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眠りの底で
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社会人二年目の川村玲奈は、ずっと眠れない日々を過ごしていた。仕事のストレスと不規則な生活で、布団に入っても朝方まで目が冴えてしまう。そんなある日、彼女は偶然見つけた中古家具店で、一つのベッドに目を奪われた。
真っ白なフレームに、分厚いマットレス。展示品にしては状態が良く、値札には「特別値引き 9,800円」と書かれている。
「……安い」
衝動的に購入し、配送を依頼した。
◆
ベッドが届いた夜、玲奈はわくわくしながらシーツを掛け、枕を置いた。横になると体がすっぽりと沈み込み、まるで誰かに優しく抱きしめられるような感覚がした。
「これなら眠れるかも」
久々に安堵を覚え、そのまま深い眠りに落ちた。
だが、夢の中で妙な感覚がした。誰かが隣に寝ている。背中に冷たい腕が回され、囁くような息が首筋にかかる。振り返ろうとするが、体は動かない。耳元で低い声がした。
――やっと、帰ってきた。
悲鳴を上げて目を覚ました。部屋には誰もいない。ベッドの上に自分ひとり。汗でシーツが湿っていた。
「……夢、だよね」
そう自分に言い聞かせた。
◆
それから数日、眠りは改善した。ベッドに横たわるとすぐに眠りに落ち、朝まで目を覚ますことはない。だがその代わり、同じ夢を繰り返すようになった。
夢の中で、誰かと寄り添って眠っている。相手の顔は見えない。ただ確かに腕の重みと体温を感じる。耳元で囁かれる声。
――ずっと、一緒にいられる。
――離さない。
夢から覚めるたび、胸が苦しかった。けれど同時に、なぜか奇妙な安堵もあった。
◆
一週間後、玲奈の同僚が言った。
「玲奈、最近元気そうだね。顔色いいよ」
確かに、寝不足の時のような目の下の隈は消えていた。ベッドのおかげだ、と彼女は内心思った。
だがその夜、夢はさらに変質した。
――カエッテキテクレテ、アリガトウ。
――アノトキ、イタイノハイヤダッタ。
――ダカラ、イマハナシテアゲナイ。
声がはっきりとした言葉になり、内容が不気味さを帯び始めた。玲奈は目を覚まそうともがいたが、体が動かない。夢と現実の境が曖昧になり、胸の上に重い何かがのしかかっていた。
「やめて……!」
ようやく飛び起きると、胸に赤黒い痣が浮かんでいた。まるで誰かに強く掴まれたように。
◆
恐ろしくなった玲奈は翌日、ベッドを買った中古家具店へ向かった。店員に尋ねると、曖昧な表情で首を振った。
「仕入れの詳細まではちょっと……。でも、そのベッド、もとは事故物件からの引き上げ品だと聞いたことがありますよ」
「事故物件……?」
「住んでいた女性が、寝ている間に亡くなったそうです。窒息……だったかな」
背筋に冷たいものが走った。急いで帰宅し、ベッドを処分しようとした。だがマットレスを動かそうとすると、底からカサリと音がした。恐る恐る覗くと、古びた手帳が挟まっていた。
そこには震える文字で、こう書かれていた。
《眠るたび、誰かが隣にいる。
息が苦しい。
離れられない。
助けて。》
最後のページにはインクが滲んだ字でこう残されていた。
《一緒に、眠ってくれる人を待ってる》
◆
その夜。玲奈はベッドの外で寝袋を広げて眠ろうとした。だが、午前二時頃、ふと目を覚ますと、ベッドのシーツが勝手に膨らんでいた。まるで誰かが横たわっているように。
「……嘘でしょ」
耳を澄ますと、シーツの中から規則正しい寝息が聞こえてくる。冷や汗が流れ、目を逸らした瞬間、背中に冷たい腕が回された。寝袋の中にまで。
――ドコニイッテモ、イッショ。
玲奈の喉から悲鳴が漏れたが、誰にも届かなかった。
◆
翌朝、玲奈の部屋は静かだった。ベッドの上にはきちんと整えられたシーツ。そこには二人分の凹みが残されていた。
