ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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【幕間の話】

紅子さんと赤い竜 後

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「おっと…… アルファードさん、これは?」

 彼女が咄嗟に手を出し、掴み上げたそれを元に戻さず尋ねる。
 その指先に摘まれていたのは真っ黒な球体だ。ビー玉のようなそれを一通り眺めながら彼女は手で弄ぶ。
 どうせここでお茶をするならと話のタネにする気なのだろう。

「うーん、なんていうか…… 恐怖の感情を詰め込んだ怪異向けの緊急食料…… みたいな?」
「なんだそれ」

 呆れたような顔で言うが、彼女の手は速やかにその球体を元の場所に戻す。
 長く触れていたくないとでもいうようにさっさと立ち上がって首を振る。

「ほら、定期的に人を食べないと生きていけない怪異もいるでしょ? 〝 自分が必要な分だけ襲う 〟ことは許可してるけど、同盟所属の子って大体お人好しばかりだからね。人食いなのに人に恋しちゃったとか、そういう子向けの携帯食だよ。飢え死にされたら困るからね」

 人工物に近いから美味しくはないんだけど、と続けるアルフォードに紅子は微妙そうな表情をする。
 理解はできるが実感はしたくない。そんな表情だ。

「キミだって赤いちゃんちゃんこに沿った脅かし方で恐怖した人間の心を食べるでしょ? それすらしたくない子は定期的にこれを食べてもらうんだ。よく漫画とかで吸血鬼がトマトジュース飲むのと似たようなものだよ」
「詳しいねぇ……」
「管理人だもん」
「そりゃそうか…… ま、否定はしないよ」

 自己否定するほど彼女は切羽詰まっているわけではないのだ。
 それに、彼女が知る限りこの異空間の屋敷で生活する吸血鬼はそういう存在だった。紅子は過去になにがあったのか知らないが、かの吸血鬼が完全草食主義者ということは知っている。それと、ヴァンパイアハンターを恐れているということも。
 そういう存在もいるのだから必要な処置なのだろうと納得する。

「確か、二階の彼女がそうだったね?」
「ああ、オーラルちゃんのこと? そうだね。彼女はかの吸血鬼カーミラに魅入られ、そして生存した…… はずが吸血鬼になっちゃってた、娘みたいな存在なんだ。自分を吸血鬼にしたカーミラちゃんがハンターに殺されちゃったから、それで怖がってここに拠点を置いてるんだよ」
「そういうものか」

 確かに、恐ろしいかもしれない。
 そう思って紅子は目を細める。ついこの前出会ったばかりの秘色ひそくいろはは自分と同じか、それ以上に力の強い怪異の桜子を封印し、使役している。それに先代七不思議達は桜子と、おそらく七番目のさとり妖怪…… しらべを除いていろはに全て祓われている。
 仮にも七不思議だったのだからそれなりに力はあっただろうに、それがあっさりと一人の人間に祓われているという事実が異常だ。
 下土井令一もアルフォードの鱗で鍛えられた刀があるのでそれらに対処できるだろうが、それはあくまで武器に頼って得られる強さだ。
 元々霊力が強くなければ〝 絵を描く 〟だけで祓えたりなどしない。
 なぜ普通に祓うのではなく絵を描くことに拘るかは紅子には分からないが、むしろその方が安堵できるというものである。
 彼女が本気で自分を祓おうとしてきたのなら、それはそれは恐ろしいだろうと紅子は思う。

 いろはは絵を描くことのできない環境では無力化されるという弱点があるが、彼女程の霊力があるなら本来はそんなことをしなくても祓えるはずなのだ。
 彼女は自らの人生ごと縛りプレイをしているようなものだが…… なぜそんなことをしているのか知らない紅子にとって、どうでもいいことだ。
 強い力を持った彼女が襲ってきたら恐ろしい。ただそれだけ。

「オレの店にはいろいろあるよ。恨みをある程度のところに押し留めておく薬とかも」
「それを飲んでまで同盟に所属するもの好きなやつなんているの?」
「これがいるんだよねー。一人の人間を好きになって、幸せに暮らしたいけど周りに恨みを晴らしに行きたい自分もいる…… そんな悩める乙女に、とか」
「恋わずらいはすごいねぇ」

 女性の怪異はしばしば人間と共に暮らすうちに恋をすることがある。
 男性怪異はビジネスライクな者が多いので滅多にそういう報告は聞かないが、女性怪異は情が移りやすいのでそうなることが多いのだ。

「紅子ちゃんはいいのー?」
「必要ないねぇ」
「よもぎちゃんが恋愛相談大募集って言ってたよ?」
「ああ、そっちのことなんだね」
「うん、令一ちゃんに随分ご執心だし」
「なっ」

 お茶を用意するアルフォードを頬づえをついて見ていた紅子はその態勢を崩した。

「図星かな?」
「アタシはああいう偽善者は嫌いなんだよ。正義感ぶってるっていうのかな、とにかく、協力してるのは成り行きでそれ以上の意図はないから」
「ふうん、今度よもぎちゃんに言っておくよ。キミが恋愛模様に悩む乙女だって」
「その服、髪の色と同じにされたいのかな?」
「ふふ、怖い怖い。冗談だよ」

 アルフォードは長く鮮やかな赤い髪を揺らしながら今度はお菓子をテーブルに置く。
 彼女もまさか神格を有するドラゴン相手に〝 お前の首掻き切るぞ 〟と本気で言うわけはない。両者共に冗談である。

