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07.発作
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中間試験前は教師陣も授業に気合が入っていて、試験が終わるまで目まぐるしく時間が過ぎていった。試験さえ終わってしまえば、当面は体育祭のことに集中できる。
体育の合同授業は5月に1度だけあったが、6月からは週に2度のペースで入るようになった。どうやら5月の授業は調整のためのテストだったらしい。
「充、部活棟の更衣室の場所知らないよな。一緒に行くぞ」
「おう」
5月のときのようにクラスの男子全員で移動するようなことはしなくていい雰囲気になったが、むしろ誰かが言った「柔道部がよく使う更衣室は避けたいよな」という言葉でどうやら更衣室に快適かどうかの差があるらしいとわかり、何人かは先を争いながら飛び出していった。
「そんなに違うのか?」
「さぁ。おれ、この前結局使ってないし」
そういえば、あの時の体調不良は原因不明のままだ。忠明はそのことを思い出して少し憂鬱になった。
部活棟の更衣室前につくと、妙に頭の奥の方がざわざわしているように感じた。充がドアを開けると、ロッカーの開閉音が耳につく。やはり妙に狭いのが気になる。
ドキン、ドキン、と心臓の音が大きくなっていった。後ろ手に閉めたドアが閉まるにつれてぎゅうっと肺を掴まれたかのように呼吸ができなくなっていく。
(これ、カラオケのときも)
あの時も、狭い個室だった。
きょろ……と狭い更衣室を見渡すと、誰かが服を脱いでいた。
ロッカーの開閉音が、忘れようとしていた記憶をこじ開けようとしている。
「……ヒッ……」
後ずさると、充が振り向いた。息がうまく吸えず、脂汗が出てきた。吐きそうな気配もしてくる。
(気付かれたくない……!)
「忠明、どうした?」
「触るな!」
手を伸ばした充の手を振り払うと同時に、視界の端が黒くなりぎゅっと視野が狭まった。そしてそのまま、忠明は膝から力が抜けた。
この症状は、見たことがある。テレビでいつかやっていたメンタルヘルス特集で――……。
(パニック発作……?)
その言葉が頭に浮かんだ時には、忠明は既に床に倒れ伏していた。
「忠明!?」
その後のことは、忠明はよく覚えていない。ただ、救急車を呼ばれる一歩手前だったところで忠明自身がうわ言のように救急車を呼ぶなと言ったらしい。
保健室のベッドの上でそれを聞いてほっとした。大ごとになると親に知られてしまう。そんなことになったら、説明できないことまで詮索されかねない。それを避けられただけでも、少し安心できた。
原因を探ろうとする養護教諭とのやりとりをしているうちに、「たぶんおれ、閉所恐怖症なんだとおもいます」と忠明は言った。
「……閉所恐怖症?」
「……はい」
忠明が目をそらしながら頷くと、養護教諭は観察するように忠明を見た。
「……あれくらい狭い密室は、無理なんだと思います。今思えば、5月に急に吐いたのもそれだったのかも。カラオケの個室も」
「自覚はなかったってこと?」
「はい……」
「ひどいようなら、心療内科を勧めるよ」
「……今後はあの更衣室を使わなきゃいけないときはトイレで着替えます。トイレなら、上下あいてるから大丈夫だし」
言外に行く気はないと伝えると、養護教諭は納得していないようだったが「まぁ、今は寝ておきな」と言った。
シャーッとベッドの周りのカーテンを閉められると、忠明は後ろに倒れた。ふかふかの枕がぼすっと音を立てる。
――触るな!