そして玲奈の姿は消えていた。
ただ、マットレスの奥に新たな走り書きが加えられていた。
《やっと、一緒に眠ってくれる人が来た。もう寂しくない》
真っ白なフレームに、分厚いマットレス。展示品にしては状態が良く、値札には「特別値引き 9,800円」と書かれている。
「……安い」
衝動的に購入し、配送を依頼した。
◆
ベッドが届いた夜、玲奈はわくわくしながらシーツを掛け、枕を置いた。横になると体がすっぽりと沈み込み、まるで誰かに優しく抱きしめられるような感覚がした。
「これなら眠れるかも」
久々に安堵を覚え、そのまま深い眠りに落ちた。
だが、夢の中で妙な感覚がした。誰かが隣に寝ている。背中に冷たい腕が回され、囁くような息が首筋にかかる。振り返ろうとするが、体は動かない。耳元で低い声がした。
――やっと、帰ってきた。
悲鳴を上げて目を覚ました。部屋には誰もいない。ベッドの上に自分ひとり。汗でシーツが湿っていた。
「……夢、だよね」
そう自分に言い聞かせた。
◆
それから数日、眠りは改善した。ベッドに横たわるとすぐに眠りに落ち、朝まで目を覚ますことはない。だがその代わり、同じ夢を繰り返すようになった。
夢の中で、誰かと寄り添って眠っている。相手の顔は見えない。ただ確かに腕の重みと体温を感じる。耳元で囁かれる声。
――ずっと、一緒にいられる。
――離さない。
夢から覚めるたび、胸が苦しかった。けれど同時に、なぜか奇妙な安堵もあった。
◆
一週間後、玲奈の同僚が言った。
「玲奈、最近元気そうだね。顔色いいよ」
確かに、寝不足の時のような目の下の隈は消えていた。ベッドのおかげだ、と彼女は内心思った。
だがその夜、夢はさらに変質した。
――カエッテキテクレテ、アリガトウ。
――アノトキ、イタイノハイヤダッタ。
――ダカラ、イマハナシテアゲナイ。
声がはっきりとした言葉になり、内容が不気味さを帯び始めた。玲奈は目を覚まそうともがいたが、体が動かない。夢と現実の境が曖昧になり、胸の上に重い何かがのしかかっていた。
「やめて……!」
ようやく飛び起きると、胸に赤黒い痣が浮かんでいた。まるで誰かに強く掴まれたように。
◆
恐ろしくなった玲奈は翌日、ベッドを買った中古家具店へ向かった。店員に尋ねると、曖昧な表情で首を振った。
「仕入れの詳細まではちょっと……。でも、そのベッド、もとは事故物件からの引き上げ品だと聞いたことがありますよ」
「事故物件……?」
「住んでいた女性が、寝ている間に亡くなったそうです。窒息……だったかな」
背筋に冷たいものが走った。急いで帰宅し、ベッドを処分しようとした。だがマットレスを動かそうとすると、底からカサリと音がした。恐る恐る覗くと、古びた手帳が挟まっていた。
そこには震える文字で、こう書かれていた。
《眠るたび、誰かが隣にいる。
息が苦しい。
離れられない。
助けて。》
最後のページにはインクが滲んだ字でこう残されていた。
《一緒に、眠ってくれる人を待ってる》
◆
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「……嘘でしょ」
耳を澄ますと、シーツの中から規則正しい寝息が聞こえてくる。冷や汗が流れ、目を逸らした瞬間、背中に冷たい腕が回された。寝袋の中にまで。
――ドコニイッテモ、イッショ。
玲奈の喉から悲鳴が漏れたが、誰にも届かなかった。
◆
翌朝、玲奈の部屋は静かだった。ベッドの上にはきちんと整えられたシーツ。そこには二人分の凹みが残されていた。
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ただ、マットレスの奥に新たな走り書きが加えられていた。
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