
 ゴールデンウィーク、莉子と新川センセーはかなり大掛かりな喧嘩をした。
 まぁ私から見るとどっちも悪いんだけど、美沙緒ちゃんの旅館でコソコソと様子を窺っている新川センセーを発見したときは、密かに莉子に同情したわ。

 多分、新川センセーとしては、莉子に嫌われたくないからあまりうるさいことも言いたくないのよ。大人の余裕を見せたい、というのもあるのかな。
 だけど莉子って頑固だから自分から折れることは絶対に無いし、ましてや相手の意思に寄り添うということも全くしないからね。結局、新川センセーの方が必死になって掴まえに行くしかないんだと思う。
 それでも、山梨県まで尾行するのはいかがなものだろう? しかも大層なコネまで使って。

 さて、そんな二人は一応和解はしたようで、莉子に
「あ、着物の写真なんだけど、新川センセーにも送っておいてくれる?」
と頼まれたのよね。
 今日の昼間にメールでデータを送っておいたから、そのお礼の電話がかかってきたのだ。

「いえ。莉子がピンで映ってるの以外も送りましたけど、要らなかったですか?」
“いや、小林や美沙緒ちゃんといるときはどういう顔をしているのかも知っておきたかったし、助かるよ”
「……」

 うーん、それはどういう意味だろう。確かにこれは重症だなあ。
 実は動画もあるんだけど莉子は『写真』としか言ってなかったし、送るのはやめたのよね。正解だったかもしれない。

「あのー、新川センセー。ほどほどにしてくれないと、私もフォローしきれないんですけど」
“そんなこと言わないでよ。恵ちゃんだけが頼りなんだから”
「ええー?」
“恵ちゃんは莉子を悪いようにはしないだろ、絶対”
「それは、まぁ。私は莉子の親友ですし」
“でも、ちゃんと俺のことも拾ってくれるでしょ。本当に助かってるんだ”

 私はあんたたちバカップルの世話係じゃないんだけどなぁ!
 若干イラッとして、思わず手に持っていたスマホの画面を睨みつける。睨みつけたところで、新川センセーに念が届く訳でもないんだけど。

“ねぇ、恵ちゃん。新川家に嫁に来ない?”
「はぁっ!?」

 この人急に、何を言い出したの? 嫁? はぁ?

「重婚は日本の法律では禁止されてますけど?」
“違う、違う。俺じゃなくて、タケのとこ”
「…………はぁ?」

 発想が飛び過ぎてるから、理解が追いつくのに時間がかかるし疲れる。
 莉子はいつもこんなのを相手にしているのか……。

“タケのこと、嫌い?”
「嫌いじゃないですけど」
“じゃあ、いいよね”
「よくないです。何を勝手にまとめようとしてるんですか。冗談じゃないです」

 そうやって私を丸め込もうとしても無駄ですよ、とやや強めに言うと、新川センセーの「ははは」という笑い声がスマホから聞こえてきた。
 どこに笑うポイントがあったのか、正直よくわからない。

“合うと思うんだけどな、タケと恵ちゃん”
「知りません」
“おススメだよ、タケ。不器用だけど、根真面目だから浮気なんて絶対にしないし”
「本人の意思を無視して勝手に勧めないでくださいよ」
“いや? タケもまんざらじゃないと思うけどな”
「……っ……」

 まぁ確かに、いつもどこか構えたところのあるタケちゃんだけど、私には角がないというか対応が柔らかいな、とは思う。
 思うけども、それとこれとは別問題!

“あ、考えてみた? どう?”
「どうもしません! フザけたことばかり言うなら、もう切りますよ! すっぱりアドレスごと!」
“あ、それはやめてー。恵ちゃんに見捨てられたら、マジで詰むからー”

 新川センセーがわざとらしく情けない声を出し、“もう言いません”、“ごめんなさい”と言葉を繋げる。

“恵ちゃんが新川家に来てくれたら莉子もすんなりお嫁さんになってくれるかなー、と思って。ほら、姉妹になるでしょ”
「そんな甘くはないでしょ、莉子は」
“確かに!”

 電話の向こうで、また「はははは」という笑い声が聞こえた。
 だから、どこに笑えるポイントがあったのよ?

“まぁそれは置いておいて。真面目な話、タケのことはちょっと気にかけてくれると嬉しい。同じキャンパスでしょ?”
「ええ、まぁ」

 同じ講義を受講しているコマは何個かありますね、と答えると、新川センセーは
“良かった”
と少しだけホッとしたような色を滲ませた。

“ちょっと女性不信なところがあって、過剰に反応することがあるんだよね。でも恵ちゃんにはそうじゃないから”

 そう言えばひどく苦手そうにしてたなあ、と十日ほど前のタケちゃんの姿を思い出す。
 もう少し上手に裁けないものかしらね、と思わないこともない。
 それにタケちゃんって、決定的に運が悪い感じがするから、変な女に引っ掛かっちゃいそう。
 新川センセーが心配するのも、ちょっとだけわかるのよね。

“それでね、恵ちゃんみたいなしっかりした子が傍にいればいいのに、と思ったんだけどね”
「はぁ……」
“だから意外に本気だよ、俺。良かったら前向きに考えてみて。それじゃ”
「え、あ、ちょっと!」

 最後にはきっちりと言いたい事を言い、新川センセーはプツンと電話を切ってしまった。
 まったく自分勝手な人だわ、と思いながら画面をタップする。

 まぁ、姿を見かけたときに声をかけるぐらいはしようかな。知らない仲じゃないんだし……。
 莉子と親友でいる限り、あの兄弟ともずっと縁が続くということだもんね。新川センセーが莉子を手放すわけが無いんだから。

 ……と、そんなことを考えながら、スマホをベッドの棚の上に置いた。
 逃げ場が無くなってるのは、私も莉子と同じかもしれない。意味は全然違うけどね!


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゴールデンウィーク前後のこぼれ話です。
メグミン、ガンバ。\( ̄▽ ̄;)
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