充の手を振り払ってしまった。心配してくれていたのに、自分に伸びてくる手が恐怖の塊でしかなかった。
(誤魔化せるよな)
両手で顔を覆う。周囲の反応が恐ろしかったが、もう倒れるところは見られてしまった。どうにか誤魔化すしかない。
狭い密室に忠明以外にも男がいる状況。その上ロッカーがあると発作がひどくなるようだった。普段の体育で使う更衣室ほど広いと問題ないのだが、部活棟の更衣室は最悪な条件がそろってしまう場所だった。
(おれは、全然大丈夫じゃなかった)
忘れていたと思っていた。忘れることができたと思っていた。そうではなかった。
考えるのをやめるように、忠明はすっと寝入っていった。
「なんかおれ、クソ狭い密室の恐怖症みたい」
教室に戻ってきた忠明がわざと汚い言葉を使いながらけろっとして言うと、忠明が倒れる現場を見たクラスメイトたちは口々に「心配させやがって」などと言った。
「次からトイレで着替えるよ」
「恐怖症って、今まで知らなかったのか?」
「うん。充も、ありがとうな」
「あぁ」
充の視線は心配そうなものの、直接何か言ってくることはなかった。
いつも通り家に帰るとすぐに窓を開ける。思えば、充がいる日に妙に息苦しく感じて窓を開けることがあった。換気の問題だと思ってきたが、無意識に密室状態をなくすためにそうしていたようだと今更ながら気付いた。
(……家もだめなのか……荷物の分狭くなってるからか?)
気付いたときは愕然としたが、今のところ窓を開ければどうにかなっている。少しずつ閉めていけば、少なくとも家は克服できるのではないかと忠明は考えていた。
「忠明」
「ん?」
「……。今日は俺が作るな」
「うん」
お互いに料理の成果は少しずつ出始めていて、何度か作ったものなら美味しく作ることもできるようになってきていた。
「おれさ、お前と友達になれてよかったよ」
「なんだ急に」
「なんとなく」
「恥ずかしい奴」
充が笑いながらにんじんを切っている。ベッドがありどうしても狭く見えるのでレイアウトを変更しよう、と思った。幸い、一人暮らしの際に購入してもらったベッドは折り畳み式だ。広げっぱなしだったのをどうにかすれば、かなりレイアウトの余裕ができるはずだった。適当な理由をつければ充も手伝ってくれるだろう。
少しだけ前向きに受け入れて、忠明は前に進もうとしていた。
体育の合同授業は5月に1度だけあったが、6月からは週に2度のペースで入るようになった。どうやら5月の授業は調整のためのテストだったらしい。
「充、部活棟の更衣室の場所知らないよな。一緒に行くぞ」
「おう」
5月のときのようにクラスの男子全員で移動するようなことはしなくていい雰囲気になったが、むしろ誰かが言った「柔道部がよく使う更衣室は避けたいよな」という言葉でどうやら更衣室に快適かどうかの差があるらしいとわかり、何人かは先を争いながら飛び出していった。
「そんなに違うのか?」
「さぁ。おれ、この前結局使ってないし」
そういえば、あの時の体調不良は原因不明のままだ。忠明はそのことを思い出して少し憂鬱になった。
部活棟の更衣室前につくと、妙に頭の奥の方がざわざわしているように感じた。充がドアを開けると、ロッカーの開閉音が耳につく。やはり妙に狭いのが気になる。
ドキン、ドキン、と心臓の音が大きくなっていった。後ろ手に閉めたドアが閉まるにつれてぎゅうっと肺を掴まれたかのように呼吸ができなくなっていく。
(これ、カラオケのときも)
あの時も、狭い個室だった。
きょろ……と狭い更衣室を見渡すと、誰かが服を脱いでいた。
ロッカーの開閉音が、忘れようとしていた記憶をこじ開けようとしている。
「……ヒッ……」
後ずさると、充が振り向いた。息がうまく吸えず、脂汗が出てきた。吐きそうな気配もしてくる。
(気付かれたくない……!)
「忠明、どうした?」
「触るな!」
手を伸ばした充の手を振り払うと同時に、視界の端が黒くなりぎゅっと視野が狭まった。そしてそのまま、忠明は膝から力が抜けた。
この症状は、見たことがある。テレビでいつかやっていたメンタルヘルス特集で――……。
(パニック発作……?)
