1話完結ホラー話

夢乃話

文字の大きさ
17 / 44

化粧依存の果てに

しおりを挟む

 佐伯美沙は、自分の顔が嫌いだった。
 子どもの頃から「地味」「眠そうな目」「のっぺりした顔」と言われ続け、笑うことさえ苦手になった。鏡を見ると吐き気がし、写真には写りたくなかった。

 大学生になっても、それは変わらなかった。だが、二十歳の誕生日の前夜、友人に無理やり百均のコスメを渡されて、半ば遊びのつもりでメイクをした。
 そこに映った自分は、まるで別人だった。
 「……綺麗」
 声に出してしまった。思わず笑みがこぼれた。鏡の中の女は、今まで一度も自分に見せたことのない表情をしていた。

 その日から美沙は毎日のように化粧をするようになった。大学に行く日も、コンビニに行くだけの日も、誰にも会わない日でさえも。
 化粧をしなければ、顔が顔でなくなる。
 外に出るのが怖くなり、すっぴんを見られるくらいなら死んだほうがましだとさえ思った。

 だが、化粧には終わりがなかった。もっと目を大きく、もっと肌を白く、もっと唇を艶やかに。
 YouTubeのメイク動画を夜明けまで見続け、高級ブランドに給料を注ぎ込み、彼女の部屋はコスメで埋め尽くされた。

 やがて友人たちは離れていった。
 「美沙、最近顔が変わったよ。なんか怖い」
 その言葉が最後だった。以降、美沙は人と会わなくなり、バイトもやめ、ひたすら鏡に向かって筆を動かし続ける日々が続いた。

 ある夜、ファンデーションを塗り直していると、鏡の中の顔が一瞬、笑った。
 自分は笑っていない。
 「え?」と声をあげると、鏡の中の女は、艶やかな笑みを浮かべたまま動かなくなった。

 ぞわりと背筋が冷たくなった。だが、次の瞬間には何も変わっていなかった。
 「疲れてるんだ、きっと」
 そう思い込もうとした。

 しかし、それから頻繁に起きるようになった。
 リップを塗ると、鏡の中の唇が舌で艶を広げる。
 チークをのせると、頬が赤黒く燃えるように染まる。
 彼女が動かないときでさえ、鏡の中の「彼女」は勝手に瞬きをし、唇を震わせた。

 やがて、美沙は気づいた。
 鏡の中の「もう一人」は、化粧をすればするほど生き生きとしていくのだ。

 ある日、美沙はいつもより濃いアイラインを引いた。
 その瞬間、鏡の中の女が囁いた。
 「もっと濃く……もっと濃くすれば、綺麗になる」

 美沙の手は止まらなかった。
 アイラインは黒い溝となり、まぶたを塗り潰す。
 ファンデーションは肌を白い仮面のように覆い、リップは血のように深紅へと染め上げた。

 「綺麗……綺麗……」
 誰に言われなくても、呪文のように繰り返した。

 気づけば夜明け。洗面所の鏡には、もはや人間とは思えない女が映っていた。
 目は深く沈み、唇は裂けるほどに赤く、頬は陶器のように無機質だった。
 だが、その女は確かに美しかった。恐ろしく、狂気じみたほどに。

 鏡の中の女は微笑んだ。
 「もっと欲しいでしょう?」

 化粧を落とすことができなくなった。
 クレンジングをしても、ファンデーションは皮膚から剥がれず、アイラインは瞼に焼き付いて消えない。
 「顔が……顔が落ちない!」
 何度も洗っても、化粧は肌そのものになっていた。

 それでも美沙は新しい化粧品を買い続けた。カードの請求は膨らみ、電気も止められたが、どうでもよかった。
 化粧を重ねるたびに、鏡の中の女は輝きを増す。
 頬に粉をのせれば、彼女は笑い、リップを塗れば、彼女は囁く。

 「あなたの素顔は、もういらない」

 夜、鏡の中から白い手が伸びてきた。
 冷たい指先が頬を撫で、唇をなぞり、瞼を引き上げた。
 美沙は抵抗しなかった。むしろうっとりと目を閉じた。

 数日後、隣室の住人が異臭に気づき、管理人を呼んだ。
 ドアを開けると、部屋の中には大量の化粧品が散乱していた。空になったファンデーション、折れたブラシ、口紅のキャップが床を埋め尽くしていた。

 そして洗面所の鏡には、一人の女が映っていた。
 白く塗り固められた顔、真っ赤な唇、黒い穴のような目。
 だがその場には誰もいなかった。

 警察が捜索しても、美沙の姿はどこにもなかった。
 ただ一つ、鏡の表面には指紋が無数に残っていた。
 まるで必死に内側から叩いたかのように。

 鏡の女は、今も美しく笑っている。
 化粧という名の皮膚を幾重にも重ね、素顔を喰らい尽くして。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/4:『こうしゅうといれ』の章を追加。2025/12/11の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/3:『かがみのむこう』の章を追加。2025/12/10の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/2:『へびくび』の章を追加。2025/12/9の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/1:『はえ』の章を追加。2025/12/8の朝4時頃より公開開始予定。 2025/11/30:『かべにかおあり』の章を追加。2025/12/7の朝8時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

怪談実話 その3

紫苑
ホラー
ほんとにあった怖い話…

処理中です...