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化粧依存の果てに
しおりを挟む佐伯美沙は、自分の顔が嫌いだった。
子どもの頃から「地味」「眠そうな目」「のっぺりした顔」と言われ続け、笑うことさえ苦手になった。鏡を見ると吐き気がし、写真には写りたくなかった。
大学生になっても、それは変わらなかった。だが、二十歳の誕生日の前夜、友人に無理やり百均のコスメを渡されて、半ば遊びのつもりでメイクをした。
そこに映った自分は、まるで別人だった。
「……綺麗」
声に出してしまった。思わず笑みがこぼれた。鏡の中の女は、今まで一度も自分に見せたことのない表情をしていた。
その日から美沙は毎日のように化粧をするようになった。大学に行く日も、コンビニに行くだけの日も、誰にも会わない日でさえも。
化粧をしなければ、顔が顔でなくなる。
外に出るのが怖くなり、すっぴんを見られるくらいなら死んだほうがましだとさえ思った。
だが、化粧には終わりがなかった。もっと目を大きく、もっと肌を白く、もっと唇を艶やかに。
YouTubeのメイク動画を夜明けまで見続け、高級ブランドに給料を注ぎ込み、彼女の部屋はコスメで埋め尽くされた。
やがて友人たちは離れていった。
「美沙、最近顔が変わったよ。なんか怖い」
その言葉が最後だった。以降、美沙は人と会わなくなり、バイトもやめ、ひたすら鏡に向かって筆を動かし続ける日々が続いた。
ある夜、ファンデーションを塗り直していると、鏡の中の顔が一瞬、笑った。
自分は笑っていない。
「え?」と声をあげると、鏡の中の女は、艶やかな笑みを浮かべたまま動かなくなった。
ぞわりと背筋が冷たくなった。だが、次の瞬間には何も変わっていなかった。
「疲れてるんだ、きっと」
そう思い込もうとした。
しかし、それから頻繁に起きるようになった。
リップを塗ると、鏡の中の唇が舌で艶を広げる。
チークをのせると、頬が赤黒く燃えるように染まる。
彼女が動かないときでさえ、鏡の中の「彼女」は勝手に瞬きをし、唇を震わせた。
やがて、美沙は気づいた。
鏡の中の「もう一人」は、化粧をすればするほど生き生きとしていくのだ。
ある日、美沙はいつもより濃いアイラインを引いた。
その瞬間、鏡の中の女が囁いた。
「もっと濃く……もっと濃くすれば、綺麗になる」
美沙の手は止まらなかった。
アイラインは黒い溝となり、まぶたを塗り潰す。
ファンデーションは肌を白い仮面のように覆い、リップは血のように深紅へと染め上げた。
「綺麗……綺麗……」
誰に言われなくても、呪文のように繰り返した。
気づけば夜明け。洗面所の鏡には、もはや人間とは思えない女が映っていた。
目は深く沈み、唇は裂けるほどに赤く、頬は陶器のように無機質だった。
だが、その女は確かに美しかった。恐ろしく、狂気じみたほどに。
鏡の中の女は微笑んだ。
「もっと欲しいでしょう?」
化粧を落とすことができなくなった。
クレンジングをしても、ファンデーションは皮膚から剥がれず、アイラインは瞼に焼き付いて消えない。
「顔が……顔が落ちない!」
何度も洗っても、化粧は肌そのものになっていた。
それでも美沙は新しい化粧品を買い続けた。カードの請求は膨らみ、電気も止められたが、どうでもよかった。
化粧を重ねるたびに、鏡の中の女は輝きを増す。
頬に粉をのせれば、彼女は笑い、リップを塗れば、彼女は囁く。
「あなたの素顔は、もういらない」
夜、鏡の中から白い手が伸びてきた。
冷たい指先が頬を撫で、唇をなぞり、瞼を引き上げた。
美沙は抵抗しなかった。むしろうっとりと目を閉じた。
数日後、隣室の住人が異臭に気づき、管理人を呼んだ。
ドアを開けると、部屋の中には大量の化粧品が散乱していた。空になったファンデーション、折れたブラシ、口紅のキャップが床を埋め尽くしていた。
そして洗面所の鏡には、一人の女が映っていた。
白く塗り固められた顔、真っ赤な唇、黒い穴のような目。
だがその場には誰もいなかった。
警察が捜索しても、美沙の姿はどこにもなかった。
ただ一つ、鏡の表面には指紋が無数に残っていた。
まるで必死に内側から叩いたかのように。
鏡の女は、今も美しく笑っている。
化粧という名の皮膚を幾重にも重ね、素顔を喰らい尽くして。
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