 アルフォードが言っていた〝 よもぎ 〟というは文車ふぐるま妖妃ようひという付喪神のことだ。
 彼女は文車と名がついているが実際には文車の付喪神ではなく、文車で運ばれていた報われない恋文達の集合意識である。
 失恋した女達の託した恋文なので、恋愛経験はお察しである。
 そもそもそんな恋文の集合意識である彼女になんの恋愛相談ができるというのか、紅子は甚だ疑問に思ったが飲み込んだ。

「というか、彼女に相談する意味ってあるのかな?」

 飲み込めなかったようだ。

「ちゃんと勉強はしたって言ってたよ?」
「なにで?」
「えーっと、フラワー&ドリームとか、なかよくとか、別冊フレンズとか……」
「漫画じゃないか」

 やはり失恋しか見たことのない乙女には、恋愛相談で建設的な意見が言えるとは思えない。

「で、結局どうなの?」
「だから、アタシには必要ないよ」

 なぜ上司のような存在の彼相手に恋バナをしなければならないのか、と紅子は溜め息を吐く。

「キミに恨みの発散は、必要ないのかな?」
「……」

 からかうように恋バナを振ってきていたアルフォードが、急に表情を消して彼女を睨め付ける。
 トカゲのような、人外めいた黄色い瞳に見つめられ紅子の背筋に怖気が走った。
 だが、彼女は意識してリアクションを抑え、彼を見つめ返す。

「……」
「……」

 先程話題に上がったのは、恨みを抑えるための薬。
 赤いちゃんちゃんこという七不思議は首を掻き切られ、血で濡れた部分がまるで赤いちゃんちゃんこを着たかのように見えるということから来ている。
 勿論なぜそうなったのかは諸説あるが、大体は〝 殺された 〟や〝 いじめによる自殺 〟が挙げられる。
 怪異に遭った人間が〝 問答にYESで答える 〟ことで怪異と同じ姿に切り裂いてしまう、という話からも〝 恨み 〟を持っていることが明らかだ。普通ならば。

 しかし彼女は理性のある怪異である。
 彼女は通常の赤いちゃんちゃんことは違い、トイレではなく夢の中で活動する。それも、自身の死因であるガラス片を探させ、時間制限ありの脱出ゲームとして。
 適所適所に 「赤いちゃんちゃんこ着せましょうか?」 という質問はするものの、それに 「YES」 と答えない限りすぐさま危害は加えず、ゲームに失敗しても精神的ダメージを与えるだけに留まり対象を安全に現実へ返す。
 トイレで質問し、YESなら危害を、NOなら無害で終わるだけの怪異でなく、似通った性質を有するのみでもっと複雑なプロセスを踏んで彼女は遊んでいる。
 そして、彼女と同じ姿にして殺してしまったことはこれまでに一度も確認されていない。
 赤座紅子という少女は赤いちゃんちゃんことしてはかなり異質なのだ。
 そもそも、彼女は自身のことを自ら進んで〝 赤いちゃんちゃんこ 〟と呼称することは少ない。大体は〝 トイレの紅子さん 〟と呼んでくれと発言する。

「恨んでないわけでは、ないよ」
「…… そうなんだ」

 彼女は慎重に言葉を選ぶように口を開く。
 アルフォードは拍子抜けだとばかりに首を傾げる。

「ただ、復讐するという発想には至らないね、どうしても。アタシが殺された人間じゃないからなのかも」
「それも人間性なのかな? 興味あるけど、キミってレアものだもんねぇ…… あれ、キミってトイレの窓からガラスを突き破って、墜落したんだよね。さすがにうっかりじゃないでしょ? 他殺じゃないの?」

 紅子は 「よく知ってることだね」 と苦虫を噛み潰したように言うと、彼の言葉にきちんと答える。

「自殺だよ、アタシはね。分かりにくいだろうけれど、自殺だ」

 真剣に、彼を見つめて。


 ―― キラリと光る破片が、視界に映る。
 ―― 上の方に、あいつらの笑い声が聞こえる。


「アタシは、自分の手で、ガラス片を手に取った」


 ―― あいつらに殺されるくらいならば、アタシが。


「ただそれだけだよ」


 ―― あいつらにアタシのなにをも奪わせない、絶対に。


「だからね、恨みがないとは言わないけれど…… どうでもいいというか…… アタシがこうして怪異になって過ごすうちに、そのうちに誰もが死ぬのさ。アタシが手を下さなくても死んで地獄に行くんだろうから、別にいいんだよ」
「なるほどね、そういう考えなんだ」
「そう、噂が供給される限りアタシが消滅することはないからね」

 嘆息するように目を伏せ、紅子はそこで言葉を切る。

「ところで、仕事はないの?」
「仕事? うーん、今の所は特にないかなぁ…… 気になるなら屋敷の掲示板でクエスト確認してね」
「ゲームみたいだよね」
「そりゃ、好きだもん。ドラゴンだって人間のゲームは楽しい」
「それはなにより」

 お茶の追加はもうない。
 紅子は立ち上がり、 「お邪魔したね」 とアルフォードに言い放つ。
 彼はにこにこと笑顔を保ったまま彼女に向かって手を振る。

「紅子ちゃん」
「なんだ?」

 背を向けた彼女に向かって、アルフォードは真剣な声色で言う。

「令一ちゃんに付き合うなら、リヴァイアサンに気をつけてね」
「……」

 彼女は言葉を返さない。
 分かっているからだ。
 かの問題児が下土井令一という玩具にんげんに目をつけないはずがない。

「邪神と大怪物の2人に目をつけられるとか、とことん運がないねぇ…… お兄さんは」

 やれやれ、と首を振った彼女は今日も現世へ出かけていく。

「ああいうタイプは嫌いなのにねぇ」

 果たしてそれは彼に会うためか、それとも暇潰しか。
 それは彼女にしか分からない。

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