その言葉が頭に浮かんだ時には、忠明は既に床に倒れ伏していた。
「忠明!?」
その後のことは、忠明はよく覚えていない。ただ、救急車を呼ばれる一歩手前だったところで忠明自身がうわ言のように救急車を呼ぶなと言ったらしい。
保健室のベッドの上でそれを聞いてほっとした。大ごとになると親に知られてしまう。そんなことになったら、説明できないことまで詮索されかねない。それを避けられただけでも、少し安心できた。
原因を探ろうとする養護教諭とのやりとりをしているうちに、「たぶんおれ、閉所恐怖症なんだとおもいます」と忠明は言った。
「……閉所恐怖症?」
「……はい」
忠明が目をそらしながら頷くと、養護教諭は観察するように忠明を見た。
「……あれくらい狭い密室は、無理なんだと思います。今思えば、5月に急に吐いたのもそれだったのかも。カラオケの個室も」
「自覚はなかったってこと?」
「はい……」
「ひどいようなら、心療内科を勧めるよ」
「……今後はあの更衣室を使わなきゃいけないときはトイレで着替えます。トイレなら、上下あいてるから大丈夫だし」
言外に行く気はないと伝えると、養護教諭は納得していないようだったが「まぁ、今は寝ておきな」と言った。
シャーッとベッドの周りのカーテンを閉められると、忠明は後ろに倒れた。ふかふかの枕がぼすっと音を立てる。
――触るな!
充の手を振り払ってしまった。心配してくれていたのに、自分に伸びてくる手が恐怖の塊でしかなかった。
(誤魔化せるよな)
両手で顔を覆う。周囲の反応が恐ろしかったが、もう倒れるところは見られてしまった。どうにか誤魔化すしかない。
狭い密室に忠明以外にも男がいる状況。その上ロッカーがあると発作がひどくなるようだった。普段の体育で使う更衣室ほど広いと問題ないのだが、部活棟の更衣室は最悪な条件がそろってしまう場所だった。
(おれは、全然大丈夫じゃなかった)
忘れていたと思っていた。忘れることができたと思っていた。そうではなかった。
考えるのをやめるように、忠明はすっと寝入っていった。
「なんかおれ、クソ狭い密室の恐怖症みたい」
教室に戻ってきた忠明がわざと汚い言葉を使いながらけろっとして言うと、忠明が倒れる現場を見たクラスメイトたちは口々に「心配させやがって」などと言った。
「次からトイレで着替えるよ」
「恐怖症って、今まで知らなかったのか?」
「うん。充も、ありがとうな」
「あぁ」
充の視線は心配そうなものの、直接何か言ってくることはなかった。
いつも通り家に帰るとすぐに窓を開ける。思えば、充がいる日に妙に息苦しく感じて窓を開けることがあった。換気の問題だと思ってきたが、無意識に密室状態をなくすためにそうしていたようだと今更ながら気付いた。
(……家もだめなのか……荷物の分狭くなってるからか?)
気付いたときは愕然としたが、今のところ窓を開ければどうにかなっている。少しずつ閉めていけば、少なくとも家は克服できるのではないかと忠明は考えていた。
「忠明」
「ん?」
「……。今日は俺が作るな」
「うん」
お互いに料理の成果は少しずつ出始めていて、何度か作ったものなら美味しく作ることもできるようになってきていた。
「おれさ、お前と友達になれてよかったよ」
「なんだ急に」
「なんとなく」
「恥ずかしい奴」
充が笑いながらにんじんを切っている。ベッドがありどうしても狭く見えるのでレイアウトを変更しよう、と思った。幸い、一人暮らしの際に購入してもらったベッドは折り畳み式だ。広げっぱなしだったのをどうにかすれば、かなりレイアウトの余裕ができるはずだった。適当な理由をつければ充も手伝ってくれるだろう。
少しだけ前向きに受け入れて、忠明は前に進もうとしていた。
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